地獄の特訓
地獄が始まった。
「腕立て伏せ100回! スクワット100回! 腹筋100回!」
「「ひいいいっ!」」
エミリーの号令が響く。
僕とウォールドは、庭で這いつくばっていた。
「いーち、にーい、さーん……」
エミリーのカウントが容赦なく続く。
「ぐっ……腕が……」
僕は10回目で限界が近づく。
「ファブ、まだ10回だよ? あと90回!」
「む、無理……」
「無理じゃない! シフォン、応援して!」
グルルルル……
シフォンの顎が、僕の顔の前に迫る。
涎が垂れてきた。
「ひいいいっ!」
「やれば出来るじゃん!」
芋虫のような動きになりながら、腕立て伏せを続ける。
隣ではウォールドも同じ目に遭っていた。
「お、俺はもう筋肉はあるから……」
「全然足りない!」
「「鬼いいいいっ!」」
そして夜。
「はい、今日のご飯だよ」
エルマさんが食卓に料理を並べる。
肉、野菜、スープ、パン……どれも美味しそうだ。
「いただきます!」
僕たちは夢中で食べた。
疲れ切った体に、温かい食事が染み渡る。
「うまい……うますぎる……」
「母さんの料理は最高だ……」
地獄の後は天国だった。
これでまた頑張れる。
◆◆◆
「今日は走り込み! 森を10周!」
「「10周!?」」
「シフォンが追いかけるから、頑張ってね!」
グォォォォン!
「「うわああああっ!」」
僕たちは必死で走る。
後ろからケルベロスが追いかけてくる。
「ファブ! お前、足遅いな!」
「君こそ! 息切れしてるぞ!」
「うるさい! 走れ!」
死に物狂いで走り続けた。
バクッ!
ウォールドが食われた。
「いやあああっ!」
ウォールドはともかく、僕には守るスキルが……
バクッ!
僕も食われた……
ゲロゲロゲロ
そして再び外へ。
「うげええええっ! 気持ち悪い!」
「平気だと思ったら、息ができなくて苦しい!」
「「いやあああっ!」」
結局、何回食われたかは覚えていない……。
そして夜。
「二人とも、お疲れ様。マッサージしてあげるね」
エミリーが僕の肩を揉んでくれる。
「あぁ……気持ちいい……」
「ファブ、筋肉ついてきたね」
「そ、そうかな……」
エミリーの手が温かい。
疲れが溶けていく。
隣ではウォールドがエルマさんにマッサージされていた。
「お兄ちゃんも頑張ってるね」
「ああ……母さん、ありがとう……」
地獄の後の天国。
やっぱりこれがあるから頑張れる。
◆◆◆
「今日は穴掘り! 温泉が出るまで掘り続けて!」
「「温泉!?」」
「この辺り、地下に温泉があるって噂なんだよね。見つけたら毎日入れるよ!」
エミリーは笑顔で言うが、僕たちの顔は引きつっている。
「エミリー、それ何メートル掘ればいいんだ……」
「出るまで!」
僕たちはシャベルを握り、掘り始めた。
掘って、掘って、掘り続ける。
腕が悲鳴を上げる。腰が痛い。全身が泥だらけだ。
「もう無理……」
「まだ出ないよ! 頑張って!」
何時間掘っただろうか。
もう感覚がない。
その時。
シュウウウウ……
「「えっ?」」
地面から湯気が立ち上る。
ボコボコボコッ!
「「うわあああっ!」」
熱湯が噴き出した。
僕たちは慌てて穴から飛び出す。
「出た! 温泉出たよ!」
エミリーが飛び跳ねて喜んでいる。
そして夜。
「はぁぁぁ……」
僕たちは自分たちで掘った温泉に浸かっていた。
「極楽だ……」
「これは……頑張った甲斐があった……」
疲れ切った体に、温泉が染み渡る。
地獄の後の天国。
今日の天国は格別だった。
◆◆◆
「今日は崖登り!」
「「崖!?」」
僕たちの前には、切り立った崖がそびえていた。
「てっぺんまで登ってね!」
「エミリー、これは死ぬんじゃ……」
「大丈夫! シフォンが下で待機してるから!」
大丈夫の意味がわからない。
僕たちは崖に取り付いた。
岩を掴み、足場を探し、少しずつ登っていく。
「くっ……手が滑る……」
「ファブ、気をつけろ!」
その時、僕の手が岩から外れた。
「うわあああっ!」
落ちる。
体が宙を舞う。
バクッ!
シフォンの口の中に落ちた。
助かった……でも体中がゲロまみれとなった。
「ファブ! 大丈夫?……うっ、くさっ」
エミリーが鼻を押さえて後ずさる。
「な、なんとか……」
「あっ!お兄ちゃんも落ちた!」
ガブッ!
ウォールドはシフォンの牙でキャッチされた。
いくぶんマシに見えるのは気のせいだ。
二人とも傷だらけだ。
そして夜。
「ファブ、こっちおいで」
エミリーが自分の膝を叩く。
「えっ?」
「膝枕してあげる。今日は頑張ったから」
僕は恐る恐るエミリーの膝に頭を乗せた。
柔らかい。
温かい。
いい匂いがする。
「痛かったね。よく頑張ったね」
エミリーが僕の頭を撫でてくれる。
「えへへ……」
思わず変な声が出た。
でも気持ちいい。
天国だ。これは天国だ。
隣を見ると、ウォールドはエルマさんの膝枕で頭を撫でられていた。
「ウォールドも頑張ったね」
「母さん……俺、頑張ったよ……」
ウォールドは泣いていた。
僕も泣きそうだった。
◆◆◆
「今日は岩石割り!」
「「岩!?」」
目の前には巨大な岩がある。
「これを素手で割って!」
「無理だろ!」
「無理じゃない! 気合いで割れる!」
僕たちは岩に向かって拳を振るう。
ゴッ!
「いてぇぇぇっ!」
岩はびくともしない。
拳だけが痛い。
「集中して! 身体強化よ!」
そうか! 魔法だ!
拳に魔力を集める。よしっ!
全力パンチを放つ!
ゴンッ!
「うぎゃああああ!」
強化しても痛いものは痛かった。血が吹き出す。
「はい! ポーション塗ってあげるね」
ああ、この瞬間がたまらない……。
そして続ける!
一方ウォールドは。
「いってえええっ!」
攻撃を受けたわけではないので、バリアウォールは発動していなかった。
「はい! お兄ちゃんもポーションどうぞ」
「ううっ……塗ってくれないの?」
妹に甘えていた。
そんな事を繰り返しているうちに。
パキッ……
「「おっ?」」
岩にヒビが入った。
「もう少し!」
僕たちは最後の力を振り絞る。
バキィィィン!
岩が真っ二つに割れた。
「「やったあああっ!」」
僕とウォールドは抱き合って喜んだ。
そして夜。
「今日は柔軟体操しようか」
エミリーがストレッチマットを敷く。
「柔軟?」
「筋肉ばかりつけても、体が硬いとダメなんだよ。ほら、ファブ、前屈して」
僕は座って前屈する。
全然届かない。体が硬い。
「もっと伸ばして。私が押してあげるね」
エミリーが僕の背中に回る。
そして、ぐっと押してきた。
「いたたたっ!」
「もうちょっと!」
エミリーの体が僕の背中に密着する。
柔らかい感触が伝わってくる。
温かい息が首筋にかかる。
「ふぁ、ファブ、力抜いて」
「ぬ、抜いてるよ!」
抜いてない。全然抜けない。
心臓がバクバクする。
顔が熱い。
「もっと深く……」
「ひゃあっ!」
変な声が出た。
その時。
「おい」
低い声が聞こえた。
振り向くと、ウォールドが腕を組んで立っていた。
けしからん物を見るような目だった。
「エミリー、俺の柔軟も手伝ってくれ」
「えー、お兄ちゃんは一人で出来るでしょ」
「出来ない。俺も体が硬いんだ」
「じゃあ母さんに頼んで」
「母さんは忙しい。お前に手伝って欲しい」
「もう、仕方ないなぁ」
エミリーは僕から離れて、ウォールドの方へ行った。
僕は安堵したような、残念なような、複雑な気持ちだった。
ウォールドはこちらを見て、小さく頷いた。
……ありがとう、ウォールド。
でも、ちょっと恨むよ。
◆◆◆
「二人とも、よく耐え抜きました」
エミリーが僕たちの前に立つ。
逆光で、まるで後光が差しているように見える。
「あなた達は、成し遂げたのです」
ああ、エミリーが女神に見える。
本当に女神に見える。
「うっ……うっ……」
「やった……俺たち、やったんだ……」
僕とウォールドは、涙を流していた。
バキバキに鍛え上げられた体で、子供のように泣いていた。
◆◆◆
「さあ、仮面を被ってみて!」
エミリーが仮面を差し出す。
「じゃあ、僕から……」
僕は仮面を被る。
そして鏡を見る。
「おお……」
イケメンの顔に、鍛え上げられた体。
以前のようなアンバランスさはない。
でも……
「うーん……」
「どうしたの、ファブ?」
「なんか……無性に腹が立つ顔だ……暑苦しくて、うっとおしい……」
笑うと余計に目を背けたくなる。
鍛え上げられた体に、暑苦しい笑顔。
元の顔が少し変わったので、お面の装着後も変化していた。
なんだか見ていられない。
「確かに……ナルシストの人っぽくなってるぅ」
エミリーも眉間にシワを寄せている。
「だめだ、この顔じゃない……」
「次、お兄ちゃんの番!」
ウォールドが仮面を受け取り、被る。
「おおっ!」
鏡に映ったのは……
イケメンの顔に、鍛え上げられた大きな体。
身長が高いウォールドには、仮面がよく似合っていた。
でも……
「なんか……」
「お兄ちゃん、ちょっと怖いかも……」
イケメンなのに、威圧感がすごい。
大きな体と相まって、まるで……
「魔王みたいだな……」
ウォールドが呟く。
「確かに、魔王っぽい……」
僕も頷く。
イケメンというより、ラスボス感がある。
「でも、カッコいいよお兄ちゃん!」
「そ、そうか?」
ウォールドは照れている。
魔王みたいな顔で照れている。
シュールだ。
ウォールドは仮面を外し、僕に返そうとする。
「この仮面は君にあげるよ」
「えっ?」
僕は仮面を見つめる。
三日三晩かけて作った傑作。
でも、エミリーは僕の顔の方が好きだと言ってくれた。
「魔法の仮面は、僕にはもう必要ないから」
ウォールドは仮面を大切そうに受け取った。
「ありがとう、ファブ。大切に使う」
「役立ててくれ、あっ、そうだ……試作品も大量にあるんだ。今度持ってくるよ」
仮面は手放した。
でも、僕は別のものを手に入れた。
鍛え上げられた体と、自信と……
エミリーの笑顔。
それで十分だった。
◆◆◆
後日。
「おい、見たか?」
「ああ、見た見た。新しいギルドマスターがシゴかれてた」
「あの女の子、怖すぎだろ……」
ギルド内で冒険者たちが噂していた。
実は、僕とウォールドがエミリーに特訓されている姿を、何人かの冒険者が目撃していたらしい。
「あの子、ウォールドの妹だろ?」
「ああ、エミリーって子だ」
「ギルドマスターをあんなにシゴくなんて……」
「しかも、何だかとんでもない魔物を従えてたんだぜ?」
「マジかよ……」
冒険者たちは顔を見合わせる。
「あの子が本当のボスなんじゃないか?」
「確かに……ギルドマスターも頭が上がらないってことは……」
「エミリーこそが、影の支配者……」
そんな噂が、街中に広まっていった。
エミリーは絶対に怒らせてはいけない。
そしてエミリーこそが、ギルドの真の支配者である。
……完全に誤解なのだが、誰も訂正しなかった。




