59.春の約束
季節がひとつ巡り、春の風が町を包み込む頃。
小さなベランダに吊るした洗濯物が揺れている。
窓を開けて陽咲が顔を出すと、外から翔汰の声がした。
「ただいまー!」
手にした紙袋から、温かいパンの匂いが漂う。
翔汰は真新しい制服姿だった。胸には介護施設の名札。
「今日から研修だって言ってたよね?」
「うん。めちゃくちゃ緊張した。でも……楽しかった。」
翔汰は少し照れながら笑った。その笑顔に、陽咲の胸も自然と弾む。
部屋に戻り、二人は狭いちゃぶ台を囲む。
パンをちぎりながら、他愛のない話をする。
それは決して豊かではない生活だ。けれど、確かな幸せに満ちていた。
食後、窓を開けると桜の花びらがひらひらと舞い込んだ。
陽咲は思わずそれを手に取り、翔汰を見つめる。
「ねえ、翔汰。」
「ん?」
「私、もっと歩けるようになったら……一緒に見に行きたい。桜が満開の場所で。」
翔汰は笑ってうなずいた。
「約束だ。次の春は、二人で歩いて行こう。」
陽咲は小さな頷きを返した。
窓から差し込む柔らかな春の光の中で、二人は見つめ合う。
それは決して大げさな未来ではない。
ただ、手を取り合って歩いていく――それだけの未来。
けれどそれこそが、二人にとって何よりも大切で、揺るぎない答えだった。




