10.最初の一歩
「夢は更新してもいい。」
翔汰のその言葉が、頭から離れなかった。
失ったものを嘆くばかりじゃなく、新しいものを探していい――そう思えるだけで、心の奥に小さな灯りがともった気がする。
けれど、「夢を探す」と言葉にしても、具体的に何をすればいいのか分からなかった。
ピアノはもう無理。
じゃあ私は、これから何をすればいいのだろう。
リハビリ室を出たあと、病院の掲示板に「ボランティア募集」という紙が貼られているのを見つけた。
「院内での絵本読み聞かせ」
「リハビリ補助」
「子どもたちとの交流」
指先が自然とその紙に触れていた。
かつての夢――子どもたちに音楽を教えること。
その代わりにはならないかもしれないけれど、どこかで重なる部分がある気がした。
「……やってみようかな。」
小さくつぶやいた声は、誰にも届かないくらいの弱さだった。
それでも、その瞬間に胸の奥が軽くなった。
「できるかどうか」よりも、「やりたいかどうか」で決めてもいいのだと気づいたから。
夕方、病室に来た翔汰にそのことを話すと、彼は嬉しそうに笑った。
「いいじゃん。陽咲らしい。」
「……らしいって何よ。」
「子どもが好きだろ? 前の夢ともつながってるし。」
私は少し照れくさくて、視線をそらした。
けれど、その言葉に背中を押された気がして、申し込み用紙を思い切ってポケットに忍ばせた。
翌週、院内の小さなプレイルームでの読み聞かせに参加した。
車椅子の子、松葉杖をついた子、そして元気いっぱいの子――いろんな表情が集まっていた。
本を開いた瞬間、喉が震えた。
「私なんかで大丈夫だろうか。」
そんな不安が押し寄せたけれど、ページをめくると小さな笑い声が聞こえてきた。
――ああ、この感覚。
夢を追っていた頃、ピアノを弾いて誰かが笑顔になってくれた時と同じ。
自分が誰かの心を少しでも軽くできる。
それがたまらなく嬉しかった。
終わったあと、子どもたちが「また来てね」と笑顔を向けてくれた。
あの日以来ずっと空いていた場所が、少しずつ埋まっていくようだった。
夜、ノートを開いて今日のことを書き残す。
「夢は、まだ分からない。
でも、私の声で子どもたちが笑った。
それがすごく嬉しかった。」
震える文字を見つめながら、涙がこぼれた。
悲しい涙じゃない。
やっと未来に向かって、最初の一歩を踏み出せたから。




