絶望ブリー【3】
藤井は通信制の高校に編入し、目指していた大学に合格した。
藤井と島山の付き合いはずっと続いていた。
会うたびに、島山が大学を出てから鏑木と始めた代行事務所の話を聞くのを藤井は楽しみにしていた。
島山も藤井の意見や感想を大切にしていたので少なくとも月に一度は藤井と食事をしたりして過ごした。
大学を卒業した藤井は島山代行事務所に就職する。
ずっとやりたかった仕事だ、と藤井に言われた島山は涙が出るほどうれしかった。
宮良のそれからの人生はわからない。
警察から藤井に対する接近禁止命令が出され、東京都に住めなくなった宮良は引っ越し、行方がわからなくなっていた。
「その宮良がうちに依頼してくるということは、
哉太はもう接近禁止命令の延長はしてなかったってことか」
「何年間かはしてたんだけどな。もう8年ぐらい経つし」
「哉太、がんばったんだな」
鏑木と篠原、そして筧はいつも明るくて可愛いこの事務所の末っ子がそんなめにあっていたことを知り、
宮良に怒りを覚えた。
宮良のそれからの人生がたとえめちゃくちゃになっていたとしても許される話ではない。
島山も含めて4人は今、隣の部屋で休んでいる藤井を思って胸を痛めていた。
「断る?」
篠原が隣に座っている島山を窺う
背もたれにもたれて伸びをした島山が、男らしい眉をキリッとした大きな目に近づけて、真剣な顔をした。
「哉太に任せる」
「え?」
「依頼内容にもよるけど、哉太に判断してもらう」
そんなことをしたら藤井は責任を感じるのではないだろうか。
依頼内容だけ聞いて、うちではできない、と
島山が断ればいいのではないのか。
しかし島山がこう言うということはそれなりの考えがあるのかもしれない。
「宮良が来る日は、」
鏑木の言葉を遮るように壁にあるドアが開いた。
「俺、いるよ」
「哉太…」
「宮良が来る日、俺もいるから」
ニコッと笑って出てきた藤井を立ち上がった鏑木が
抱きしめる。
鏑木の方が背が低いのだが藤井は甘えるように鏑木の肩に顔をうずめた。
「いるのはいいけど隣の部屋にいろ。
モニタリングすればいい」
「そうだね。依頼の内容によっちゃ俺がいない方がいいかも」
この事務所は代表の島山以外名前を明かしていない。
何人いるのかも広告や会社概要にも記載していないのだ。
宮良の依頼を受けるか受けないかは、藤井を軸にみんなで話し合えばいい。
宮良の名前を聞いて過去を思い出してショックを受けた藤井だったが、少し心が立て直ったようだ。
「とりあえず明日だな。俺と大智が話聞くか。
筧と篠原、哉太は隣の部屋でモニタリングして、
筧は記録頼む」
「オッケ」
「哉太。俺らがいるから。大丈夫だからな」
島山が藤井を見て笑うと、藤井も笑って頷く。
せっかく戻った藤井のこの笑顔。
なにがなんでも消させやしない。
島山はひとり心でそう誓った。
次の日約束の時間に宮良が島山代行事務所にやって来た。
応対したのは予定通り島山と鏑木。
隣の部屋では筧が記録を取るためにパソコンを置いた机に座り、篠原と藤井は仮眠用のベットに腰掛けてそれぞれイヤホンを耳に入れた。
筧が座っている机の隣に大きめのモニターを設置。
その中にスーツを着た若い男が姿を現した。
「宮良で間違いない?」
「うん。老けてるけど間違いないよ」
藤井と篠原がコソコソ話をしてクスクスと笑う。
後ろを振り向いた筧が口に人差し指を当てて、シッと言って笑った。
明るくしているが、藤井が緊張していることなど筧と篠原にはわかっている。
しかし藤井には、気を遣っているのではなく、それが心強いと筧と篠原が思っていると感じていて欲しかった。
「えーと、ご予約いただいていた宮良惟久さんですね。
どうぞどうぞ座ってください」
「はい。よろしくお願いします」
見たところ普通の青年だ。
特にとがった感じもなければ、目立つ感じでもない。
藤井と一緒に見た高校の時の宮良は表では人気者、
裏ではイキったくだらないヤツだった。
「島山代行事務所の島山咲也と申します」
「同じく鏑木大智です」
「宮良惟久と申します」
名刺入れを内ポケットから出した宮良が島山に名刺を渡した。
「ミヤラエステート。社長さんですか?」
「いえ。わたしは千葉支店の支店長をしております」
千葉に住んでいたのか。
島山は名刺を見てから宮良の顔を見つめた。
「ミヤラ、という社名…お父様の会社なんですか?」
「はい」
「支店を任されている、と」
「そうです。と言いましても名ばかりで。
わたしに仕事を教えてくれるものが本店から千葉に来ておりまして、そのものに頼りきりなのが現状です」
恥ずかしそうに照れている宮良は高校の時の面影が
まるでない。
おとなしそうなどこにでもいる青年だった。
「実は今回の依頼がそのものについてなんです」
「本店から来られている方、ということですか?」
「はい」
宮良が持っていたバッグから白い封筒を取り出す。
その中から折り畳まれた用紙を出して広げた。
【北野涼を殺す】
なかなか物騒なことが書かれている用紙を島山が受け取り、鏑木にも見えるようにする。
隣の部屋にいる筧、藤井、篠原が見ているモニターに映っていないかもしれないので、島山が読み上げた。
「北野涼…を殺す。
この北野さんが本店から来られている方なんですね」
「はい。本店からこの北野涼と西秋真がわたしを指導するために来ております」
「北野さんの方にこの手紙が届いたんですね」
島山が手帳にペンを走らせる。
宮良がこくん、と頷いた。
「うちに依頼されたいうことは、この手紙がいたずらではないと宮良さんは思われているんですね」
「はい。これと同じものが今まで5通も支店のポストに入っておりましたので」
週に一度、これと全く同じものがポストに入っていた。
北野はいたずらだから放っておけ、と言って気にも留めていない様子だが、さすが5通も来ると気味が悪かった。
「そして、こちらが今週届いたものです」
またバッグから同じような封筒を取り出して、宮良は島山に渡した。
「拝見させていただきます」
カサ、と音を立てて島山が封筒の中に指を入れる。
こちらもさっきと同じ折り畳まれた用紙が出てきた。
【北野涼を殺す。タイムオーバーだ】
「タイムオーバーね」
「手紙は毎週月曜日に届いてました。
わたしの推測ですが来週の月曜日までに何かアクションがありそうな気がして。
実は月曜日に北野を連れて警察に行きました。
北野は思い当たるふしがないと言いますし、警察もいたずらなのでは、と言って取り合ってくれませんでした」
「それでうちに、ですね」
鏑木の落ち着いた声に、少し興奮気味になっていた
宮良が、ふう、と大きく息を吐いて頷いた。
「はい。なんかわからないんですがすごく嫌な予感がするんです。
北野も西もわたしがそれを言っても笑って相手にしてくれません」
「なるほど」
島山が腕を組んで目を閉じる。
鏑木はいわゆる殺人予告の2枚の紙を見比べていた。
「ご存知だと思いますがうちは探偵ではありません。
なのでこの手紙を送ってきた犯人を事前に突き止めるということはできませんがよろしいですか?」
手に持った2枚の紙から視線を上げた鏑木が宮良を見ると、本当に怯えた顔をしていた。
昨日聞いた高校の時のイキった宮良が想像つかないぐらいなのだ。
宮良に出された殺人予告ではない。
なのになぜこんなに必死になって尚且つこんなに怯えているのかが、鏑木には引っかかっていた。
「はい。承知しております。
身代わりになっていただけるということは存じてますが、具体的にどういったことをしていただけるのかはわかっておりません」
藁にもすがる思いであちこち調べたのだろう。
そして来週の月曜日までというのが本当なら、
時間もない。
しかしそれだけでこんなに怯えるだろうか。
しがも北野自身が思い当たるふしもないと言っているほど信憑性のない手紙だ。
「それは会議をしてからのご報告になるんですけど、簡単に言えばおっしゃる通りうちが身代わりになるということです」
「しかしそれでは身代わりになった島山さんの事務所の誰かに危険が及ぶのでは」
宮良の顔色がさらに悪くなる。
ここへきて身代わりになってもらうということの重大さがわかったのだろうか。
鏑木は島山とやりとりをしている宮良を観察していたが、宮良はもう完全にこの手紙をいたずらではなく本物だと思い込んでいる。
「それは大丈夫ですよ。
うちのメンバーは特殊な訓練を受けてますのでその辺にいるヤツらと比べものにならないぐらい強いので」
「なーにが特殊な訓練だよ」
筧のつぶやきに一緒に隣の部屋にいる篠原と藤井が声を殺して笑う。
キックボクシングとブラジリアン柔術をマスターしている島山に、メンバーは教え込まれているが、特殊な、と島山が言ったのに笑ってしまった。
確かにメンバーは、プロが来ない限り大丈夫なぐらいにはなっているが。
「言い方かっこいいからいいんじゃない?
でも咲の指導はめっちゃしんどいよね」
「短期間で身につけさせる、ってのはわかるけど練習の次の日なんか起き上がれないぐらい体バキバキだもんな」
今でも仕事のない時は島山にジムに連れて行かれ、
数時間、スパーリングなどをしていた。
コソコソと篠原と藤井が楽しそうに話している。
筧は藤井の表情を観察して頷いた。
モニター越しだが今のところ宮良を見ても藤井は大丈夫そうだ。
心は荒れているかもしれないが仲間がいることの心強さが藤井の波立つ心を押さえているのだろう。
宮良に、なるべく早く会議をして段取りを決めるので、待つようにと島山が言った。
「よろしくお願いします」
頭を下げて宮良が帰って行く。
入り口まで見送りに行った島山がドアを閉めて、
しばらくしてからまたドアを開けてそこから顔を出し廊下を確認した。
「よし。みんな集合して」
壁にあるドアから筧、藤井、篠原が出てきてさっきまで宮良が座っていた長椅子に座る。
正面の長椅子に鏑木と島山か座った。
「北野のコピーだけじゃなくて、西もコピーした方が良くね?
本当なら宮良もコピーしたいとこだけど、あいつは
依頼者だしいた方がいいから、まあいっか」
島山の提案に全員が頷く。
本当に殺人予告があった場合、常に宮良と北野と一緒にいる西も危険なのだ。
「依頼者でターゲットじゃないから宮良はコピーしなくてもいいと思う。
俺さ、ずっと気になってたんだけど、なんで宮良はあの手紙がガチだって思ってんのかな」
そう言って鏑木が宮良が置いていった手紙をまた手に取る。
やはり何度も見ても明朝体で書いた文字を印刷しているだけだ。
こんな手紙誰にでも作れる。
いたずらにしては回数が多いからなのだろうか。
「不動産だから恨みを買うこともあるだろうけど…
それにしても普通はいたずらだと思うよな?」
「心当たりがあるんじゃね?
哉太だけじゃなくてさ、他にも恨み買ってんのかもよ?」
藤井があごに手を当てて考えている。
島山が言った、藤井の他にも宮良に同じようなめにあわされた子がいるのかも、というのを鏑木も考えていた。
「ああ、そういえばいたわ。
中学の時、俺が直接見たわけじゃないけど一時期噂になってた」
しかし人気者で先生たちにも好かれていた宮良だ。
ただの噂としていつのまにか消えていった。
他にもいるのか、とその時藤井は思っていたのだ。
「名前わかる?」
「名前まではわかんないけど、裸にされて服を隠されたり、金取られたりした、とかだった。
それを見たって人がいて」
「相変わらずクソみてえなことやってんのな」
はあ、と大きなため息をついた島山がバッ!と目を見開く。
ゆっくりと体を起こして、前に座っている3人と隣の鏑木に丸い目のまま視線を走らせた。
「いじめられてたヤツがもし犯人ならなんで宮良を狙わねえの?」
「マジそれな。俺もそれ考えてた」
「それか、仕事絡みの恨みか」
「どちらにしてもターゲットは宮良になりそうなもんだけどね」
パソコンに入力している書記の筧が画面から目を上げた。
島山が言っていることはメンバー全員が思っていたことだった。
「俺らが疑問に思っていることを宮良に聞いても真実は話さないだろな。時間の無駄だ」
「じゃあ逆に俺らは宮良に言われたことをやるだけ、ってこと?」
そう口にした篠原はなんだか悔しかった。
藤井の話を聞いた篠原は、いくら真面目になっているとはいえ宮良を許すことなどできない。
しかし依頼されたからには宮良が納得する結果を出して喜ばせなければならないのだ。
奥深い理由や宮良がやってきた悪事に全て目をつぶって。言われた通りに。
「篠原。心配すんな。終わった後に宮良に全て
吐かせる」
「終わった後?」
「犯人を警察に引き渡した後だ。
今俺たちか持っている疑問に全て答えてもらう。
それを警察に提出する」
「あはは!咲はやること鬼だな。いや、鬼は宮良
だな」
筧が笑うと隣に座っていた藤井と篠原も笑った。
「もし、犯人が宮良が過去にいじめていた子だとしたら…」
鏑木の声に全員が頷いた。
「宮良にはその子の分、もう一度地獄に落ちてもらう」
「命があるだけ感謝してほしいよ」
「マジそれな。逆に言うと残るのは命だけになるけどな」
「筧!その言い方マジで怖えぞ!」
あはは!と島山が大きな口で笑う。
いつのまにか固くなっていたメンバーたちの肩が柔らかくなった。
「さて、北野と西をコピーするとして〜」
筧がカタカタとキーボードを打つ。
コピーは鏑木と篠原。
今回の依頼は全員で、ということになる。
「俺が北野やる」
サッと篠原が手を上げる。
鏑木が持っていた紙をローテーブルに置いて篠原を見た。
「篠でも全然大丈夫だと思うけど、なんで?」
「やってみたい、ってのと、いうて俺一番下っ端だから先輩を危険なめに遭わせたくないってのもある」
「なんだそれ」
くくく、と鏑木が目を細めて笑った。
しかし隣に座っている島山は真剣な表情をしていた。
「俺が北野をコピーする。西は鏑木。
篠原は今回俺のウォッチだ」
「なんで、」
「今篠原が言った通りだ」
「ということは咲、実は一番下っ端なの?」
筧が冗談っぽくそう言うと、島山の真剣な表情がふにゃっと崩れた。
「バカやろ!そっちじゃねえよ!
お前らを危険なめに遭わせたくないからだろ」
「そっちね」
「筧〜。お前ちょっと黙ってろ!」
さすが筧だ。場の雰囲気も、島山の心も柔らかくする。
命がけになりそうな今回の仕事をいつも通りの感じで進めていこうとしているのだ。
「でもそれはさ、俺らも篠とおんなじだよ?
咲を危険なめに遭わせたくないんだよ」
「自分で言うのもなんだけど、俺が一番強いからな。ターゲットをやって当然なんだよ。
まだホントにターゲットかどうかもわかんねえけどな」
島山にそう言われるとみんなは返す言葉がない。
あとは島山を信じて全力でサポートするしかないのだ。
「あらためて、指示出しは筧。
北野のコピーは俺でウォッチは篠原。
西のコピーは鏑木でウォッチは哉太。
哉太、いけるか?」
藤井がニコッと、いつもの愛くるしい笑顔で親指を立てた手をグッと前に出した。
「任せて!」
「よし!じゃあ今から宮良に連絡を入れて、
明日朝イチで千葉に向かう」
明日は一日かけて、島山と鏑木はコピーする相手の特徴を掴む。
今回の犯人が内部のものの場合も考えて完全にコピーしなければならない。
筧は島山と鏑木の付き添いとして宮良の千葉支店に入り、中の様子を掴む。
藤井と篠原は姿を見せないようにして支店の間取りや流れを掴む。
いつも通りの段取りで進めていくことになった。




