絶望ブリー【1】
うん、と微かに藤井が頷く。
それに頷き返した島山が部屋を出て行った。
篠原、筧、鏑木が顔を見合わせていると、藤井の小さな声が聞こえてきた。
「俺は大丈夫。ごめん心配かけて。咲くんから話、
聞いて」
「でも哉太、ひとりで、」
「大丈夫。頼む。聞いてきてくれ」
「…わかった」
藤井の頭を鏑木が撫でると藤井が口元で笑う。
いつもの愛くるしい笑顔ではないが、少しでも笑ってくれたことに3人は安堵した。
3人が事務所に行き、藤井のいる部屋のドアを閉める。
体調が悪くなってしまった藤井に聞かせられる話ではないのだろう。
そしてこんなことがなければ誰にも言いたくない話だったのだ。
島山だけは知っていたようで事務所に来た3人の顔を見てから、島山は藤井がいる部屋のドアを見つめた。
「単刀直入に言うと、その宮良惟久ってヤツは哉太をいじめてたヤツなんだ」
「はあ?」
この島山代行事務所のメンバーで藤井は年齢的に末っ子だ。
可愛い末っ子がいじめられてたと聞き、兄たちの顔が険しくなった。
「中学でな。かなりエグかったらしい。
それが原因で哉太は不登校になった。
でもがんばって勉強してなんとか全日制の高校に進学できた」
しかしそこにも宮良はついてきた。
高校に行けば明るい未来が待っていると信じて一生懸命受験勉強をした藤井は、絶望して自殺未遂をした。
自分の腕を何箇所も切った。
血まみれになっている藤井を見つけた母親が救急車を呼んで一命を取り留めたが、失血死の一歩手前だった。
「哉太はせっかく合格した高校に通えなかった。
でも担任が保健室登校っての?それを勧めてくれたんだ」
単位を落とさないようにと担任が教室の後ろにカメラをつけてそれを藤井が別室でモニタリングする。
授業も受けられるので成績も落ちずにすんだ。
他の生徒と会わないように朝早く別室に入り、帰りのホームルームの最中に下校する。
毎日そうしているうちに藤井は、様子を見に来る担任と少しずつ話ができるようになった。
「その担任がさ、まあそんな提案してくれるぐらいだから熱血先生だったのよ。
哉太が担任に心許して学校に通えない理由を言ったら、もうその次の日に宮良を呼び出したんだよ」
「熱血だけど空気読めなかったんだな。その先生は」
はあ、と筧が大きなため息をついて腕を組む。
いじめていた相手を呼んだら陰で藤井がどうなるかとか考えず、担任は自分が押さえ込んでやろうとでも思ったのだろう。
「哉太の担任の前では宮良はめちゃめちゃ良いヤツを演じてたんだろな。
その日帰ろうとしていた哉太に、もう大丈夫だから明日から教室で授業を受けなさい、って言ったらしい」
それを聞いた藤井は凍りついた。
中学の時も藤井が宮良がやったと訴えても、先生たちは証拠もないし宮良がそんなことするはずがないと取り合ってくれなかった。
宮良は外面が良かったので先生たちに好かれていた。
いわばクラスの人気者。だから藤井の訴えに誰一人振り向いてくれなかったのだ。
「中学の時、勇気を出して宮良のことを先生に言った哉太は、またいじめられた。
証拠を残さないような陰湿ないじめ方で。
宮良の取り巻きの数人はいじめを知っていたけど
チクるはずもない。
だから宮良がそういうヤツだって知ってるのは哉太だけだったんだ」
せっかく、別室で授業を受けられていたのに。
担任の手前、明日からは教室に行かなければならない。
藤井はその夜、自分の腕を切り刻んだ。
「見舞いに来た担任が、本当に宮良にいじめられてたのか?被害妄想とかかもしれないぞ。
せっかくだからそっちの方の検査もしてもらえばいい、って哉太に言った。
宮良が正常で哉太が異常。
つまり人気者の宮良がうらやましくてついた嘘だ、と担任は言ったんだよ」
「哉太の本質まで見抜けなかったってことか」
「上辺だけで人を判断する薄っぺらな人間だったってことだよな。その熱血クソ担任は」
島山の話を聞き、3人は怒りの色をあらわにする。
担任も担任だが宮良はクソみたいなクズだ。
はらわたが煮え繰り返りそうになるのを抑えて島山の話を聞いていた。
「その時に俺は哉太に会ったんだよ」
「え?その時って、まだここ、」
篠原が目を丸くすると鏑木と筧も瞬きをする。
藤井がこの事務所に入ってきたのは筧とほぼ同時期だったのだ。
「知り合いが入院してて。俺、見舞いに行ったの。
帰ろうと思ってひとりで携帯見ながら病棟の廊下歩いてたら哉太にぶつかっちゃってさ」
背は島山と同じぐらい。
島山も細い方だが藤井はもっと痩せていた。
ぶつかって尻もちをつきそうになった藤井の腕をとっさに島山が掴むと、ネットか包帯のような感触を島山の手が拾った。
「ごめんね。大丈夫?」
「はい」
藤井が来ていた病衣の袖口は処置がしやすいように広い。
それがめくれて島山の目に飛び込んできたのは、上腕から前腕にかけて覆われたネットだった。
しかもそのネットで押さえられているガーゼは前の方にしかない。
火傷か、と島山は思ったが火傷にしてはキレイに前の方にだけ並んでいるガーゼが不自然だった。
藤井を立たせるために島山がもう片方の腕も掴む。
右手にはネットはなかった。
「リスカ?」
遠慮なくそう聞いた島山に藤井は呆れた顔で微笑んだ。
「お兄さんおもしろいね。リスカじゃないよ。
もっとひどい」
「そっか。じゃあ痛かったろ」
「…」
痛かった。痛くて痛くて苦しかった。
リストカットなら切ることで、自分を傷つけることで安心するのだろう。
しかし傷つけたくもないのに、痛いのなんて嫌なのに…死ぬために藤井はがんばったのだ。
それを目の前にいる名前も知らない人がわかってくれた気がした。
次の日藤井がベッドに寝て携帯を見ていると閉め切っていたカーテンが声掛けもなくジャッと開いた。
看護師でも医師でも開ける前に声を掛ける。
びっくりして半身を起こした藤井が見たのはニコッと笑っている島山だった。
「よう!」
「え。お兄さん、なんでここが」
島山と昨日ぶつかったのは廊下。
看護師は個人情報は漏らさないはず。
島山の顔を見ながら藤井はその理由を考えていた。
「そっかそっか。君は頭いい子なんだね。
今なんで俺がここがわかったか考えてたっしょ」
「え、なんでそれが」
この人は超能力者なのか。
藤井は声も出せずに島山の顔を見つめるしかなかった。
「いろいろ知りたい?」
「は、はい」
「んじゃ下のコンビニ行かね?
コーヒーおごるからさ」
藤井の返事を待たずにカーテンの隙間から顔を出していた島山が消える。
携帯だけ握って藤井はあわてて後を追った。
1階にあるコンビニの前。
外来の患者も座れるように壁に沿ってたくさんの長椅子が置いてある。
端っこにちょこんと座っていた藤井に、島山は温かいカフェラテのカップを握らせた。
「自己紹介からいく?」
「あの、先生かなにかですか?」
あはは!と響き渡るような声で笑った島山が病院だと気づき、あわてて口に手を当てて藤井を見た。
「何してんの」
「摘み出されるところだったわ。
俺声デカいから気をつけないと。
あんまりお前がおもしろいこと言うから」
「おもしろい?」
「俺が先生に見えるか?めっちゃバカだぜ?」
あはは!と今度は藤井が笑う。
前を通る人たちにじろり、と見られて藤井も口を押さえた。
「じゃあなんで…」
「自己紹介からな。俺は島山咲也。20歳。
大学生。よろしく」
「藤井哉太です。高一。よろしくお願いします」
カフェラテをひとくち飲んで島山が握手を求めてきた。
藤井がそろりと手を出すとそれを掴んでブンブン!と振り、島山は笑った。
「まず哉太の部屋がなんでわかったか」
親以外から下の名前で呼ばれたことのなかった藤井は、それだけで島山が悪い人ではないような気がしてくる。
小学校の時クラスの子たちを下の名前で呼ぶ先生がいたが、藤井を含め数人のおとなしい子たちは呼ばれなかった。
友達と言える友達はいないがクラスの子もみんな名字で藤井のことを呼んでいたので、なんだかくすぐったい感じだった。
「俺と哉太がぶつかったところ覚えてる?」
「俺の部屋から出てすぐのところ」
「そう。哉太の部屋は病棟の一番奥。
つまり哉太のいる4人部屋より向こうに部屋はない」
「でも俺がもしかしたら病棟内を、例えばリハビリとかで歩いてて、あそこにいたとしたら?」
この病院の病棟は全部真ん中にトイレや洗面所や風呂がある。
それを挟んで両側に病室があるという造りだ。
突き当たりと病棟の入り口からは、両側どちらの病室にも行けるように繋がっているので、ぐるぐる回ることができるのだ。
「それはない」
「え?なんで?」
「哉太はリハビリしてない。
してたとしても腕だ。歩く必要はない」
「…なるほど」
あの一瞬でここまで細かく状況判断をしていた島山を藤井はただただすごいと感動した。
「というのは今答えただけで、お前あの時手にタオル持ってたろ」
「あ、うん」
「タオルを持ってたってことはトイレか洗面所に行くのが目的だったってことだ。
部屋から出て、トイレか洗面所に向かうのに寄り道はしない。
ということは部屋から出てきたところってわけよ」
「なんだ」
「なんだ、ってなんだよ」
ぽん、と島山が藤井の肩を叩く。
持っていたカフェラテを落としそうになった藤井が笑った。
「でも島山さん、」
「その呼び方好きじゃねえな」
「え。え、と、咲くん。4人部屋なのになんで俺のベッドがわかったの?」
「一番手前だったから。
一番手前からカーテン開けていこうとしたら1発目で当たったのよ。ヤバくない?」
島山がおいしそうにコーヒーを飲む。
通る人が少なくなってきたと思ったら、吹き抜けの窓から夕陽が差し込んでいた。
「マジ?ヤバいな」
「というのは冗談で、」
「冗談かい」
「哉太の部屋はわかったけどベッドがわからない。
病室をのぞいてみると全員カーテンを閉めている。
ここで部屋の入り口のネームプレートを見てみたんだよ」
藤井以外はどう見ても若い人の名前ではなかった。
それで島山はわかったのだ。
「なんて読むかわかんなかったけど、後はおっさんくせえ名前だったから。
窓際のお前の隣の人なんておじいさんだろ」
「よくわかったね。めちゃめちゃおじいさんだよ。
咲くんおもしろいね。探偵さん?
それともなんか推理する人?」
今までこんなに誰かと笑いながら明るく話したことがあるだろうか。
気づかないうちに藤井は胸がいっぱいになっていた。
「いや。普通の大学生なんだけど好きなんだよね。
分析するの。
おもろくね?手がかりを拾ってカタチにしていくのって」
「おもしろい!もっと話聞きたい!」
くりくりの目で笑う藤井は可愛らしい普通の16歳だ。
だからこそなんでこんなことになったのかを島山は考えていた。
「あんまネタねえけど、また来るからその時な」
「うん!楽しみ!待ってるね」
それから島山は3〜4日に一度藤井の見舞いに行った。
そして藤井の退院が決まったと知った日、島山は藤井に自殺未遂をした理由を聞いた。
「話したくなかったら話さなくてもいい。
俺は手がかりがほしいんだ。
話してくれるんならできるだけ細かく。
哉太が覚えてること全て教えてほしい」
今まで島山は藤井に未来の話しかしなかった。
冬になったら何がしたい?とか大人になったらどんな仕事がしたい?など、過去を振り返ったことはなかった。
島山が初めて聞いた過去のこと。
藤井はゆっくりと話した。
そして本当は島山に聞いて欲しかったのだとわかった。
「わかった。そっか。苦しかったな」
「…」
気づいたら島山に抱きついて藤井は声をあげて泣いていた。
いつもの1階のコンビニの前の長椅子。
前を通る人たちが全員振り向く。
しかし島山は泣き続ける藤井を止めることなく背中を撫でた。
「それから哉太は退院したんだけど…
担任が言いふらしたんだろうな。
頭のおかしいヤツだというレッテルを貼られてたんだ。
宮良もいるし、そんなんじゃもちろん学校には行けない。
最初のうちは、大丈夫だから来い、と家まで誘いに来たアホな担任もそのうち来なくなる。
休み続けて、とうとう哉太は単位を落とした」
もう一度一年生をやるか、他の学校に編入するか、
退学するかの3択を持って担任が訪問するという連絡が藤井の携帯に入る。
藤井はすぐに島山にラインをした。
3日後、久しぶりに担任が藤井の家にやってきた。
しかも宮良を連れて。
藤井の部屋に入ってきた担任は開口一番こう言った。
「宮良。藤井が謝るって言ってるから許してやってもらえないか?」
「いえ、謝るなんて。俺も藤井が誤解するようなことをしたかもしれないから」
あらかじめ打ち合わせてきたような茶番劇を担任と
宮良が藤井の目の前で繰り広げる。
ベッドに座った藤井はぽかんと口を開けていた。
「宮良はこう言ってくれてるが、藤井、謝るよな?
仲直りできるだろ?
どう考えてもお前の被害妄想なんだから」
「先生、もういいですって。な?藤井」
閉ざされた狭い部屋。
2対1で迫られたみたいな藤井がニコッと笑う。
その笑顔に、藤井のことを頭がおかしくなっている、と決めつけていた担任が怯えた表情になった。
「いやいや。謝るのはそっちでしょ。
何言ってんすか?」
「ふ、藤井?お、お前、狂ったのか?」
「狂ってんのもそっち。なあ宮良。そうだよな?」
目を泳がせた宮良は言葉も出ない。
宮良は怯えて震えている藤井しか知らないので無理もない。
完全に怯えている担任が宮良に助けを求める視線を投げかけていた。
「宮良。コイツに本当のこと言ったのか?
言ってねえよな?
言ってやれよ。コイツ、ビビって漏らすかもしんねえぞ?」
「おい。誰に口聞いてんだ」
宮良が座っている藤井の真ん前に立って見下ろす。
宮良の形相を見た担任は、いつもの宮良との違いに目を見開いていた。




