同姓同名の詐欺師【9】
ふう、とひとつ息を吐いた社長が島山を見つめる。
合わせた視線を逸らさずに島山は頷いた。
「そうです。鏑木くんは…
わたしのたったひとりの大切な人です」
鏑木はこの仕事を依頼された時、心当たりがないと言っていた。
しかし今目の前にいる社長は鏑木のことを大切な人だと言った。
そういうからには接触があったはずたが、顔や名前を変えてしまっているので、それも仕方のなかったことなのか。
今、阿藤をコピーしている鏑木からは島山は何も感じ取れない。
しかし鏑木はコピー。そうでなくては困るのだが。
「たったひとりの大切な人であり、この世で一番憎い相手です」
「そう…ですか。
わたしは所長としてあなたを鏑木に会わせるか会わせないかを、見極める権利があると思ってます。
それは鏑木の安全を確保するためです」
「はい。島山さんの判断にお任せします。
わたしはそれに従います」
社長は喉から手が出るほど鏑木に会いたいはずだ。
10年探してやっと居場所がわかったのだ。
それなのに会わせてくれと懇願するどころか社長はやたらと落ち着いていた。
「島山さんのお考えに従いますが、その前に鏑木とわたしの話を聞いていただけませんか?」
「もちろんです。それもふまえて考えさせていただきます」
「陽。お前も一緒に聞いてくれ」
島山に軽く頭を下げた社長が、弟を見てまた優しく微笑む。
島山の隣で阿藤をコピーしている鏑木が、はい、と小さな返事をして姿勢を正した。
「わたしが鏑木に出会ったのは高校一年生の時でした」
養父の決めた高校は地元神奈川では有名な進学校だった。
秋沢静は中学での成績は良い方だったが、その進学校に合格するとなると死に物狂いで勉強しなければならなかった。
静は寝る間も惜しんで勉強をしたがそれも養父のため。
自分自身は別に行きたい高校でもなかったのだ。
「なんとか合格はしたんですが予想していた通り、頭の良い人揃いなんで。
最初はその人たちに食らいついていこうと必死で勉強していたんですが」
息抜きに、と元々本を読むのが好きだった静は学校の図書館に通うようになる。
勉強の合間に好きな本を読む、というのが、いつのまにか本を読む合間に勉強、という形になっていた。
「小説が好きなのでいろんな小説を読み漁っていたんですが、ある時主人公が会社を設立するまでの小説に出会ったんです」
無一文の主人公が金を貯めて会社を興し、日本でも有数の企業に成長させる話だった。
実話ではなかったがそこは小説なのでまるで実話のように書いていた。
いろいろなアイデアを駆使して上り詰めていく主人公。
その小説の魅力にはまった静はそこから経営に関する本を読み始めた。
「おかげで1学期の成績はガタガタでした」
終業式で成績表をもらった時に担任から残るようにと静は言われる。
夏休みの課題が他の人より増えるのだろう。
帰って行く生徒たちを見ながら静はため息をついた。
窓の向こうは静の心に反して眩しく青い空が広がる。
その美しい空もなんのためにあるのかさえ、静には理解できない。
世の中、理由なんていらないものばかりではないか。
成績が良いからといって何になるのだ。
頭が良ければそれで良いのではないのか。
空っぽになった教室にひとり残された静は終業式と書かれた黒板をにらみつけた。
一度職員室に戻ったらしき担任が、両手に問題集を抱えて再び教室に入ってくる。
あれが全部自分の課題…。
予想以上の冊子の多さに静は落胆した。
「わかってると思うが夏休みの課題だ」
もちろん夏休みの課題はもう配られている。
それプラスということなのだ。
先に配られてる課題だけでも静にはできるかどうか、という量だった。
「秋沢、鏑木。取りに来なさい」
パッと静が振り返る。
てっきり残されたのは自分ひとりだと思っていた静は、後ろの方の席に座っている鏑木を見て驚いた。
同じクラスなので鏑木の名前と顔は知っていた。
鏑木が振り向いた静を見て微笑む。
全く気配を感じなかった静は驚き過ぎて微笑みを返せなかった。
担任が出て行った教室。
静と鏑木の机の上には問題集が積まれている。
それを一冊ずつカバンに入れていた静に鏑木が話しかけてきた。
「秋沢は、勉強嫌い?」
クラスメイトの発言も聞かずに、授業中に他のことを考えている静が、初めて聞いたと言っても過言ではない鏑木の声。
低く穏やかで優しいその声に静は頷くことも忘れた。
「嫌いってわけじゃないけど…勉強する意味がわかんない」
「へえ」
鏑木が微笑む。
その笑顔も声と同じで穏やかで優しかった。
静はクラスメイトに全く興味がなかった。
勉強だけをしに来ているクラスメイトと気が合うはずもなく、友達もいなかった。
しかしそれは静にとって自分の時間を自分のためだけに使えるという喜びだったのだ。
家に帰ると本を読んでいるところをもし見つかったら怒られる。
学校の成績が悪いことを本のせいにされてしまう。
学校にいる間だけが静にとってひとりになれる大切な時間だったのだ。
「勉強できなくても頭良ければいいんじゃないって思うんだよ」
成績のいいやつが頭が良いとは限らない。
静はずっとそう思っていた。
問題が解けたからといってなんなのだ。
そんなもの練習さえすれば誰にでもできる。
文系の勉強など暗記さえすればできる。
そんな誰にでもできることができたからといってなんになるのだ。
鏑木に聞かれた静は自論を熱く語ってしまった。
「ごめん。しゃべりすぎた」
鏑木は目を丸くしていた。
その顔を見て静は一気に冷静になり、恥ずかしくなった。
「ううん。全然。いや、びっくりしてさ」
鏑木が丸くしていた目を細めてさっきよりもさらに穏やかに微笑む。
静がこんなにしゃべる人だと思わなかったのだろう。
鏑木が驚くのも無理はないと静は口元に苦笑いを浮かべた。
「俺も全くおんなじこと思ってるから」
「え?鏑木、も?」
「うん。だからお前とこうやって残されてるんじゃね?」
ふたりきりの教室に笑い声が響く。
静は学校で初めて笑った気がしてうれしかった。
「なあ。協力しない?」
「宿題?」
「うん。半分ずつやれば楽勝じゃん」
鏑木の提案に静は頷こうとして止まる。
少し離れた席で不思議そうに鏑木が静を見ていた。
「俺んち…ちょっと複雑でさ。
家に人を呼べないんだよ。
で、たぶん人の家にも行けないと思う」
とにかく勉強しろという養父だ。
家に友達を呼べば、たとえ勉強すると言っても信じないだろう。
そして逆に友達の家に行くと言えば遊びに行くと思われて行かせてもらえないに決まっている。
せっかく鏑木と仲良くなれそうだったのに。
考えがが同じな人に初めて出会ったのに。
静は瞬きをしながら鏑木にそう話した。
「そっか。じゃあ学校に行くって言って出てこいよ」
「学校?」
「夏休みは図書館の自習室が開放されるだろ?
学校に行くって言えば嘘じゃないし、制服着て家を出たら親も遊びに行くとは思わないだろ」
学校にいるのは事実だ。しかも宿題をしているのだ。
もし仮に親が学校に確認したとしても本当にいるのだから安心だ。
鏑木の名案に静はニコッと笑った。
「頭いいな鏑木」
「だから言ってんじゃん。頭いいけど成績は悪いって。
静とおんなじ」
「…下の名前も知ってたの?」
いきなり下の名前で呼ばれたことに静が驚く。
担任が何度かフルネームで呼んだことはあるかもしれないが、そんなものいちいち覚えていないだろう。
それを証拠に静は鏑木の下の名前を知らなかった。
「俺は一度聞いた名前は覚えてる。
入学式の日に全員のフルネーム呼ばれたろ?」
「全員、て。入学式の時に全員覚えたの?」
ひとクラス30人で8クラスだ。
240人の名前を鏑木はその一瞬で覚えたというのか。
驚きを通り越して静は感動していた。
「生徒たちだけじゃないよ。
先生たちも自己紹介したよな。それも全部」
「マジかよ」
ニコッと笑った鏑木が、自分の机の上に置いてあった黒のパスケースを人差し指と中指で挟んでスッと顔の前まで上げる。
それを見た静がえ?と首を前に出した。
「それ、俺の、」
「さっきカバンに課題を入れてる時に落としたんだよ」
鏑木の指に挟まれているのは静のパスケース。
両面にカードを入れられるようになっていて片面にはICカードの定期、もう片面には学生証を入れていた。
「お前、それ見て俺の下の名前、」
「信じた?俺が全員の名前を一瞬で覚えたって」
「もう!マジで信じたんだからな!」
椅子から立ち上がった鏑木がパスケースを持って静の席まで歩いてきた。
鏑木が静にパスケースを渡し、またふたりで大笑いした。
「俺は大智。鏑木大智だよ」
「大智ね。もう笑いすぎて腹痛いわ」
同じ考えを持つ鏑木に出会えたことが静の運命を大きく変えていくことになる。
この時はまだそんなことを二人は知らなかったが。
夏休みに入り毎日のように静は鏑木と待ち合わせて学校の図書館で宿題をした。
鏑木の言った通り養父も制服を着て学校で勉強する、と出て行く静に怒ることもなく、逆に悪い成績が上がると喜んでいた。
「わたしは養父が決めた大学に進まねばならなかったのですが、仲良くなった鏑木と離れるのは本意ではありませんでした」
3年生になり進学先を決めなければならない時期が来た。
鏑木が進学を希望している大学を知らなかった静は、この日の帰りに思い切って鏑木にそのことを聞いてみた。
鏑木が希望する大学に、無理なことはわかっていたが静も行きたいと考えていたのだ。
「俺?まだ決めてないんだよね。
でも成績底辺じゃ選ぶところも限られてるし」
暑い暑い夏の日差しが鏑木の髪に落ちる。
後ろに流してセットしている横髪が、生ぬるい風に吹かれているのを静は見ていた。
「大智、行きたい大学ないの?」
「どこ行ってもおんなじだよ。俺のやりたいことは
大学には転がってないからな。
でも親も行けって言うし、行って損はないから大学には行くけど」
「そっか」
大智のやりたいことってなんだろう。
大学にはないもの…。
静は養父の指定した大学の経済学部に入らなければならない。
やりたいことがあろうとなかろうと。
自由な鏑木と縛られた自分を比較して静は落ち込んだ。
「大智は…入れたらどこでもいいの?」
鏑木が希望する大学に本当は行けない静だったが、鏑木が希望する大学がないとなると一縷の望みに賭けたくなった。
それぐらい離れたくなかったのかもしれない。
一年から同じクラスで学校にいる間はずっと鏑木と一緒だ。
いない生活がもう考えられなかった。
「底辺は大変だけど、あんまりアホなとこは親に怒られるけどな」
「そっか」
「なに?静、お前なんか言いたいことあるんだろ」
鏑木にそう言われた静は顔を下に向ける。
少し傾いてきた日差しがふたりの影を伸ばしていた。
なかなか言い出さない静を急かすことなく鏑木は待っている。
ポケットに手を突っ込んでゆっくりと歩いている鏑木の方を静はチラッと見た。
「行きたいとこ、ないんなら、さ」
「うん」
「俺の受けるとこ受けてよ」
横顔だった鏑木が静の方へ顔を向ける。
シースルーの長めの前髪がかかった鏑木の目がまんまるだった。
引かれてる、と静は感じた。
それと同時に胸がどうしようもなく苦しくなる。
風で小さく揺れている鏑木の前髪。静は初めてキレイだと思った。
「ごめん、冗談、」
「いいよ」
「え?」
いつもの低くて優しい声だった。
大学受験という一大イベントなのに静の願いを鏑木はあっさり承諾した。
「受かるかどうかわからないけど、と鏑木は言いましたが、わたしよりも成績が良かったので。
と、言いましてもふたりとも底辺でしたけど」
当時を思い出しているのだろう。
社長の表情が優しい。
島山もつられて微笑んでいた。
「その時、気づいたんです。
わたしは鏑木のことを友達として好きなのではないと」
「離れたくない、ってのはそういう意味だったんですね」
島山が頷くと社長も頷く。
島山は、ひとことも話さずに隣に座っている阿藤をコピーしている鏑木を見た。
社長にわからないように鏑木の腰をつつくと、
大丈夫、という意味を込めて鏑木はほんの少し頷いた。
「鏑木と同じ大学に通えたんですか?」
「はい。なんとかふたりとも合格しまして。
学部も同じでしたので高校の時と同じく毎日みたいに鏑木といました」
静は自分の気持ちを認めたがそれを鏑木に伝えることはしなかった。
失いたくないからだ。
鏑木が自分のことを友達としてしか見ていないことは静自身が一番わかっていたので、伝えることにより今の関係が壊れることもわかっていた。
「大学4年の秋でした。
鏑木は夏に就活をしていたのですが、やりたいことが見つかったらしく、内定を蹴りました。
でもとても喜んでいました」
研修に参加しなくてはならないから、と卒論を異例の早さで仕上げた鏑木は、大学に来なくなった。
研修に参加していることを静は知っていたのであえて連絡はしなかった。
鏑木に会えない日も鏑木のことばかり考えてしまう。
しかしあと数ヶ月後には今度こそ本当に離れ離れなのだ。
社会人になっても会おうぜ、と鏑木は言っていたが。
養父の、決して軌道に乗っているわけではない会社に静は入社する。
常に監視されているようなものだ。
遊んでいたりしたら怒られる。
鏑木にもなかなか会えないだろう。
鏑木が大学に来なくなって2週間ほどしたある日、静は大学の最寄り駅で鏑木に偶然会った。
「久しぶり」
「マジ久しぶり。研修いってんのか?」
うん、と頷いた鏑木の顔がいきいきとしている。
仕事が楽しいと顔に書いていた。
自分は今から雁字がらめの生活を送る。
それに対して鏑木は自分の好きな仕事に就いて楽しく過ごすのだ。
静は心底うらやましかった。
ふたりで目的地もなく歩いて行く。
いつの間にか高校の帰りにふたりでよく行っていた川原に着いていた。
汚れるの気にせずふたりで枯れ草が生い茂る土の上に座る。
少し離れたところで川の流れがキラキラと光っていた。
「マジでうらやましいよ。
俺なんてこれからの人生、好きでもない仕事を黙々とただやっていくだけなんだもんな」
「好きでもない仕事、か」
「自分でやりたい仕事じゃないから、そうなんだろな」
静は地面に転がっている石を掴んでぎゅっと握る。
その痛さは今の静の心の痛さなのかもしれない。
しかし親友の鏑木だけでも好きな仕事に就けたことは素直にうれしかった。
「大智は好きな仕事に就けたんだ。
これからの人生楽しめよ!また話聞かせてくれよな」
「なあ、静」
静が鏑木の方を向くと、鏑木が体ごと静の方を向いている。
夜に近づいてきた川原にひんやりと冷たい風が吹いてきた。
「静も好きな仕事をすればいいよ」
「だから俺は、」
「開発でも展開でもなんでもいいじゃん。
俺さ、静のひらめきってすごいな、っていつもうらやましかった」
高校、大学と一緒に過ごしてきたその間、鏑木はいつも静のアイデアに驚いていた。
自分では決して思いつきもしないことを静は思いつく。
そしてセンスがあるのだ。
「親父さんの会社で、静のアイデアで新しいことやったらいいじゃん。失敗してもいい。
成功したらラッキーぐらいに思ってればいいよ」
「大智…」
「それ考えるのも、その過程も楽しいだろ?」
この日、鏑木の言葉で静は真っ暗だったこれからの自分の人生に、ひと筋の光が差した気がした。




