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2-3

 まどろみの中、けたたましい音が丈瑠の鼓膜を震わせる。騒音はまだ寝ていたいという丈瑠の意思を阻み、意識を覚醒へと近づけていく。


「……うるさい……」


 うめくようにそう言った丈瑠は、のそりと手を伸ばして音の発生源――スマホのアラームを止めた。

 寝ぼけ眼のままスマホで時間を確認すれば、七時と表示されている。いつも起きる時間より三十分遅い。完全に寝坊だ。それなのに、完全に寝不足である。

 寝坊の原因は様々。昨日は色んなことがあり過ぎた。

 ただ、学校に行かないわけにはいかない。大輔があの状態である以上、丈瑠がSKYにログインしなければ、美波はあの世界で一人ぼっちになってしまうかもしれない。

 自分が求められているとは思わないが、枯れ木も山の賑わいだ。話し相手くらいにはなれるだろう。

 幸か不幸か、寝不足の所為で食欲はない。体に悪いが朝ごはんは抜くことにして、丈瑠はヘッドギアを被り、SKYにログインする。

 SKY内の自宅で支度を整えて、家を出る。寝坊はしたが、朝ごはんを抜いたこともあって、いつもより少し早く学校に着いた。

 教室の中を覗くと、まだ美波と大輔は来ていない。

 自分の席に着いて、二人が来るのを待つ。

 すると、十分ほどして美波が登校してきた。


「おはよう」


 美波が席に着くところを見計らって声をかける。

 何を言えばいいかわからなくなるかと思ったが、意外と平常心のまま、言葉もすんなり出てきた。

 それはさておき、机にカバンを置いた美波は、心なしか疲れているように見えた。


「おはよう、速水君」


「なんだか、ずいぶんと眠そうだな」


「昨日、ちょっと寝つきが悪くて……」


 苦笑しながら答える美波に、丈瑠も「そうか」と頷いた。

 どうやら眠れなかったのは、丈瑠だけではなかったらしい。もっとも美波が眠れなかった理由は、丈瑠と違って純粋に悠子を失ったショックからかもしれないが。


「昨日、あんなことがあったばかりだから、仕方ないよ。とりあえず、あんまり無理するなよ」


「うん、ありがとう」


 丈瑠が気遣うように言うと、美波は微笑みながら頷いた。ただ、すぐに心配そうな顔になって、自分の前の席に目を向ける。


「木島君は、まだ?」


「うん、まだ来てない。野球部の朝練にも出てないみたいだったし……この様子だと、たぶん休みだと思う」


「そっか」


 二人で主がいない空っぽの席を見つめる。

 すると、昨日の悠子と似たような状況に不安を感じたのだろう。


「私、ちょっと連絡してみる」


 美波はスマホを取り出し、大輔にメッセージを打ち始めた。


【おはよう】【学校に来ないから、連絡してみました】【体調、大丈夫ですか?】


 ほどなくして、四人のグループチャットに大輔宛のメッセージが投稿された。

 しかし、大輔の既読はつかない。たとえ現実世界にいるとしてもメッセージ自体は届いているはずだから、単純に気付いていないのか、無視されているのか。それとも、見られる状況にないのか……。

 そこまで考えてしまったところで、丈瑠は嫌な考えを打ち消すようにチャット画面を閉じた。

 同時に本鈴が鳴り、担任が教室に入ってくる。

 こうなったら、ひとまず向こうから連絡が来るのを待つしかない。もやもやした気持ちを抱えながらも、丈瑠は教卓の方を向いた。


          * * *


 結局、放課後になるまで大輔からの連絡はなかった。

 丈瑠も美波と一緒に休み時間になる度にスマホを確認したが、一時間目の後の休み時間に既読になったきり、動きがないままだ。

 今日は担任が何も言わなかったこと、そしてメッセージが既読になったことで、大輔の無事は確かめられた。ただ、何もメッセージが返ってこないのは、友達としてやっぱり心配だ。


「木島君、明日は出てくるかな……」


「わからない。あいつのことだから、いつまでも塞ぎこんでいることはないと思うけど……」


 放課後になり、朝と同じく美波と二人で大輔の席を見つめる。

 すると、その時だ。丈瑠と美波のスマホが同時に震えた。

 二人で顔を見合わせ、それぞれスマホを見る。通知はグループチャットに大輔からメッセージが入ったというもの。急いで開いたグループチャットの画面に表示されたのは、三つのメッセージだった。


【心配かけて悪い】【ちょっと学校の屋上に来てくれんか?】【話したいことがあるんだ】


 メッセージを読んだ瞬間、丈瑠と美波は教室を飛び出した。

 階段を駆け上がって、屋上に出る。ただ、扉を開けた時に夕焼けの太陽を思い切り見てしまい、眩しさで少しの間目がチカチカしてしまった。


「よう。呼び出して悪いな」


 ぼやけた視界の向こうから、大輔の声がした。段々と目が慣れて、見える景色がはっきりしてくる。

 そこには、いつもと変わらぬ制服姿の大輔が立っていた。

 丈瑠と美波は、安堵の吐息を漏らしながら、大輔に駆け寄る。


「メッセージ返ってこないから心配してたよ。元気そうでよかった」


「そっちもごめんな。返そうとは思ったんだけど、なかなかできなくてさ」


「謝らなくていいよ。大輔君がまた学校に来てくれただけでうれしい」


 申し訳なさそうに頭を下げる大輔に、美波が気にしないでと首を振る。


「本当に、鹿野の言う通りだ。――で、話ってなんだよ」


 丈瑠も大輔と会えて安心した所為か、いつもより饒舌に話を振ってしまう。

 すると、大輔は困った顔で頭を掻きながら、「ああ、それなんだけどな……」と言い淀んだ。

 大輔の様子に、丈瑠と美波は訝しげに首を傾げる。

 そんな二人の顔を見て、心を決めたのだろう。大輔は「よし!」と一つ頷き、すっきりした笑顔で口を開いた。


「俺、SKYのベータテスターやめるわ。この世界から去ることにした」


「え……?」


 突然の宣言に、隣の美波が目を丸くして呆然と立ち尽くした。

 一方、丈瑠は冷静な目で大輔を見つめて口を開く。


「……どういうことだ?」


「俺さ、昨日から丸一日、ずっと考えてたんだよ。俺の命だって、いつ終わるかわからない。だったら、今の俺がやるべきことは何だろうってな」


「……それで?」


「人生で一番頭使って考えて、答えを出した。俺は、悠子ができなかったことを代わりにやるって」


 問う丈瑠に、大輔は朗らかな声音で答えていく。その口調が、大輔の決意の固さを窺わせる。

 ただ、決意の固さはわかるが、それでもいまいち要領を得ない。丈瑠は、さらに大輔に問う。


「お前が悠子のことを大事に思っているのはよくわかるよ。でも、それが何でこの世界から去ることになるんだ?」


「悠子は、一日でも長く生きたいって言ってた。生きていれば、楽しいことに出会えるって……。だから俺、終末期医療をやめて、病気と闘うことにしたんだ。一日でも長く生きるために」


 そう言って、大輔は夕焼けでオレンジ色に染まった空を見上げる。


「俺、医者から余命宣告されて、実感も持ててないのにぼんやりとすべてを諦めちまってた。『最期まで自分らしく』なんてもっともらしいこと言って、自分の命と向き合うことを避けてた」


「大輔……」


「けど、悠子がいなくなったことで、あいつの言葉がどれだけ重いものだったか気が付いたんだ。だから……別に悠子は望まないかもしれないけど、自分を納得させるためにも闘ってみることにしたんだ」


 自分の決意をすべて語り、大輔は視線を前に戻して丈瑠と美波を見つめる。そして、肩をすくめながら再び困ったように笑った。


「やっぱり怒るか?」


「何で怒るんだよ。てか、怒れるわけないじゃんか」


 大輔の言葉に、丈瑠は彼と同じく肩をすくめながら、やれやれといった口調で答える。

 そして、丈瑠の隣で美波も大きく頷く。


「それを聞いたら、きっと悠子ちゃんも喜ぶと思う」


「ありがとう、鹿野。丈瑠も」


 感謝の言葉を言った大輔が、ようやくいつもの明るい笑顔を見せる。

 そんな大輔に向かって、丈瑠は自分のこぶしを突き出した。


「俺が言えた義理じゃないけど、闘うなら最後まで諦めるなよ。――悠子のためにも」


「おう! もちろんだ!」


 丈瑠のこぶしに自らのこぶしをぶつけて、大輔が力強く頷く。

 大輔はそのまま、昨日と同じく美波と丈瑠の間を抜けて、屋上の出入り口の方へと歩いていった。

 しかし、その歩みは昨日と明らかに違う。迷いが一切ない、頼もしい歩みだ。


「じゃあ、そろそろ行くわ。今までありがとうな。お前たちと友達になれて、本当に楽しかったよ」


 そう言い残し、大輔は去っていった。

 この学校からも、この世界からも。


「強いな、あいつは」


「うん」


 大輔が去った扉を見つめたまま丈瑠が呟くと、美波もしみじみと頷きながら返事をしてきた。

 本当に、大輔は強い。

 悠子の死と自分の命を見つめ直し、自分が進むべき道を自ら選び取った。誰にでもできることではないだろう。


「速水君はどうするの?」


 丈瑠が大輔の決断に思いを馳せていると、不意に美波が声をかけてきた。


「俺はここに残るよ。大輔のようにはできないし」


 丈瑠はゆるゆると首を振りながら、美波の問いかけに答える。

 大輔と同じく病気と闘う道もあるかもしれない。けれど、今の丈瑠には、それ以上に大事なことがある。それを果たすまで、ここから出ていくという選択は丈瑠の中にない。

 丈瑠は、「そっか」と微笑みながら言う美波を見つめる。

 と、そこで丈瑠はふと一つの可能性に気が付いた。

 自分にはできなくても、美波にはできるのではないか。これを()()として、美波もログアウトできない現状を打破するのではないか。

 そんな普通に見れば大変喜ばしいが、今の丈瑠にとっては困ってしまう可能性に……。


「鹿野の方こそ、どうするんだ?」

「私も……まだこの世界から出ていく勇気がないかな。まあ、私の場合はどうすればログアウトできるのかもわからないけど」


 丈瑠が内心で焦りつつも表面上は冷静な顔をして同じ問いをぶつけると、美波は困ったように笑いながら答えた。

 不謹慎極まりないとわかっているが、心の中で思い切り安堵してしまう。

 同時に、今がその時だとも思った。図らずも大輔の行動が、丈瑠の心に最後の一押しをくれた。

 心の中で言うべき言葉をもう一度確認する。加えて、まだ及び腰になりそうな心を無理矢理奮い立たせる。

 三十秒ほどかけて覚悟を決めた丈瑠は、「鹿野」と美波に向かって呼びかけた。


「ん? 何?」


 美波が丈瑠の目を見つめる。

 それだけで怖じ気付きそうになる。思わず「いや、何でもない」という言葉が喉の奥から出かかるくらいに。

 だが、丈瑠はその言葉をぐっと飲みこみ、声が裏返りそうになるのを必死に抑えながら別の言葉を絞り出す。


「まだこの世界にいるって言うならさ――」


「ん? うん」


「――俺と付き合ってくれないか?」


「……ん……?」


 丈瑠に言葉を聞いて数舜、美波が表情を変えないまま固まった。言われた言葉の意味を理解し、その上で処理し切れずにフリーズしたようだ。

 やっぱり唐突過ぎたか。

 先ほどまで感じていた『今しかない!』という思いはあっさりどこかへ消え去り、焦りと動揺、そして不安だけが心に残る。

 けれど、一度言ったらもう取り消せない。一度踏み出してしまった以上、もう踏み出す前に戻すことはできない。今更取り消したところで、しこりが残るだけだ。

 だから、勇気を出してもう一歩踏み込む。


「やっぱり唐突過ぎたよな……。もしよければって思ったんだけど……」


 しかし、出てきた言葉は何とも情けない言い訳のような釈明だった。もう少しマシな言い方がいくらでもあるだろう、と速攻で自分にダメ出ししてしまう。

 そして硬直から復帰した美波は、夕焼けに照らされてなおはっきりわかるくらい顔を赤くして、あたふたしている。


「あ……ええ……その……それは買い物に付き合ってとかそういう……」


「いや、一応交際の申し込みと言いますか、何と言いますか……。」


 しどろもどろに確認してくる美波へ、丈瑠も尻切れトンボのような自信のない返答をしてしまった。

 何かもうぐだぐだだ。

 今度はこの空気にいたたまれなくなって、「変なこと言って、ごめん」と謝ってしまいたくなった。まあ、美波への気持ちは本気なので、ここもグッと堪えたが。

 とりあえず、このままではより一層ぐだぐだな空気になっていくだけな気がする。

 だから――ちゃんとしなきゃダメだ。自分が始めたのだから、自分がちゃんとしなきゃ。

 丈瑠は、まだオロオロ取り乱している美波に、三度勇気を振り絞って声をかける。


「俺、鹿野のことが好きだ。だから、俺と付き合ってほしい」


「ふえっ!」


 勘違いされないように、今度は自分の気持ちをきちんと伝えた。

 真正面から誰かに「好き」と言ったのなんて、初めてのことだ。なんかもう恥ずかしいを通り越して、逆にすっきりした。

 ちなみに美波の方はこれ以上ないってくらい真っ赤になっている。そして、目がグルグル回っている。

 ……ちょっとやり過ぎたかもしれない。


「あのさ、一応言っておくと鹿野を困らせたいわけじゃなかったんだ。ただ……いつ言えなくなるかもわからないから、きちんと伝えておきたくて」


「うん。それは……その、わかってる。速水君、そういう冗談を言う人じゃないし。あの……私の方こそ、取り乱してごめんなさい……」


「いや、謝る必要はないと言うか、今その言葉を聞くとものすごく心に刺さると言うか……」


「そ、そうだよね。ごめん――あ……」


「うん、気にしなくていいから。それと、俺も心の準備をしたいというか、今すぐ返事をしてくれって言うつもりはないんだ。だから、その……よろしければ持ち帰って少し考えてみてくれるとうれしいと言いますか……」


「じゃあ、そういうことで……」


 結局へたれた提案する丈瑠に対し、美波が顔を赤くしたまま首振り人形のようにコクコクと何度も頷く。

 そんなこんなで、この日は何とも微妙な空気のまま、美波と別れて帰ることになった。


          * * *


「あ~……。う~……」


 SKYからログアウトして夕食を終えた丈瑠は、ベッドの中で悶えていた。普段はあまり言うことを聞かない体が、こういう時だけは驚くくらいよく動く。まったく忌々しい。

 こうなった原因は、もちろん美波への告白だ。

 頭の中でシミュレーションまでして、もっとかっこよく決めるはずだったのに、完全にやらかした。何で今しかないと思って見切り発車してしまったのか。その上、一歩踏み込んで出てきたのが『もしよければって思ったんだけど……』ってなんだよ。テンパっていたにしても、言い方最悪過ぎるだろう。

 思い出す度に恥ずかしくなって、今すぐ穴を掘って埋まりたくなってくる。


「やばいよな、あれ。傍から見ていたら、絶対にキモいやつじゃん」


 病室の天井を見上げ、自身が発した言葉に打ちのめされて、ため息をつく。一通り悶え尽くして体力も尽き、興奮状態が落ち着いてくると、今度は不安が頭をもたげてきた。

 一世一代の告白なのに、あれではかっこ悪いという印象しか残らなかったのではないか。いや、それ以前に美波からも気持ち悪いとか思われていたらどうしよう。

 嫌な想像ばかりが浮かんできて、「あぁ~……」と呻きながら頭を抱えてしまう。


「やばいよ……。フラれる未来しか想像できない……」


 先ほどから、「やばい」しか言葉が出てこない。

 屋上で美波が言っていた『ごめんなさい』が頭の中でリフレインされる。あの言葉を、今度は別の意味で聞くことになる未来が容易に想像できた。


「それに……もしフラれたら、これから先どうすりゃいいんだ……」


 自分がフラれても、SKYでの学校生活は続くのだ。けれど、フラれた後にどうやって美波と接していったらいいか、丈瑠にはまったくビジョンが湧かなかった。

 自分も美波も、あまりコミュ力が高い方ではない。自力で告白前の関係に戻ることは難しいだろう。そして、コミュ力お化けでムードメーカーであった悠子と大輔も、もういない。今までのように、他力本願で人間関係を保っていくことも、もうできない。


「やっぱり、あの告白は悪手だったかな」


 関係がぎくしゃくしてしまうかもしれないことを思い、自分の行動を悔いてしまう。美波にも色々と気を使わせてしまうと考えると、なおのこと自分の選択が罪深いものだったように思えてくる。


「いっそのこと、フラれたらテスターをやめちゃおうか」


 思わずそんな逃げのアイデアを口にしてしまう。

 ただ、丈瑠はそのアイデアをすぐに頭から振り払った。

 確かに丈瑠がSKYから去ってしまえば、丈瑠も美波も人間関係を気にする必要はなくなるだろう。けれど、それは美波をSKYの中に一人置き去りにすることと同義だ。どんなに気まずい関係になっても、丈瑠の心情的にその選択肢だけは取りたくなかった。……もっとも、これも美波がどう考えるかはわからないが。

 まあ、先のことはすべて終わってから考えるとして……。


「ああ……。明日、学校で鹿野に会うのが怖い……」


 布団を頭から被り、最も差し迫った問題を思って呻く。

 明日の朝、どんな顔をして美波と会い、言葉を交わせばいいのか。いや、告白の返事を聞くまで、どんな顔をしていればいいのか。

 考えることが山積みだ。

 ――と、そこまで考えたところで、丈瑠ははたと気が付いた。


「明日、か……」


 布団から顔を出して呟き、自分の変化に思わず「ハハッ」と笑みが零れる。

 余命宣告されて、自分の人生を諦めていたはずだった。ただ楽になるために、SKYへ来たはずだった。

 それなのに今の自分は、明日も生きることを前提とした考え方をしている。美波にフラれること、今後の関係が悪くなることといった“未来”を思って頭を悩ませている。


「なんだ。俺、ちゃんと生きてたんじゃないか」


 今更気が付いた。

 自分は“死ぬこと”を実感できなかったんじゃない。SKYで“生きていること”を実感し始めていたのだ。


「悠子。俺、ようやくお前の言葉の意味を理解できたかもしれない」


 今になってようやく悠子が言っていた『何でもかんでも病気を理由に諦めるんじゃなくて、少しはやりたいようにやってみれば?』の意味がわかった気がする。

 自分がいなくなる時、美波がいなくなった時に、後悔がないように。

 昨日の自分は、そんな気持ちの中で悠子の言葉を思い返し、行動を起こす決意をした。

 けれど、それだけでは足りなかった。

 自分は“今”を生きているのだ。先の後悔をなくしたいと思うのなら、“今”を全力で生きなければいけない。やりたいことを全力で追い求めないといけない。諦めている時間なんか、一分一秒だってありはしないのだ。

 悠子は、たぶんそれを教えてくれていたのだろう。


「寝るか。なんかのたうち回って疲れたし」


 就寝時間にはまだ早いが、丈瑠は大きなあくびをしながら、病室の電気を消す。

 まだ悶絶しそうな恥ずかしさは残っているし、不安は全然消えていない。フラれたらどうしようと、頭の中は今も悩みでいっぱいだ。

 けれど現金なもので、悠子の言葉に新たな解釈を見つけた途端、達成感のようなものも湧き始めていた。

 少なくとも今日の自分は、全力で生きていた。まだ自分の未来が続くと信じて、無様ではあってもやりたいことを全力でやった。それだけは確信を持てるから。

 美波がどういう判断をするかわからない。だが、怖い中にわずかだが楽しみという感情が芽生え始めていた。


「できれば、いい返事がもらえますように……」


 割と全力で祈りながら、丈瑠は疲れもあってすぐに眠りに落ちていった。


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