第5話 狩人の少女と星の森
パチパチとなる破裂音と温かみのある空気で目が覚める。眼前には満天の星空。白く瞬く星々が視界を覆いつくした。
ここは……俺はいったい何を…。とりあえず記憶を整理しよう。えーと、たしか研究所から逃げているうちに巨大な熊と対戦して…、あぁほぼ共倒れの状態で倒したのか。傷のほうの再生は…終わってるみたいだな。しかし、魔力がまだ2割ほどしか回復していない。
「あ、目覚めたんですね。」
体の状態を確認しているとすこし怯えたような、警戒したような女性の声が聞こえてきた。
少女…といっても俺よりは一つか二つ年齢は上だろうか。黒髪のツインテールを揺らした女の子が話しかけてきた。
「わ、私はメノウって言います。…その、星の巨熊と戦ってるところを見てまして…そしたら急に倒れたので介抱させてもらいました。」
研究所の関係者…ではなさそうだな。彼らなら俺を拘束、あるいはすでに研究所へ送り届けるだろう。となると現地の住民か…?
殺すか?いやあまり魔力も残ってないし、悪い人間ではなさそうだが…
俺が無言で黙っているとメノウは慌てたように話を切り出した。
「え、えっと、あなたのお名前を伺ってもいいですか?」
名前…そういえば俺に名前なんてなかったな。No6、あるいは癒しの天使としか呼ばれたことがない。
「そうだな。…No6、いや、ロクにしよう。ロクと呼んでくれ。介抱してくれてありがとう。」
「しよう?えっと、ロクさんですね。よろしくお願いします。ロクさんはどうしてこんな星の森の深奥に?」
星の森、そういえばそんな名前だったか。研究所から脱走したことと、自分が天使の実験体であったことを伝える必要はないな。いっても信じないだろうし。ただ、客観的に見て16歳の少年が武器も持たず森にいるのは奇妙だよな。
よし、少し話を逸らそう。
「ここは…迷い込んだ。その質問そっくりそのまま返すけれどどうして君はここに?」
メノウの表情が若干曇り、言葉を紡ぎだす。
「私がこの森に入ったのはアイツのせいです。」
メノウが指さした方向には熊の遺体があった。熊の遺体の毛皮はきれいにはがれ、首が切り落され肉や内臓もきれいに捌かれている。
そのあとメノウはゆっくり口を開き彼女の身の上を話してくれた。
彼女の幼馴染や村の人間があの熊に惨殺されたこと。敵討ちのため敵わないと知りつつ森へ入ったこと。あの熊は非常に強力な個体であること。そんな熊を殴殺した俺に若干、いやかなりの恐怖を抱いていることも包み隠さずだ。
「そうか、この熊が…か。俺が殺してしまったけどよかったのかい?」
「いいんです。私じゃ今頃森の養分になってますから。」
少し微笑みつつどこか悲しげな表情をする彼女は健気だった。
俺は少し彼女への警戒が緩み、体の力を抜いた時、腹がなるのを感じた。
そういえば今日は何も食べてないな。
「おなか減りました?さっきの熊でよければ煮込んでありますが…味付けも塩のみですし臭みがすごいですけど…」
彼女が指さす先には焚火の上で携帯用の小さい鍋に、これでもかとつまった熊肉がぐつぐつ揺れているのを見つける。どうしようもなく旨そうだ。
「…いいのか?見ず知らずの人間に食わせても。」
「もともとあなたの倒した獲物ですし。腐ると嫌なので解体だけさせてもらいましたが。」
「それじゃあ、遠慮なく。」
小さい鉄なべから器へ肉と汁をよそいかぶりつく。旨い。香りは雨上がりの土のようなあまり良いものではないが味のほうは格別だ。肉は意外と柔らかくそれでいて少量の塩味が肉本来のうまみを引き立たせる。
その肉と塩の出汁を噛みしめながら研究所のことを思い出していた。
研究所で出るご飯は生命維持装置と呼んでもよい。固形物が出ることすら珍しかった。栄養素がたっぷり入ったゲル状の苦い物体。時たま出る固形物は基本的にパサパサで瓦礫のように固い栄養食だった。俺に毒物耐性を会得させようとしたときなんて最悪だ。ゲルに毒物を混ぜ込んで俺に飲ませ、その後毒物によって死にかけながらも吐き戻すという作業だった。
それに比べたら…それに比べたら…。
「っえ!泣いて…どうしたんですか!?」
「いや……、ちょっと…何でもない」
驚いた。炎に焼かれても鞭で打たれても涙など出なかったのに。とうにそれは枯れているのだと思っていた。
何故今頃になって…。いや、今は喜ぼう。研究所を出て一夜、夜空には祝福の光があふれている。久方ぶりのまともな食事もきっとこれからとれるはずだ。
これから先の未来に一抹の不安を覚えつつ、俺は逃げ延びた証のこの夜を楽しむことにした。