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日輪

作者: 山谷麻也

 

 その1


「ここには、もう来んといて」

 兄嫁は音を立てて、障子を閉めた。奥で子供の声がしていた。

 夫が戦死し、二人の子供を抱えていた。この上、同居者が増えることなど、考えただけでもおぞましい話だった。


 芳江の母親は幼い弟の手を引き、兄嫁の家を後にした。夕闇が濃くなる道を、姉と芳江が続いた。母親は父親の遺骨を抱いていた。母もまた、兄嫁と同じ境遇だったのだ。


 ハルビンから引揚船に乗れそうだ、という噂に日本人は歓喜した。芳江の父親はその夜半、容体が悪化した。

 父親は病弱だった。徴兵検査に不合格となり、兄が出征して間もなく、新婚早々で開拓団に加わった。大陸の気候は父親にとって過酷極まりなかった。


 父親をダビに付した。

「あまり喜びすぎるのも、病人にはようないなあ」

 父親の友人は独り言を言っていた。


 その夜、どこでどう過ごしたのかは、覚えていない。

 翌朝、芳江たちは崖の近くの狭い空き地にいた。

 眼下に街道が走っていた。空き地の奥はゴツゴツとした岩肌、手前には民家が一軒あった。

 岩肌越しに水力発電所の建物と巨大な四本の水道管が見えた。発電所は大正初期に建設され、多くの労働者が従事した。周辺に寄宿舎が建てられ、この空き地なども飯場として利用されたと、後に聞いた。


 街道から狭い道が民家の前を通り、山の上へと通じていた。道からは空き地は死角になっていた。

 発電所が完成してからは、誰も気に掛けることのなかった土地だった。

 

 その2


 隣の家の助けを得て、母親はバラックを建てた。六畳ほどの板の間にムシロを敷き、家族四人で住んだ。

 母親は隣の畑仕事の手伝いに、よく駆り出された。一日畑に出ると、作物がもらえた。一家は空腹を抱えながらも、なんとか生き延びていた。


 子供たちが大きくなるにつれ、食事の量も増えてきた。母親が山奥の土地を借り、農作物の栽培を始めた。しかし、他人に貸し出すような農地は土地が痩せ、大した収穫は望めなかった。

 芳江たちきょうだいは学校から帰ると、母の農作業の手伝いをさせられた。

(みんなと一緒に遊びたいなあ)

 山道を登り、畑に向かいながら、芳江は涙をこらえていた。


 母親には姉がいて、街道の奥地にある旅館に嫁いでいた。旅館はバスの終点近くにあり、行商人などの定宿になっていた。

「おばちゃんとこの小学校に行かない」

 母から言われた。芳江はどういうことか理解できなかった。

「おばちゃんとこなら、うまいものを腹いっぱい食べられるよ」

 一度訪れたことがあった。お客さん用のお膳を見て、芳江は唾を飲み込んでいた。

「姉ちゃんと弟は」

「ううん。芳っちゃんだけ。寂しいだろうけど、時々は帰って来れるし、母ちゃんたちも会いに行くよ」


 おばちゃんが芳江とバスに乗り込んだ時、母親は泣いていた。姉と弟は黙って手を振っていた。

 ボンネットバスが満員の乗客を乗せ、曲がりくねった街道をゆっさゆっさと行く。芳江は母親の涙の意味を、測り兼ねていた。


 その3


 旅館は繁盛していた。反物や置き薬などの行商人は、奥地で何週間も村々を回る。毎朝、大きな風呂敷包みを背負った人々で玄関はにぎやかだった。

 村の小学校は旅館から歩いて一〇分ほどのところにあった。学校のすぐ下を川が流れる。周辺から一時間以上かけて通学してくる子供もいた。


 人の流入・流出はほとんどない、閉ざされた社会だった。このため、転校生の芳江は奇異な目で見られた。

 最初は遊びの輪に入れてもらえなかった。芳江が近づくと、輪が散らばった。芳江は仲良しになりたくて、みんなの言葉をまねた。独特のアクセントがあったほか、初めて聞く言葉も多かった。

 芳江が懸命にしゃべろうとすればするほど、子供たちは笑った。

 学校はつまらなかった。


 おばちゃんの家に帰ると、用事を言いつけられた。夕食にありつけるのは、いつも八時を過ぎていた。それも、母親が言っていたようなご馳走ではなかった。暗い台所で、冷えたご飯に味噌汁と香の物、たまにお客さんの残り物が出ることもあった。


 それでも、芳江は食事については不平不満を感じなかった。家では麦飯でも食べられればよい方だったからだ。

 ある時は、種イモまで食べて、母親に叱られた。弟がどこからかサツマイモを見つけてきたので、枯れ木を集めて燃やし、焼き芋にして食べていた。そこへ母親が戻った。母親は三人の頬を平手で打ち、そのまま顔を覆って泣いていた。


 一年近くが過ぎ、ようやく友達ができた。

 奥地の冬は厳しい。教室では達磨ストーブが焚かれ、各教室の窓から突き出た煙突が煙を吐く。ストーブの上では子供たちの弁当箱が温められている。中身に関係なく、温かい弁当は最高の楽しみだった。


 その日も、昼休みが始まると、教室を出て行く子供がいた。

 その子の家が貧しく、弁当を持たせてもらえないことは、クラス中の公然の秘密だった。芳江は事情が分かってきて、ずっとその子のことが気になっていた。


 その子は寒風吹きすさぶ校庭にいた。芳江は横に座り、弁当を広げた。

「一緒に食べよう」

 その子は芳江の弁当箱をまじまじと見つめた。

「わあ、やっぱり旅館は違うなあ」

 その子にほとんど食べさせた。

「いつもお昼はここに来てるの。寒いやろ」

 弁当箱をしまいながら、芳江は訊いた。

「全然。うち、ハルビンにおったもん」

 その子もまた、引揚者だったのだ。

 名前を和美と言った。二人は、氷に閉ざされた松花江の果てに沈む、真っ赤な夕陽を思い出していた。 


 その4


 芳江の姉が中学を終えて働き始めた。芳江が奥地の中学に入ろうという年に、母親のもとへ呼び戻された。

 母親は農協の事務職として勤め、食うや食わずの状態ではなくなっていた。芳江は家事全般を任されながらも、勉強に割く時間もできた。


 母親は芳江も中学卒業後は勤めに出るよう希望した。しかし、芳江は何か手に職を付けたかった。折から、准看護婦の制度が創設され、病院などの補助として勤めながら、准看護学校に通って資格を得る道が開かれることとなった。

 芳江は大阪の病院に勤める傍ら、学校に通い、二年後に資格を取得した。その後、いわゆる年季奉公を経て、田舎に帰り、村の診療所に職を得た。


 田舎では弟もすでに就職し、母親がひとり暮らしていた。

 引揚時のバラックから何度か建て増ししたものの。家は手狭だった。母親はローンを組み、家を改築した。ただ、土地は狭く、成人した大人二人が生活するには窮屈だった。


 四年間、一緒に住み、芳江は裏に住まいを建てることにした。土地は棚田みたいに、上すぼまりの階段状になっていて、最上部に玄関と居間、台所、寝室、トイレを設けるのがやっと。風呂と洗濯場は母親の住まいとの間に建てるしかなかった。


 姉も弟も見合結婚をして、隣の県で所帯を持った。

 芳江も何人かと見合を勧められた。気乗りしないので、適当な理由を付けて断った。

 好きな男性がいなかったわけではない。勤めの帰り、バスを降りて街灯もない田舎の夜道を歩いていると。無性に寂しくなる。

(あの時、あの人の胸に飛び込んで行ってたら)

 その勇気がなかった。どうしても、決心がつかなかった。相手は、奥さんと別れると言っていた。芳江は他人を不幸にしてまで自分が幸せになろうとは思わなかった。


 その5


 うららかな春の日差しが降り注いでいた。

 芳江は母親を散歩に誘った。母親の住まいからは、狭い石段を何十段か登らなければならない。母親が杖を片手に、息を切らせていた。


 山道の左右に山菜が生えていた。芳江は山菜を摘みながら、ぶらぶらと歩いた。

「昔は山菜でもなんでも食べられるものは手あたり次第、獲ったけど、もう振り向きもしないなあ」

 母親が伸びたゼンマイを目の前にかざしながら、言った。

「うん、ゼンマイなんか、いいお金になったもんなあ」


 学校から帰ると、庭に茹でたゼンマイが干してあった。それを揉むのが芳江たち子供の仕事だった。精魂込めて揉むと、ゼンマイは何日かして、飴色になった。仲買人が来て、お金と交換した。

(働くって、こういうことかな)

 芳江は少し得意になっていた。


 随分遠くまで歩いた。芳江たちが通った畑は、杉林に姿を変えていた。

「ここに齧りつくようにして生きてきたなあ」

 母親が愛おしそうに、大きな杉の根元を撫でている。

「もうちょっと広くて肥えた土地だったら、お前をおねえちゃんとこへ預けることもなかったのに」

 芳江は話をそらすために、杉林の中に入って行った。


 山道を下っていると、対岸の向こうに村落が見えた。父の実家があった村だ。そこも大半を杉林が覆っていた。

義姉(あね)も謝って来たよ。あの人も後家さんになって大変だったんだろうな。あのころはみんな余裕がなかった」

 母親の義姉はすでに亡くなっていた。


「お母さんは再婚話なんかなかったの」

 芳江が訊くと、母親は笑った。

「何人もの子持ちの女にそんな話持ってくる人なんかいないよ。それに、少し優しくされたので話なんかしていると、すぐ話題になる。あることないこと言われるもんなあ」

 目の前をサルの群れが横切って行った。この地区でも人口の流出が進み、野生動物の楽園と化していた。

 

 その6


 母親は健診に引っかかり、精密検査の結果、がんが見つかった。ステージⅢだった。

 姉と弟は、主治医の方針に従い、手術を勧めた。芳江は他の医療機関を受診し、セカンドオピニオンを求めることを提案した。

 母親は悩みに悩んだ末に結論を出した。

「あの先生に賭けてみる」

 

 母親を病院に見舞った。

 手術は成功したと聞いていた。どういうわけか、母親はいつまでたっても、集中治療室から出られなかった。納得の上でのオペとはいえ、こんな結末が待ち受けていようとは、思いもよらなかっただろう。


 母親の葬儀を済ませたころから、芳江は動悸がするようになっていた。入浴や洗濯で階段を上り下りするのが、億劫になって来た。

 浴槽の掃除で無理をして、腰が痛くて起きられない朝があった。診療所に電話すると、所長から専門医を受診するように言われた。

 やっとの思いで、タクシーを呼び、市の総合病院を受診した。ぎっくり腰だった。動悸のことを話すと、内科に回された。心房細動と診断された。


 腰は三日間、痛み止めを飲むと緩解した。仕事を休んだのは初めてだった。家で寝ていて、つくづく体力の衰えを感じた。

 変調を察し、隣の奥さんが顔を見せた。芳江よりは一〇も年下ながら、リウマチの持病があり、日常動作に不自由を感じていた。それでも根は明るく、百歳体操に通い、趣味のコーラスグループにも所属していた。


 芳江も歌は好きだった。隣の奥さんに触発され、コーラスのサークルに入った。担当はソプラノだった。歌っていると、何もかも忘れることができた。終わってからのおしゃべりにも花が咲いた。秋の発表会、市民芸術祭も待ち遠しかった。


 練習は公民館で行われていた。毎週金曜夜、グループの男性メンバーのクルマに乗り合わせて集合した。

 事故は途中で寄ったドラグストアの駐車場で起きた。

 その日に限り、乗り合わせたのは芳江一人だった。バックのつもりがアクセルを踏み間違え、店内に突っ込みそうになった。クルマは植え込みに乗り上げ、芳江は首にダメージを負った。

 ドライバーは恐縮していた。芳江も気を遣い、平気を装ってはいた。しかし、一週間後、異常な頸と肩の凝りに悩まされるようになった。


 その7


 役所から連絡を受け、母親の遺産相続に行った。

 母親名義のものは、古い建物とわずかな土地が遺っているだけだった。相続税を支払った。毎年、通知が行くので税金を納めるようにとのことだった。

 帰って隣の奥さんに話すと、同じようなケースで土地を寄付し課税を免れた例があることが分かった。

 芳江は再び税務署に出かけた。

「建物には接道義務と言って、道路に二メートル以上接している義務があるのですよ。この土地はね、道路に面していない無道路地なんです。だから、再建築ができない。あとはどなたか、倉庫か資材置き場か何かで借り手がつくといいのですが。そういう土地ですから、相続税は申請すれば減額はされます」

 税務署員は事務的な口調で告げた。


「市に寄付する方法もあると聞いたのですが」

 芳江は慎重に話を切り出した。

「それは市役所の窓口に行って相談してください」


 一縷の望みを抱いて市役所に行った。

 まるで話にならなかった。

「そういう申し出ばかりなんですよ。利用価値のない土地を役所が抱え込むわけにはいかないでしょうよ。お母さん、戦後の混乱期とはいえ、うまく押し付けられましたね」


(母親は人生を終えたけれど、母親が生きた戦中・戦後は終わっていなかったのだ) 

 市役所を出て、芳江はそんな思いにとらわれた。


 その8


 コーラスも百歳体操もやめた。動悸は相変わらず続いていた。

 隣の奥さんが畑で獲れたばかりのほうれん草を持ってきてくれた。

「あのな、その向こうを大きなサルがダイコン抱えて歩いとったのよ。この上じゃ、留守中に家に上がり込み、冷蔵庫あけとったらしいよ」

 奥さんの報告だった。サルが民家にまで押し寄せ、周辺の畑を荒らしているようだ。


「野菜の収穫時期が分かるのやろな、獲りに行くとやられとる。あほらしゅうて、もう来年から作らん」

 奥さんは憤慨していた。

(どこもかしこも、サルやイノシシ、シカが出没している。この先いつまで人間は税金を払わなければいけないのだろう)

 いたずら心が起き、税務署に電話して訊いてみようかとも思った。


 連日の猛暑日だった。熱帯夜が続き、昼間ウトウトすることが多くなった。

 シャワーを浴びたくても、下へ降りて行くのが一苦労だった。しかし、建て付けが悪く、フル回転するクーラーの熱風が、容赦なく入って来る。


 我慢の限界だった。階段の焼けた手すりを指でつかみながら、芳江は階下へ向かった。

 何か柔らかいものを踏んだ。驚いて足元を確認しようとして、手すりから指が放れてしまった。

 体が一回転して地面に叩きつけられ、階段で頭を打った。


 誰かが呼んでいた。

「芳ちゃん、カニだよ」

 和美だった。小さな沢ガニを芳江の前に差し出した。

 和美がタオルを使って、じょうずに小魚をすくった。

 芳江は石を動かし、カニを獲った。


 大陸に生まれ育った二人だった。和美はいざ知らず、芳江にとって、四国の川遊びは初めてだった。松花江の水と違い、谷川の水は澄んでいて冷たかった。

 体が冷えたので、大きな岩の上に寝て、二人で川の流れに耳を傾けていた。

 あれは六年生の夏休みだった。


 芳江は体の火照りとまぶしさで目を覚ました。

 地面に横たわる芳江の体に、西日が照り付けていた。大きくて真っ赤な夕陽が沈んでいく。彼方は霞んでいた。四国だと山並みはすぐそこに見えるはずなのに。

(もう、いいか)

 芳江は考えることが面倒になっていた。

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