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3-9 俺には、アイちゃんだけでいい。

 暫し心を落ち着けてから、起き上がった。引き裂かれたシャツのボタンを床から拾い上げ、何とも惨めな気分になる。

 その時、再びインターホンが鳴った。ギョッとして思わず玄関の方を見ると、その向こうから、


「おい、居んのか、ツヴァイ」


 ドライだ。不機嫌そうな声音。何で、また? と動揺が走ったところで、すぐに、そうかと思い至る。ドライは〝催眠〟によってつい今しがたの出来事を忘れているから、彼にとってはこれが本日、初訪問な訳だ。

 俺は内心、舌打ちした。「自分の部屋に戻って寝ろ」まで命令に含めておくべきだった。


 取り急ぎ、室内の小型モニターの元まで向かった。まさかこの姿で出る訳にもいかないし、もう扉を開けるのも嫌だった。その間にもインターホンは忙しなく連打されている。どれだけ短気なんだ。

 呆れる想いで通話ボタンを押した。


「……何」


 良かった。声は震えていない。すると、何故か画面のドライも安堵の表情を見せた。


「居たのか。居んなら出てこいよ」

「やだよ。シャワー浴びてたところだから、服着てないし」

「……オレは気にしねーぞ」

「俺が気にするんだよ」


 何だ、今の間。想像しただろ、お前。

 気を取り直したように、ドライは続けた。


「てめぇ、今朝アインスの部屋から出てきただろ。何してたんだよ」

「何って、逆隣がうるさくて眠れないから、避難させてもらってただけだけど」

「本当にそれだけか?」

「それ以外に何があるっていうの? 男同士で」

「男同士……それもそうか」


 ドライは妙に納得したように呟いた。どうもこいつは俺のことを女かなんかだと思っていたらしい。


「それじゃあ、俺もう疲れてるし、寝るから」

「アインスのとこには行かねーんだな?」

「君がうるさくしなければ、避難の必要もないでしょ。……アイちゃんと俺は何でもないんだから」


 最後の言葉は自分にも刺さった。そうだ、アイちゃんにとって俺は、ただの仲間の内の一人だ。それ以上を望んではいけないし、望むつもりもない筈なのに、言葉にすると胸が痛むのは何故だろう。


 ともかく、ドライはそれで退いてくれた。今度は対応を間違えずに済んでホッとした。

 結局、何だったんだ? あいつ。何であんなにイライラしてたんだ?

 子供扱いが直接の引き金(トリガー)になったのは確かだろうけど、どうもその前から不機嫌そうだった。俺とアイちゃんの仲を疑っていたようだけど……。


 ――オレを見ろよッ!


 脳裏を過ったのは、先刻の苦しげなドライの叫びだった。

 俺は今更のようにその可能性に行き当たって、ハッとした。


「え?」


 まさかあいつ、俺のこと……?

 これまでの嫌がらせみたいな行動も、もしかして俺の気を引きたかったから……?


「いや、そんな……」


 馬鹿らしい。だとしても、何だというんだ。どうせ、顔だろう。顔か身体のどちらかだ。それ以外に俺を好きになる要素なんか、一つも無い。

 ――要らない。

 他の人からの好意なんて、要らない。信用ならない。気持ち悪い。


「俺には、アイちゃんだけでいい」


 アイちゃんだけが、俺の唯一。彼のことだけは、信じられる。

 ……だけど、この先ももしドライが同じような行動に出るとしたら、非常に厄介だ。嫉妬か何か知らないが、矛先がアイちゃんに向かわないとも限らない。

 ――いっそ、殺すか?

 頭の中の悪魔が囁きかける。

 殺るとしたら簡単な話だ。〝催眠〟に掛けて、「死ね」と命じればいいだけのこと。傍から見ればただの自殺。俺が疑われることはない。


 ――でも。

 アイちゃんは、仲間を皆大切に思っている。問題事ばかりのドライだって、例外じゃない。誰か一人でも欠けたら、きっと悲しむ。

 俺は、アイちゃんが悲しむところなんて、見たくない。


「駄目だ」


 殺せない。その結論を、苦く吐き出した。

 なのに、まさかあんな事になるなんて――。



   ◆◇◆



 翌日、ドライは何事も無かったかのように、いつも通りにうざ絡みをしてきた。当然だ。彼の中では本当に何も無かったことになっているのだから。

 俺も周囲に変に思われないよう、出来るだけいつも通りに接したつもりだ。


 そのままいつも通りに日課の訓練を熟して、いつもと違ったのはアイちゃんが遂に〝吸血鬼〟としての固有能力に目覚めたことくらいで……。

 夕食の席はお祝いムードで少し浮かれていたけれど、それ以外はいつもと変わりなく、平穏無事に一日が終わる筈だった。


 ――フュンフが暴走しなければ。


 フュンフはいつ爆発してもおかしくない不発弾だった。一見、大人しくて目立たない彼だけれど、俺は彼の危うさに気付いていた。いつも前髪の隙間から俺たちを見る彼の目には、どこか苛烈な光があった。

 それは、羨望なんていう生易しいものじゃない――嫉妬、もしくは憎悪の光だ。

 うっかり刺激したら何をしてくるか分からなかったので、あまり関わらないようにしていたし、アイちゃんにも深く関わらせないようにさりげなく遠ざけていたのだけれど――ドライが、あっさりと地雷を踏んだ。


 正直、ドライが殺られた辺りまでは、自業自得というか、むしろ胸がすっとしたりホッとしたりしたくらいだったけれど、フュンフがアイちゃんにまで害を及ぼそうとしたのは見過ごせなかった。

 あんなに綺麗なアイちゃんを、汚そうとした――あるいは、フュンフにとっては〝それは絶対に出来っこないだろう〟と高を括ったただの煽り文句だったのかもしれないけれど。ともかく、俺には許し難い行為だった。


 それで、つい――我を忘れて能力(ちから)を使ってしまった。


 〝アイちゃんを守れた〟〝アイちゃんの役に立てた〟……そう思ったら、甘美な幸福が脳髄を駆け上がり、絶頂しそうな程の快感に打ち震えた。

 だって、これは既に汚れた俺にしか出来ない仕事だ。アイちゃんの為なら、俺はいくらでも汚穢を被ることが出来る。そして、そのことを誇りにすら思った。


 ――けれど、すぐに後悔した。

 アイちゃんが、悲しんだ。

 俺の行動は、あくまでも独り善がりな自慰行為だったと気が付いた。アイちゃんが嬉しくなければ、何の意味も無いのに。


 分かっていた筈なのに、過ちを犯した。……なのに、アイちゃんはそんな俺を許した。

 俺の能力のことも、気味悪がることなく目を逸らすこともなく、受け入れてくれた。

「お前は独りじゃない」と、優しい言葉を掛けてくれた。心配して、気に掛けてくれた。


 ――ありがとう。

 アイちゃん、大好きだよ。


 もう、同じことは繰り返さない。アイちゃんを悲しませるようなことは、しない。

 この時、そう決意した筈だったのに――俺はまた、どこで間違えちゃったんだろうね?

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