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3-1 君は、何も知らなくていいよ。

 発砲音と同時に、小銃が宙を飛んだ。右手にじんと痺れが生じる。硝煙を上げたのはアイちゃんのライフルの方だった。俺のは元より安全装置を外してすらいない。

 そのライフルも投げ捨てて、アイちゃんは間髪入れずに突進してきた。あれよという間に彼の巨体に押し倒され、その場に組み敷かれてしまう。打ち付けられた背中の衝撃に息を詰まらせていると、直後、掴まれた両手首から全身へと、爆ぜるような痛みが走った。


 喉から、声にならない絶叫が迸る。目の奥に星が散った。バチバチと、電気が弾けて肌を嬲る。脳髄までも揺さぶられるような強い刺激。

 しかし、それも一瞬で過ぎ去った。電撃が止む。余韻に痙攣しながら、暫し喘ぐように呼吸を繰り返した。……身体が言うことを聞かない。


「ッはぁ……お見事」


 軽口で賞賛を浴びせるも、呼気の乱れは誤魔化せない。無理に形作った笑みも苦いものになってしまっていた。そんな情けない自分の様を、アインスの黒瞳の中に見る。

 無機質な彼の瞳の奥には、戸惑いと怒り、そして哀しみの色があった。


「……何が〝傍に居る〟だ」


 ぽつりと、声が降ってくる。掠れた、か細い声。次には、それが激情に打ち震えた。


「この大嘘吐きがっ!」


 閃光のように、脳裏を過ぎったのは、


 ―― 俺がアイちゃんの傍に居る。俺は、絶対に死んだりなんかしないから。


 いつか君に誓った、俺の言葉。


「……ごめんね」


 そうだね。嘘になってしまったね。


「何故だ……何故、こんなことをした!?」

「さぁ、何でだろうね?」

「ツヴァイ!」


 胸ぐらを掴まれて、持ち上げられた。シャツのボタンが勢いで二、三飛び散る。唇が触れそうな程の至近距離。互いの吐息が混ざり合い、空間を温く満たしていく。黒から赤に染まった彼の瞳が、責め立てるように俺を睨んだ。だけど、俺の決意は変わらない。


「……君は、何も知らなくていいよ」


 そうだ、知る必要は無い。――何も。



   ◆◇◆



 自分の名前が嫌いだった。


天使(あんじゅ)――お前は、本当に天使のように愛らしいね」


 夜毎耳元で囁かれた粘着質な声が、未だにこびり付いて離れない。


天使(あんじゅ)、お前は神が私に遣わしてくれた天使なのだよ」


 俺は両親を知らない。赤子の頃に教会の前に捨てられていたらしい。拾って名付けた神父様が親代わりだった。

 神父様は慈悲深く敬虔(けいけん)な人で、沢山の信徒達から敬愛されていた。俺も彼を父と慕い、彼に与えられた自分の名も当初は好きだった。

 変わってしまったのは、いつからだったか。

 俺が幼子から少しずつ成長を遂げていく過程の中、神父様の俺を見る目が徐々に変質していった。


 かつて、優しく頭を撫でてくれた手も、穏やかに名を呼んだ唇も、いつしか執拗に偏執的に、俺の身体に触れるようになった。

 全身……羞恥を誘う場所さえも。

 俺は戸惑った。大好きな神父様が、何故そんなことをするのか。彼は言った。


「お前が愛おしいからだよ」


 そうなんだろうか。そういうものなんだろうか。

 だけど、何だか違和感が強くて、気持ち悪くて……。本当は嫌だった。それでも嫌われるのが怖くて、強くは拒めずに……。

 流される内、行為はどんどんエスカレートしていった。


 初めての時は、記憶が飛んだ。

 翌朝、疼痛と根付いた恐怖に目を瞑り、きっと何か怖い夢でも見たのだろうと自分に言い聞かせた。

 しかし、繰り返される内にそれが紛れもない現実であることを、嫌でも思い知った。同時に、裏切られた絶望感に支配された。

 神父様はこんなことをする為に、俺を育てたのか。俺は、こんなことの為に……。


 ――家族だと思っていた。愛していたのに。


「お前がいけないんだよ、天使(あんじゅ)


 神父様は、そう言って俺を責めた。


「お前がこんなにも美しく育つから……ああ、お前は本当は天使じゃなくて、悪魔だったのだな。私を堕落させる為にやって来た、悪魔だったのだ。天使の顔をした悪魔。私を誘惑する、お前が全て悪いんだ。悪い子には、お仕置をしなくてはなるまい」


 ――そうか。俺が悪いのか。俺が全て、悪いのか。


 途中から、考えることを辞めた。

 抵抗したら余計長引くから、受け入れてしまった方が早い。痛いのは嫌だから、感じてしまった方が楽だ。その方があの人も悦んで、あまり酷くはされない。

 身体は感じても、心は何も感じないように殺した。だけど、時折どうしようもなく――叫びたくなった。

 全身を掻き毟りたくなった。身体中の皮を剥いで、脱ぎ捨ててしまいたい衝動に駆られた。そんな感傷もすぐにまた凍らせて、意識の底に沈めた。深く深く……決して浮上しないように、重石をつけて。蓋をして。


 最早生きているのか死んでいるのか、自分でも分からないような日々が何年も続いた。

 終わりを(もたら)す救いの手となったのは、皮肉にもAI機械兵の襲撃だった。

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