彼女の正体②
翌日。
朝議が終わった頃、私たちはふたたび清龍殿の執務室に集まった。
「蘭王が、異世界から召喚されていた……?」
話を聞き終えた青藍さんは驚きの声をもらし、受け取った手記を開いた。
そして蘭王の残した政策案を複雑そうな顔でながめる。
「異世界の女人が、我が国の王妃となっていたのか……」
その反応には驚きとともに、大切なものを部外者に踏みにじられたとでもいうような嫌悪が、わずかに見てとれた。
蘭令華はただの王妃ではなかった。蘭王という異名の通り、長い間この国の実質的な統治者だったのだ。
それが異国の人間だったなんて、青藍さんのように受け入れがたい人間もいるだろう。
「もともと聖人は、王の右腕として国政に関わる存在だったのだ。そこまで驚くことでもないだろう」
「しかし奴は聖人ではないのです。龍神の力を持たぬ一般人が……」
返事の途中で青藍さんは口をつぐむ。
彼がなじろうとしている蘭令華が歴代国王の祖先であり、目の前にいる陛下にもその血が流れていることを思い出したからだ。
「……」
部屋の空気が重くなった。
青藍さんも陛下も、そして私も────皆が少しだけ傷ついて、この場にふさわしい言葉を探した。
しばらくすると部屋の扉が開き、薄紫の衣の男性が現われる。
朝から陛下の命を受けていた紫雲さんが、画院から戻ってきたようだ。
「お待たせしました。思いのほか手こずりまして」
頬にかかった髪を耳にかけ、右手には漆塗りの小さな画箱が抱えられている。
「それが蘭王の姿絵ですか?思ったより小さいですね」
「これは写しですから」
国随一の美貌と権力を誇った王妃の絵は、百枚とも二百枚とも言われているが、ほとんど現存しない。彼女自身の遺言によって、死後に全て処分されてしまったからだ。
夫である国王や太子とともに描かれたものに関しては、蘭王の部分だけがご丁寧に切り取られていたと紫雲さんは言った。
「この姿絵は、生前の蘭王が特に気に入っていたそうですよ。それで処分されるのを惜しんだ宮廷画家が密かに写し、長年画院の奥に隠していたと。引っ張り出すのに苦労しましたが、宋先生にこれを見せて何とか」
そう言いながら紫雲さんは部屋の奥へ進み、懐から龍の文様が彫られた佩玉を差し出した。受け取った陛下は佩玉を自分の腰元へ垂らす。
場合によっては軍を動かす力をもつ国王の佩玉を、こうも簡単に渡されてしまう紫雲さんは、やはり陛下と浅からぬ関係なのでは?と、頭のすみをよぎる。
画箱は大きな卓の上に置かれ、その周りを私たちが囲む。
蓋を持ち上げると、中からA3のもう一回り大きいくらいの画紙が現れた。
筒状の画紙を陛下が取り出し、卓の上で慎重に伸ばし開く。
「やっぱり、すごく綺麗なひとだったんですね……」
絵の中の蘭令華は、身体を少し斜めに向けて立ちながら、強い眼差しでこちらを見ている。
大きな目が黒く囲うメイクで強調され、鼻は小ぶりで、唇は艶のある薄桃色。
若々しいが、少女というよりは大人びて見える。
「おそらく、王妃に冊封された頃でしょうか」
そう思ったのは、ちょうど芝居の中で初めて朝堂に現れたシーンの蘭王と姿が似ていたからだ。
頭に輝く鳳凰の冠。
上下漆黒の衣は金糸で花鳥が刺繍され、裙(ロングスカート)の裾が大きく広がってドレスのようだ。肩には褐色の毛皮のショールがかかっている。
手は金の腕輪や赤く塗られた爪で彩られ、指先まで抜かりない。
こうして見ると、牡丹棚で観た蘭王は再現度が高かったのだと感心する。
「トウコさん。どうしてこれを見たかったのですか?」
「彼女が元いた世界がどこだったのかを知るためです。おおよそ見当はついていたんですけど、本物の姿を見て確認したくて」
「では……これを見て、確証は得られたと?」
「はい。やっぱり予想通りでした」
うなずく私の顔と姿絵を、紫雲さんは交互に見て首をかしげた。
この世界の住人である彼らの目には、これは何の変哲もない姿絵に見えるだろう。
しかし蘭王は間違いなく、あの世界から召喚された女性だ。
だからこそ、あのメッセージが指し示す場所は────。
私は姿絵の隣に、蘭王の時代の宮城図を広げ、一点を指さした。
「手記に示された場所はここ。『山桜宮』にあります。今は橘賢妃の住む『東櫻宮』という名に変わっていますが」
その理由を話せという空気を3人から感じたが、現場へ行く方が早い。
青藍さんは宮城図、紫雲さんは姿絵、私は手記をそれぞれ手にして、さっそく清龍門を出ることにした。
陛下は輿に乗る時間も惜しいと言って、ともに東櫻宮へ歩いた。
東櫻宮の門前に着くと、侍衛が青藍さんに向かって力強く拱手し門を開けた。
2人の屈強な侍衛は、目の前を横切った陛下の姿にようやく気づくと驚き顔を見合わせた。
「あら、トウコさんに……陛下!?皆さんお揃いで一体どうされたんですか?」
屋敷へ足を踏み入れると、宮女に呼ばれて出てきた道子さんが目を丸くした。
よく通るその声に、他の宮人たちまでもが門戸に集まり、そろって床に膝をつく。
「我々のことは気にするな」
青藍さんが呼びかけると、皆はおそるおそる立ち上がり、こちらを気にしながら各々の場所へ戻っていった。
「突然押しかけてごめんね。ちょっと、庭の桜の木を見せてくれないかな?」
「うちの桜を……ですか?見頃は過ぎておりますけれど……」
道子さんは首をかしげながらも私たちを連れて回廊へ出る。
私たちは邸宅の裏へ回った。背後には少しの距離をあけて清龍殿の宦官と、東櫻宮の侍女が数人ついてきている。
庭園に敷かれた石畳の道を行くと蓮の葉が浮く池が現れ、そこには小さな赤い橋がかかっている。その先に浮かぶ小島に、大きな桜の木があった。
「どうぞ。お好きにご覧になってください」
橋の手前で道子さんが道をあけた。
私たちは橋を渡って小島へと移動する。
足を踏み入れた瞬間、春らしいさわやかな風が吹き、薄紅色の花びらが目の前を舞った。
はじめて見る光景なのに、懐かしさが胸にこみ上げてくる。
東櫻宮の名の由来でもある一本桜。それは日本でおなじみのソメイヨシノではなく、山桜だ。
太い幹から垂れる枝には、赤茶色の葉とともに淡い紅色の花が咲いている。
山桜は開花が遅いためか、見頃は過ぎたと言ってもまだ半分以上は残っているように見えた。
「蘭王の時代、ここは『山桜宮』という名前でしたよね。ということは、この木は当時から存在したのでは?」
私がたずねると、青藍さんが手元の宮城図に視線を落として言う。
「この木がいつからあるかは分からん。ただ、この宮には代々倭国の妃を住まわせることになっており、屋敷の名称にもすべて『桜』の字が入っていた」
後方で話を聞いていた道子さんが、ふと口を開いた。
「桜を好まない日本人はおりません。日本人がここに住む限り、この木は守られ続けるでしょうね」
この東櫻宮の庭は過剰な派手さがなく、川の流れを中心に自然と調和した造りになっている。植えられた草花は四季の移ろいを感じられるものばかりだ。
この統一感のある庭造りは、歴代の主の好みが一貫していたゆえだろう。
この山桜もきっと、ここで何百年も花を咲かせ続けていたに違いない。
「トウコ。つまり手記に書かれた場所は、ここだということか?蘭王がここで『待っている』と」
陛下は頭上の桜を見上げながらたずねる。
「はい。この桜の木のそばなら、300年後の今もこうして場所を特定できますから」
後宮の草木は、主の好みや流行によって簡単に植え替えられてしまうものだ。しかしこの山桜だけは例外だった。
「それに、蘭王も桜を愛する日本人だったはずです」
私が見解を述べると、一同は顔をぽかんとさせた。
「……でもトウコさん、蘭王が住んでいたのはここではなく鳳凰宮ですよね?なぜ彼女が倭国……いえニホンの方だと?」
困惑を隠さず意見したのは紫雲さんだ。
「住んでいた場所は関係ないです。彼女が日本人だと思った理由は、この手記の文章にあります。これ、日本人にだけ理解できる暗号になっているんですよ」