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彼女の正体①

「正体……とは?」


蘭王の居場所について聞くつもりだった陛下は、いぶかしむように顔をしかめた。


「彼女の書いた政策案をはじめて読んだ時から、私は違和感を゙感じていました。あまりにも鋭いというか、先見の明がありすぎると」


私は手記を開き、かつて蘭王が考えていたという政策案の書かれたページをめくっていく。

【紙幣】の文字が現われたところで手を止めた。


「たとえばここに書かれている紙幣作りの案は、すべて後世で採用されたものです。偉人の肖像画を印刷する、偽札防止用の透かし印刷や記番号、凸凹印刷など」


隣に腰を下ろす陛下は身を乗り出し、手記をのぞき込む。


「ふむ。そう言っていたな。当時の技術では不可能だったが、トウコの世界には実現していると」


「おかしいのは、ここにあるのが実現された案ばかりで、されていない案がひとつもないこと。不自然じゃありませんか?」


紙幣にかかわらず、巷に流通している()()は、長い年月をかけていくつもの案を集め、精査を重ねた結果の産物である。

たった1人の、しかも何百年も昔の人間が生み出した案が、全て採用されるなんてことはありえない。


「言われてみれば……」


「つまりここに書かれていることは、彼女自身が考え出したものではない。彼女は実物の紙幣、それもかなり後世のものを知っていたんです」


「未来の、紙幣を……?」


陛下は視線を落として考えたのち、はっと顔を上げる。


「彼女自身が未来の人間だったんです。未来というか、この国で言うところの異世界ですね。そういう人間を呼びよせる仕組みが、この国にはありますから」


蘭王は先見の明があったわけではなく、ただそうなる未来を知っていた。

だからこそ他の政策、たとえば選挙制度なんかも手記に書くことができたのだ。


「では蘭令華は、召喚された聖人だったということか……?」


陛下の問いに、私は迷いながらも首を横に振る。


「当時の召喚の儀の有無については、どこにも明記がありませんでした。ただ『聖人は不在であった』というのが長く史実として伝わっているそうです」


『蘭王妃伝』を観劇した後、私は当時の聖人について個人的に調べていた。


「それに彼女は後宮に入る前に、当時の工部尚書であった蘭氏の養女になっています。もし聖人であれば、そんな面倒な手順を踏まなくても後宮(ここ)で暮らせますよね」


蘭令華が蘭氏の実子でないことは、よく知られた話だ。

そもそも養子自体が珍しくなく、出世を狙う官僚が、寵愛を賜りそうな庶民の娘を養女に迎えるのが通例だそう。


ただ蘭氏の場合、令華を養女に迎えた理由はそれと異なるだろう。


「蘭令華は私と同じように、誤って召喚されてしまった一般人。それを隠すために、あえて後宮で妃になったのではないでしょうか」


正確には「妃に()()()」と言うべきだろうか。

私の場合は陛下の温情によって、今も本物の聖人のふりをしてここで暮らしている。

当時の国王もまた、自分が誤って連れてきてしまった少女をどうにかして守ろうと考えたはずだ。

その結果、彼女に覇葉人のふりをさせ、自分の妃にすることで周囲の目から隠そうとしたのだろう。


「ああ……」


陛下は嘆息をもらす。

力の抜けた声は、驚きと納得が入りまじっていた。


蘭令華が異世界の人間だとすれば、彼女の型破りなファッションや気性にも説明がつく。

それは彼女自身が異端なのではなく、そもそも別世界の人間だったからなのだ。


「この仮説にもとづけば、手記に書かれた暗号も解読可能です。ただその前に、陛下にどうしても……確認、したくて……」


しだいに声が小さくなる私を、陛下が不思議そうに見つめる。


「このまま蘭王の正体が明らかになれば、召喚の儀で一般人が召喚されてしまった例が周知されます。おのずと私の正体も……ばれる可能性が高くなる。それでも私たちは、この謎を解いてよいのでしょうか?」


「……」


蘭王の正体を暴くことは、結果的に私の正体を暴くことになる。

陛下が召喚に失敗し、それを隠し続けていたことも。


この不安が、こんな夜更けに清龍殿(ここ)まで私に足を運ばせたのだ。


「……トウコは、どうしたい?」 


陛下は少し沈黙したあと、静かにたずね返した。


「最も影響を(こうむ)るのはそなただ。もしトウコがやめたければ、わたしもこの件を追求するのはやめよう」


「……」


成熟した眼差しが、ゆれるロウソクの火に照らされる。

私の中で答えが決まっていることは、すでに見透かされているようだった。


私はごくりと唾をのんでから口を開く。


「私は……知りたいです。蘭令華に何があったのか」


「興味があるか?」


深くうなずいたまま、私は顔を上げられない。


「陛下は……思いませんか?私と蘭令華は同じ境遇だったんです。ならいつか私も……彼女と同じ道をたどるかもしれないって」


「……」


返事はなく、息を呑む音だけがした。


「本当の蘭令華がどんな人だったのか……今はまだわかりません。だけど大勢の人間が彼女を恐れ、憎んでいたことは事実なんです。権力を得るため他人を陥れて、妊婦や我が子まで……殺す人だと思われている」


ぽつりと生じた黒い不安が私の胸の中で広がり、内側から(むしば)んでいく。


「……トウコ、」


「私もいずれ……そうなってしまうかもしれない。だからその前に知りたいんです」


「トウコ」


遠くぼんやりとしていた声が、急にクリアに聞こえてはっとする。

膝の上に目を落とすと、握った(こぶし)に手のひらが重なっていて、自分がさっきまで震えていたことに気づいた。


「そなたはそなただ。誰かと同じ道を踏むはずがない」


「……」


ずっと怖かった。

蘭王という底知れない闇が、私の背後に立って両腕を広げている。

いつか私も足を踏み外し、彼女に引きずり込まれるような気がして。


「たとえば……わたしと父上は同じ国王だが、まるで違う人間だ」


まっすぐにこちらを見すえて(さと)す陛下に、かつての自分が重なる。

いつの間にか私が陛下に導かれる側になっていたことに、驚いた。


「今日はもう遅い。暗号の解読はまた……明日聞かせてくれ」


陛下はそう言って、ぱっと離した手で自分の頬を隠した。


「はい」


私は覚悟を決める。

明日は紫雲さんと青藍さんを呼び、暗号に示された場所へ皆で向かうことを提案した。


「その前に、確認したいものがあるんですが。……持ち出せるでしょうか?」


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