謎の多い男①
「────で、どうでしたか?」
「……うん?」
「例の妓女と紫雲さまの関係ですよ!」
女性のよく通る声に、私は顔を上げた。
ここは桃華宮。椅子に腰かけた道子さんが、卓に両手をついてこちらに顔を寄せている。
私たちの間には、ジャスミンの香りの湯気がたちこめていた。
清龍殿で蘭王の手記の解読をこころみたものの、ひとりでは何も思いつかず、いったん持ち帰ることにしたのは2日前のことだ。
「あ、紫雲さんね。結局何も聞けてないよ。だってあの人普段通りで、私が家に行ったことすら知らないみたいだったし」
私がこたえると、道子さんは残念そうな顔でため息をつく。
「いつも通りだったということは、遊び女は1人じゃないのかもしれませんねえ」
「……」
焚きつけるような台詞が聞こえたが、私は反応せず、ただ茶杯の飲み口を親指でなでた。
正直、蘭王の件で頭がいっぱいで紫雲さんのことなどすっかり忘れていたのだ。
今日こうして突然やって来た道子さんを迎え入れたのは、何を隠そう、頭の切れる彼女に蘭王の手記について相談しようと思ったからだ。
……が、肝心のその話が切り出せない。
そもそも道子さんに打ち明けていいものか、私の中で迷いがあるからだ。
今回の事件には、この国の闇がひそんでいる。不義の子を孕んだ妃に消えた蘭王の遺体。関係ない彼女をどこまで巻き込んで良いものか。
それに加えて、いまだこの謎が解けないと打ち明ければ、私が聖人ではなくただのポンコツだとばれてしまうかもしれない。
道子さんは私が異世界から召喚されたことや、陛下のもつ不思議な龍魂の力について知る数少ない人。
ただ知らないのは、私が「陛下が間違って連れてきた一般人」ということだけだった。
一体どうすれば、蘭王の件には深入りさせず、あの手記のメッセージを道子さんに解読してもらえるのか……。
「でも紫雲さまって、本当に謎の多い殿方ですよね」
道子さんはまだ紫雲さんの話を続けている。
今日の彼女は妙だ。この前話した時は、さほど興味がなさそうだったのに。
「そもそも一介の宦官が、なぜあんなに陛下と親密なのでしょうか?」
早く話を変えたいところだが、そろそろ答えないと不自然だろう。
私は紫雲さんと陛下の関係性について思いおこす。そういえば2人は清龍殿で酒を飲み交わすこともあると言っていたから、主従を超えた関係なのは確かだ。
「それはほら、あの、龍の血の……」
陛下に教えてもらった龍魂の話が頭に浮かんだ。
紫雲さんの持っている数珠はかつて陛下から授けられたもの。そこに組み込まれている龍の血の力で、彼は召喚の儀や異界送りなどの特別な技を発現できるというものだ。
紫雲さんにしかできない事や知りえない事がたくさんあるから、陛下は彼を頼っているのだろう。
私の答えを聞いた道子さんは「それだ」と言わんばかりに、人差し指を突きたてた。
「ですからその数珠を授けられる前から、すでに紫雲さまは陛下から絶対の信頼を置かれていた、ということですよ。つまり昔から繋がりがあったと」
「言われてみれば、そうだね……」
たとえば青藍さんは御父上が先王の頃から仕える宰相で、彼自身も幼い頃から陛下の遊び相手として後宮へ上がっていたという。
しかし紫雲さんの立場は宦官という、いわば使用人に過ぎない。しかも普段は仏殿にいる僧侶だ。彼と即位前の幼い陛下に、どのような繋がりがあったのだろうか。
続けて浮かんだことを私は口に出す。
「それに何というか、あの2人って全然違うタイプだしね」
派手好きで人当たりのよい紫雲さんと、地味で寡黙な陛下。話が合うとも思えない。
年齢だって10くらい離れているし、仮に同じクラスにいたとしても決してつるまないだろう。
私たちの話がようやく同じ筋をたどりはじめ、道子さんは満足げに大きくうなずいた。
「そうなのですよ。身分も年齢も、育った境遇もまるで異なる男性同士が、一体何で繋がっているのか───」
その答えをすでに知っているような口ぶりの道子さん。
今度は左右の手の人差し指をぴんと立てたまま、顔の前でゆっくりと近づけていく。
指同士がぴたりと触れ合うと同時に、高らかに言い放った。
「────それは“愛”か“血”。つまり紫雲さまは、陛下の愛人か肉親のどちらかなのですよ!」
「ぶっ!!」
想像の斜め上をいく答えに、私は吹きだす。茶を飲んでいなくてよかった。
────道子さん、さては私の書いたBL小説(成人向け)を読んだな?
まあ、かくいう私も、かつて陛下の男色を疑ったことはある。
「えっと……陛下は男が好きなわけではないって、前に言ってたよ?」
それが真実かは本人のみぞ知るところだが、陛下があの場で嘘をつくとは思えない。
それに初恋の人が蔡王妃だということは、本人も肯定していたのだから。
「それに紫雲さんは妓楼で生まれたみたいだから、たぶん母親は妓女なんだと思う。さすがに陛下のお兄さんってことは……」
話の腰を折るようで申し訳なく思ったが、道子さんはなおも強気だった。
「父親が誰かは聞いていないのでしょう?」
「……そうだね」
「先王が妓楼に通っていた可能性は?」
「……ない、とは言い切れないけど」
真面目な憂炎陛下でさえお忍び外出するくらいだから、国王が街へくり出すのは通例なのだろう。
しかも先王の父である12代目国王は、後宮に多くの妻を抱えながら、外で宮廷画家の女性とも逢引きしていたという。
つまるところ、陛下のお父上がこっそり妓楼遊びに興じていてもおかしくはないのだ。
それにあの紫雲さんの母親なら、妓女とはいえ傾国級の美女であろうことは容易に想像できる。
「でも……仮にそうだとしたら、紫雲さんの母親は妃になっているだろうし、息子を宦官になんか……」
それでも疑念が勝る私は反論したが、道子さんはその倍以上の熱量で持論を展開した。
「妓女という身分を考えれば、後宮で母子が憂き目をみるのは明らかですから、あえて呼ばず隠し通したのでしょう。しかし先王は自分の血をひいた我が子、しかも男子ならば尚さら、そばに置きたがった。だから宦官として後宮入りさせることで、その願いを叶えたのですよ。それに、もし後宮の男児たちが全滅してしまったら、最後の“隠し玉”としてお世継ぎにすることもできますし」
「うーん……」
この話が突拍子もないのは変わりないが、聞けば聞くほど、そういう事もあり得るのではと思いはじめてきた。
たとえば後継者争いから逃すため、あえて遠い地へ送られた海陽殿下の例もある。
後宮での男児の相次ぐ死を嘆いた国王は、何とか世継ぎを残すため、あらゆる策を講じていたことだろう。
思えば海陽殿下の話を教えてくれたのは、他ならぬ紫雲さんだったか。
言われてみれば、紫雲さんの優雅な微笑みとふるまいは高貴な雰囲気がただよっているし、不敬を恐れぬ陛下への態度も兄ならば辻褄があう。
時にからかったり冗談を言い合う2人の関係が、兄弟のそれだとして────。
考えているうちにふと、道子さんの背後の壁に飾られた肖像画が私の視界に入る。
「……」
きらびやかな衣装に身を包み、堂々と鎮座する美貌の男を見て、私ははっと息をのんだ。
「まって道子さん。その説が本当だとして、お世継ぎがいない今、陛下にもしものことがあったら────」
先王の血を引く唯一の男子である紫雲さんが、次の国王に即位する……かもしれないということだ。
私は左手のひらを道子さんに向け「ストップ」の姿勢をとったまま、頭をフル回転させる。
紫雲さんに国王としての技量があるのかはさておき、そうなったら今度は彼のための後宮がつくられてしまう。……とんでもないことだ。
宮廷には妃候補や女官希望者が殺到し、街は紫雲さんの姿絵や非公式グッズであふれかえるだろう。
お忍び外出なんてしようものなら街中大パニックだし、紫雲さんのことだからそれを喜んで享受するにきまっている。
しまいには「民たちにこの美貌を賜りましょう」とか言って、象の背に乗って自ら街をパレードしはじめ───
一瞬のうちにここまで想像したところで、ショックでくずれ落ちそうな頬を両手で押さえた。
「ダメ!絶対!」
それを阻止するためには1日でも早く、陛下にお世継ぎを作ってもらわねばならない。
かねてから陛下に夜伽を迫り続けてきた李宰相ら重臣たちの気持ちが、今になってようやく理解できた。
【こぼれ話】
「象に乗って街をパレードする」というギャグ漫画みたいなことを、実際に北宋時代の皇帝はやっていたそうです。仁宗の時代からやっていたかは不明ですが。(仁宗はやらなさそう……)