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蘭王の手記①

日記に隠された秘密を暴いた私たちだったが、沙羅妃の幽鬼と再び対面することはなかった。

事の真偽は不明なままではあるが、とにかく今すべきことは、棺の中からこつぜんと消えてしまった蘭王の亡骸の捜索だ。


それから2日後、蘭王の陵墓を調査していた一行が城へ帰還した。

消えた遺体の代わりに棺の中に納められていたという1冊の手記が清龍宮へ届く。


この手記がなぜ調査隊から「気になるもの」として持ち帰られたのか。

理由は一目瞭然だった。


「……新品そのものだ」


青藍さんが、先日とほぼ同じリアクションで手記を凝視する。

その表紙は、赤い紙面に細かな文様が彫られ、その上からラメのようなものが塗られてキラキラと光っている。


しかし着目すべきは、その派手な装飾ではない。

はるか昔に作られたはずのそれが、今なお色鮮やかな状態であることだ。


「これも……幽鬼の()(しろ)なんでしょうか?」


「そうですね。蘭王の幽鬼が()いているのかもしれません」


冷静に言う紫雲さんに、私は背筋がひやりとした。

幽鬼というよりも、あの蘭王が近くにいるかもと思うと恐ろしい。


私は周囲を警戒しながら、ふと浮かんだ疑問を口にする。


「そういえば、亡骸がそばになくても魂は宿るんですか?」


「亡骸の場所は関係ありませんよ。魂は死後に遺体を離れ、しばらく現世をさまよったあと、依り代を自ら選んで宿ると言われています」


「自由に動けるなら、あとから依り代を移ることも?」


「可能だと思います。たとえば、昨日まで真新しかったものが急に古びてしまった場合、それはかつて依り代だった物だろうと我々は考えますから」


私たち4人は、先日と同じように赤い手記の置かれた卓を囲んで座る。


「今ここに蘭王の幽鬼が現れて、ご自分の場所を教えてくれたら早いんですけどね」


恐ろしいことを平然と言う紫雲さんだったが、蘭王が出てくる気配はなかった。


ひとまず手記の中身を読むべく、陛下がページを開いていく。


「これは……政策か?」


その手記はいわゆる政策ノート、もっと簡単に言えば「この国でやりたいことリスト」だった。

蘭王がこの国で成し遂げたかった政治改革案と、その具体的な方法が書かれている。


その政策案をざっと挙げると


・異国への降嫁の撤廃

・女性大臣の採用

・纏足の禁止

・目安箱の設置

・科挙の充実

・選挙制度

・軍事儀礼の廃止

・紙幣の流通

・夜間外出禁止令の撤廃

・商業の自由化


などだった。


その中には蘭王が自ら実践したものもあれば、後世に為されたもの、いまだ奏上すらされないものもある。


「やはり民や女性のための政策が多いですね」


紫雲さんが感心した声をもらす一方で、隣では青藍さんが顔をしかめた。


「しかし……あまりに大胆というか無鉄砲というか。やはり蘭王には儒教的概念が欠けているのか」


青藍さんはあらかじめ紫雲さんから『蘭王妃伝』の芝居の話を聞き、例のファンブックも借りていたようだ。


これはあくまでも個人的な手記なので、蘭王は理想の国の姿を思うままに書いていたのだろう。

だからこそ青藍さんが言うように、300年経った今でさえ到底受け入れがたいものもある。

特に選挙制度なんかは、いくら何でも早すぎると思う。


私たちがそれぞれの感想をもつ中で、陛下は手記をめくる手を止めた。


「蘭王が紙幣について考えていたというのは、初めて知ったな」


陛下が見ていたのは紙幣発行について書かれたページだ。


「紙幣って、今も存在しないんですよね」


「ああ。民間で発行される手形は存在するが、国として紙幣を採用している国はどこにもないはずだ」


その民間手形は覇葉国で「交子(こうし)」と呼ばれており、期限付きで銀や銅銭と交換できるというもの。

覇葉国では現在その「交子」の発行を国が引き継ごうという案が上がっているようだ。


「しかし蘭王が作ろうとしていた紙幣は期限もなく、その紙自体に価値をもたせている。偽物の予防策まで言及されていて、興味深い」


陛下は本来の目的そっちのけで、政策に夢中になっている。

私もその紙幣に関するページを覗き込むと、他の政策に比べてもかなり詳細に書かれていた。


「本当だ。『偽札防止のため、紙の透かし技術を適用する』なんてことも考えてたんですね」


私にとっては当たり前の技法だが、先進的すぎてこの時代には誰も追いつけなかったことだろう。


陛下は驚きの声を上げた。


「この時代にはまだ紙の透かし技術など無かったはずだ。やはり蘭王は先見の明がある」


「まだ……ということは、今はあるんですか!?」


私はむしろ蘭王の見識よりも、この国の先進技術に驚く。

そういえばこの前、活版印刷(かっぱんいんさつ)というものを見せてもらった。

東京の街を見た時もそうだったが、今が平安時代だということをつい忘れそうになる。


たとえば蘭王のように時代を超越した観察眼と圧倒的な権力をもつ君主が日本にもいたら、同じような先進国となっていたのだろうか。

そんな考えをよぎらせながら、私は続くページをめくった。


「あれ、ここ……」


最後のページの隣、つまり裏表紙の内側にも何か書いてあるのを見つけて、私は指さす。

走り書きでつづられた文字に、私たちはそろって凝らした目を寄せる。


『龍の御殿で髪に花弁がのると、そなたは崩れるさまにおびえて逃げ出すだろう。しかし香りに誘われふり返れば、私はそこで、いつまでも待っている』


「……?」


これまで書かれていた内容とは一変して、詩的な文章だった。


「これも……蘭王が書いたんでしょうか?」


「手記と同じ筆跡に見えますから、恐らくそうでしょう」。


続いて青藍さんも口を開く。


「『龍の御殿』というのは、国王の住まい。後宮の呼称だな」


「じゃあそこで『いつまでも待っている』というのは……」


この謎のメッセージが誰にあてられたものかはわからない。

けれど彼女の亡骸が消失してしまった今、これが居場所を示すヒントになっている気がしてならなかった。


「蘭王は自分の遺体の場所を教えるため、亡くなる直前に誰かにこの文章を残したのでは?」


私の推論に、青藍さんはうなずきつつも渋い顔でたずねた。


「しかしそうなると蘭王は、生前に自分の遺体がどこかへ移動するのを知っていたということか」


「そういうことに……なりますね」


もしくは蘭王が棺から生き返り、メッセージを書き残したか────。

それはあまりにも現実離れしているか。

『蘭王妃伝』によれば蘭王は息子である太子に殺されたことになっていたはずだが、彼女の死自体にも何か謎がありそうだ。


陛下が腕を組んで静かに言った。


「どちらにせよ、蘭王の亡骸は今この後宮のどこかにある可能性が高いようだな」


『龍の御殿』と書かれている以上はその通りなのだが、改めて考えるとおかしな話だ。

馬車で3日はかかる陵墓にいたはずの遺体が、この覇葉城に────。

とても1人や2人でできる所業ではない。もしくは何か人知を超えた力が関わっているのだろうか。

【こぼれ話】

憂炎のモデル(?)の仁宗は、世界で初めて紙幣を発行した君主と言われています。

ただ、作中にも出てくる「交子」という手形を仁宗が国営にしただけで、彼がいちから開発したわけではないです。

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