表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

86/146

『蘭王妃伝』②

蘭王妃こと令華はさらに朝廷を牛耳るため、愛人の黒翠(こくすい)に、僧侶にとって最高の称号「国師」を与えた。

この国の「国師」は、政治的権力を持つことが特徴だという。

たとえば国家行事に参列したり、国王や朝廷に対してもある程度の強制力をもった発言ができるそうだ。


美貌で令華の寵愛を独占した黒翠は、ただの宦官から、まさに国王に準じる立場への大出世をとげた。

そんな彼は、各地に寺を建立するなどして私腹を肥やしていたようだ。

黒一色だった衣装はだんだんと豪華になり、令華の隣に立つ様はさながら国王のようだった。


「宦官は権力欲が人一倍強いんですよ。頼れる家族もいませんし、何せ自尊心を切り取られているので」


子孫を残せない彼らにとって、欠けたものを埋めてくれるのは金と権力くらいだ。

そう語る紫雲さんの声はちょっと複雑そうだった。


ちなみに舞台上の黒翠は女性人気が高そうである。

客席前方で彼の一挙手一投足に目を凝らしている客は、よく見ればさっき紫雲さんに騒いでいた女子たちだった。


実際の黒翠も宦官とはいえ、女性にモテたことだろう。

それゆえ調子に乗りすぎたのか───

ある日彼は、令華でさえ座ることを躊躇(ちゅうちょ)していた玉座にうっかり腰を下ろしてしまう。


それに怒った王妃は、ついに黒翠の胸にも剣を突き立ててしまった。

何ともあっけない最期だったが、唇から真っ赤な血を吹き出す死に(ざま)はさすがの美しさだった。


それでも、愛人に裏切られた令華の怒りは収まらない。

すぐに宮中にいる“本物の宦官”たちを黒翠の同胞とみなして次々と追いだし、罪人を除く男への去勢を一切禁じるめいを出してしまった。


失ったものは二度と生えてこないし、宦官の多くは故郷も家族も持たない。

突然家と仕事を失った彼らは路頭に迷ったという。


いっぽうで官僚たちは、今がチャンスとばかりに令華に取り入ろうとした。

街中で美しい男を捕まえては、宝具(パオジー)をつけて後宮に送り込んだのだ。

美男イケメン狩りというやつか。

結果、宦官のほとんどが宝具をつけた美男子になってしまった。


「この時代に一気に宝具が普及したのは、こういう理由だったんですね」


こちらを向いた紫雲さんが、腑に落ちた様子で言った。

もとは聖人のために生まれたという宝具だが、今のように定着させたのは蘭令華だったらしい。

彼女はさっそく新しい愛人を大勢手に入れ、毎晩享楽にふけったという。


「真の狙いは、それだったりして……」


そもそも黒翠を殺したのも、ただ他の男を侍らせたかったからでは?

だとしたら黒翠も哀れな男だ。


そんな具合で令華が宮廷の表も裏も支配するなか、病で伏せっていた国王がついに崩御した。

ここまでくると、彼が本当に病だったのかも怪しいところだ。

令華によって毎日少しずつ毒を盛られていたという噂もある。


何にせよ次の国王は、令華の息子である太子のはずだった。

しかし令華は、初めから息子に王位を譲るつもりはなかったらしい。


自ら王位を継ぐため、令華は朝廷で太子の未熟さを説いた。

ただ女性の国王は前例がなく、ましてや彼女は王家の血を引く者でもない。

さすがに渋る臣下が多かったが、結局は太子が成人するまでという条件付きで承認される。

じっさい太子は幼い頃から父親譲りの気弱さで、母の言いなりだったという。


ついに蘭令華は名実ともにこの国の君主となったのだ。


再び舞台には空の玉座が現れる。

念願の龍袍(りゅうほう)を着た令華が舞台袖から登場し、臣下たちはひざまずく。


舞台中央で立ち止まった令華が客席の方を向き、遠い眼差しで宙を見わたす。

数え切れないほどの犠牲の上に、ようやく彼女が王位を手にした瞬間だった。


しかし、令華が玉座に腰を下ろそうとした瞬間───背後から彼女の胸を剣が貫いた。


令華は口から血を吐き、その場で崩れ落ちる。


背後で剣を手にしていたのは、実の息子である太子だった。


当時まだ15歳だった太子は、密かに重臣たちを味方につけ、王妃へ反逆する機会を狙っていたのだ。


横たわって動かない母を太子は冷たい目で見下ろすと、彼女の身体から龍袍をはぎ取る。

息絶えたはずの手が衣をきつく掴んで、なかなか放そうとしなかったのが生々しい。


母の血で汚れた龍袍を今度は太子が身にまとい、覚悟と絶望にみちた顔で、高らかに宣言した。


『長きに渡り悪女に奪われていた王朝は、いま再び龍の手中に戻った。我が国は未来永劫、龍神の加護を受け、これより栄華を極めん────』


当時は聖人もおらず、朝廷は龍神の力など頼ったこともなかっただろう。

しかしいつの世も、大衆の士気を鼓舞するのが神話であることを、この少年は知っていたのだ。


誕生したばかりの新国王に、臣下たちは怒号のような声を上げる。


『国王陛下、万歳!万歳!万々歳────!!』


こうして悪の王妃に支配されていた時代は終わり、宮中は安寧を取り戻した。


────そして舞台は暗転し、『蘭王妃伝』の幕が下りる。


場内は拍手と歓声に包まれ、終演後も客たちの熱気は止むことがなかった。



*   *   *



「壮絶でしたね……」


私は小さな車窓から、人や駕籠かごでひしめき合う街を眺めながら言った。

終演後もなかなか芝居の余韻が抜けず、私たちは半ば放心状態で馬車に揺られている。


「ええ。話には聞いていましたが、目の前で見るとかなり……」


紫雲さんも同じように景色を眺めながら、物憂げにため息をついた。


陛下もショックを受けているのか、芝居が終わってから一言もしゃべっていない。

まあ、それも仕方ないとは思う。

陛下にとって蘭王は、舞台上のキャラクターではない。自分の祖先であり、尊敬する先人でもあった。

その祖先が親子で殺し合ってまで求めた玉座に、今自分が座っている。

その心情は察するにあまりある。


「トウコさんはどう思いました?蘭令華について」


「うーん……」


『蘭王妃伝』はあくまでも演劇なので、それなりに脚色は入っているだろう。

たとえば王妃が自ら剣を持って殺害するシーン。あれは彼女の残虐さを印象づけるための演出のはずだ。

ただ、それを加味しても思うところは色々あった。


「私は何というか……むしろ蘭王に親近感を覚えましたね」


「……どういうところに?」


「猫を可愛がっていたり、王妃になって最初にやったことが纏足(てんそく)の禁止だったり。あとファッションも何ていうか、背伸びしてるというか……自分を強く見せようとしていて。残虐な場面の合間に見える人間らしさが、なぜか印象的でした」


紫雲さんは話を聞きながら、おそらく芝居を思い返していたのだろう、ふんふんとうなずいた。


「……彼女の本当の顔は、芝居だけではわからないのかもしれませんね」


美しく愛されていたはずの彼女が、なぜあれほど残酷な女性になってしまったのか。

我が子を殺めるほど権力は人を狂わせるのか───。

その謎だけが残る芝居だった。


馬車が繁華街から離れたところで、私たちは本題に入る。


「……でも、あの幽鬼が誰なのかはわかりましたね」


“『令華が……いないの。どこにも────』”


そう言って蘭王を必死に探す金髪の女性の正体。


「ええ、あの沙羅妃以外に考えられません」


腹の子共々(ともども)無残に殺された沙羅妃の恨みは、相当なものに違いない。

だから彼女は幽鬼となって、300年も蘭王を探し続けているのだろうか。

そう考えるとあの幽鬼がいっそう恐ろしく、悲しいものに思えた。


「何にせよ幽鬼の正体がつかめたんですから、街へ出た甲斐がありましたね」


私が言うと陛下もこくりとうなずく。

そんなことを話しているうちに、馬車は宮城の門をくぐった。


紫雲さんがにこりと微笑みながら、陛下の顔をのぞきこんだ。


「思ったより早く帰れましたけど、明日はお休みをいただいて良いんですよね……()()()()?」


今夜は帰りが遅くなるのを予想して、明日私たちは特別休暇をもらっていたのだ。


しかし陛下は眉をひそめ


「……二度とその名を呼ぶな」


と吐き捨て顔をそむけてしまった。


「ええ!?」


思いもよらなかった反応に、紫雲さんは驚きの声を上げる。


「あんなに嬉しそうだったのに……」


私は苦笑するしかない。


陛下のことだからたぶん怒っているのではなく、羞恥心に耐えきれないのだろう。


馬車に合わせてゆれる陛下の後頭部を私は眺める。


“『わたしは……だめなのか』”


ひざに乗った温かい重みと真っ赤な顔を思い出しては、笑いをかみ殺した。



お読みいただきありがとうございました。


次回はトウコが推しのスキャンダルにうろたえる話です。


もし気に入っていただけましたら、ブクマいいね感想評価★などいただけると大変ありがたいです。

今後もよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ