『蘭王妃伝』①
演劇の中の出来事ですが、残酷な描写が含まれます。
照明の当たる板の上に1人の少女が現れた。
目鼻立ちのくっきりした美人だが、何より観客の目をひいたのは彼女の装いだ。
「おや。ずいぶんと大胆な……」
紫雲さんが思わず声をもらす。
少女の衣のスカートが、ひざ上ほどの丈しかないのだから無理もない。
彼女の細い足首やふくらはぎ、ひざ小僧までが観衆の目に晒されていたのだ。
この国にも胸元をガッツリ開けた衣装はあるが、脚を出している女性は見たことがない。
ミニスカートなんて、下着姿くらいの大胆さではないだろうか。
「あの人が当時の工部尚書蘭氏の娘、蘭令華ですね」
紫雲さんは冊子を手にしながらそう言った。
表紙には『蘭王妃伝』と書かれている。
その本には演目の台本や解説、芝居には入れられなかった蘭王のエピソードまで載っているらしい。
ファンブックまで出版されるとは、やはり相当な人気演目なのだろう。
それによると、のちの蘭王妃こと蘭令華は才人という低位の妃として入宮したが、その頃からミニスカートを履いたり、奇抜な化粧をするなど大胆で型破りな女性だったらしい。
そんな変わり者の妃を、20以上年の離れた国王は娘のように甘やかし可愛がったという。
「南国の果物や花を好む令華のために、駿馬を何頭も潰したという逸話もあります」
芝居はもちろんセリフ付きなのだが、ほとんどが歌で、言い回しも独特なので理解しづらい。
冊子をもとに紫雲さんがこうして解説を入れてくれるようだ。
そのうち舞台上にはまた別の役者が出てきた。金髪で白い肌の少女だ。
「……あの幽鬼とちょっと似てません?」
私が言うと、紫雲さんもうなずいた。
「あれは沙羅という名の妃で、北方の我羅国から来たそうです」
元の世界で言えばロシア辺りだろうか。
異国人ならば、紫雲さんに言葉が通じなかった幽鬼の特徴とも一致する。
しかし異なる点もあった。
舞台上の沙羅妃は幸せそうな笑顔を見せながら、大きな腹を抱えていたのだ。
そんな彼女を、背後から蘭令華が鬼の形相で睨んでいる。腕には猫を抱いていた。
「令華はなかなか子に恵まれなかったので、猫を溺愛していたそうです」
ちなみに衣装は普通のロングスカートに変わっており、猫は本物の猫を使っているようだ。
国王にはすでに子が何人もいたが、令華にはいない。その上異国の妃にまで先を越されたのがよほど悔しかったらしい。
令華は抱いていた猫を下ろすと、その代わりに細長い剣を手にし、それを何と沙羅妃の腹に突き刺してしまった。
沙羅妃は悲鳴を上げ、腹はみるみるうちにしぼみ、白い衣の腰から下が血糊で真っ赤に染まった。
「令華は身ごもった沙羅妃を離宮に送ったのち殺害。腹ごと中の赤子を切り裂いたと……」
冷静な解説が入るが、いきなりのスプラッタに私は身震いした。
真っ赤な血しぶきと、沙羅妃の悲鳴────
横たわる彼女を見下ろし、たか笑う悪魔のような令華────
ただ舞台上の惨劇とは逆に、客席は歓声と拍手で大盛り上がりだ。ここは見せ場の一つなのだろう。
開始早々おぞましいほどの残虐さを見せつけた令華だが、不思議と国王の寵愛を失うことはなかった。
国王は令華を溺愛するばかりで、後宮のもめ事があまり耳に入らなかったようだ。
手を焼く女ほど可愛いという感情もあったかもしれない。
やがて令華自身も身ごもり、待望の第一子を出産する。
しかし生まれたのが女の子だとわかると、彼女はあろうことか赤子の娘を締め殺し、その罪を当時の王妃になすりつけた。
令華は名実ともに後宮のトップとなるため、かねてから王妃の座を狙っていたのだ。
王女殺害の罪を着せられた王妃は廃され、気が狂ったのち自ら死を賜ったという。
その後令華は念願の男子を出産すると、彼を太子に立ててついに王妃の座を勝ち取る────。
場面転換が入り、舞台は臣下たちの集まる朝堂に変わった。
舞台中央には国王が座る玉座。しかしそこは空席だった。
この時すでに国王は病で伏せることが多く、朝議は王妃が代わりを務めていたらしい。
玉座の後ろにはビーズを連ねてできた簾が下りていて、その奥に令華がひとり座っている。
「何で簾の奥に隠れてるんだろう……」
その疑問には陛下が答えてくれた。
「女が大勢の男と対面したり、ましてや政に直接関わることは許されぬ。だから形式上姿を隠しているのだ」
かつて劉太后も、朝堂では幼い陛下を玉座に座らせ、彼女自身は簾の奥から指示を出していたそうだ。
舞台では宦官によって聖勅(国王の言葉)が読み上げられる。
『────よって、王妃の言葉は全て、朕の言葉である。王妃に従うべし────』
令華が立ち上がり、ついに簾の中から姿を現した。
晴れて国王と同等の存在として認められた令華だが、龍袍(国王の衣装)に袖を通すことはできない。
その代わりだろうか。彼女は黄金の虎が刺繍された黒の衣に、毛皮のような大判ストールを重ねている。
「ここぞという時に、彼女はよく獣の毛皮を身に着けていたそうです。まるで猛獣のようだと恐れられていたとか」
濃いメイクや底の高い靴のせいもあるだろうが、少女時代とは別人のような迫力である。
そんな令華は空の玉座の前に立ち、下からゆっくりと両腕を持ち上げる。
臣下たちはいっせいに拱手し叫んだ。
『王妃さま、万歳、万歳、万々歳────!!』
人々が彼女を“蘭王”と呼ぶ理由がよくわかる場面だ。
「隣にいるのは誰ですか?」
いつの間にか令華のそばには、全身黒ずくめで長髪の男が、マネキン人形のように直立していた。
「蘭妃の愛人で、僧侶の黒翠です。愛人といっても彼は宦官のようですね、本物の」
「愛人、ホンモノ……」
“蘭王”ともなると、色々とスケールが違うものだと感心してしまう。
衣の形が紫雲さんと似ているのは、同じ僧侶だからか。
よく見れば黒翠の顔も女性的で美しい。
────魔性のオトコって感じだ。攻めか受けか迷うところだが、アレがないっていうのはやっぱり……。
なんてことを考えてしまい、久しぶりに自分が腐女子であることを実感する。
当時は宝具の普及が始まったくらいの頃で、後宮には去勢した本物の宦官と、宝具を付けた偽物が混在していたらしい。
しかし偽物の立場は弱く、主要なポジションにいる宦官のほとんどが去勢した者だったそうだ。
出世のために去勢を選ぶ宦官も多かったのだと、紫雲さんは教えてくれた。
「朝廷は今後この2人によって支配されていきます」
また場面が変わった。
舞台には手足を縛り上げられた男たちが並んで膝をつかされている。
男たちの横に立つ兵士は、令華の合図で順番に斧を地面へ振り下ろしていった。
「令華は当時流行り始めた纏足という、女性の足を小さく縛り上げる風習を禁止しました。しかし、なかなか根絶しなかったため、纏足の妻をもつ男たちを集め、見せしめとして彼らの足首を切り落としたそうです」
「ひええ」
地にのたうち回る男たちを見て、令華は愛人とともに微笑んでいる。
その表情はまるで美しい舞でも眺めているようだった。
「……なぜ、纏足の女ではなく男の方に罰を?」
陛下がつぶやく。
私も同じことを思ったが、理解できないわけではない。
纏足文化の根底を支えているのが、男の欲望だと令華は思ったのではないだろうか。
続いて令華たちは、密告によってあぶり出された反対派の官僚たちを粛清しはじめる。
一族ともども王都から追い出したり、罪をなすりつけ処刑したり。
もはや令華に歯向かえる者は朝廷にもいなくなった。
私は紫雲さんにたずねる。
「当時の聖人は何をやっていたんですか?」
後宮を救い国を導くはずの聖人は、彼女の暴走を止められなかったのだろうか。
「この時代は聖人が不在だったようです」
「……そういう時代もあったんですね」
もし聖人がいれば、王妃になる前に令華の暴挙を止めることができたかもしれない。
そう思うとやりきれないが、かつて聖人がいない時代もあったという史実に私は少しほっとした。
「召喚の儀自体は行われたと思いますが、きっと国王が聖人を見つけられなかったんでしょう。ちょっとマヌケな国王ですよね。だから令華の言いなりになってしまうんですよ」
紫雲さんがくすりと笑うと、隣で陛下がゴホゴホと咳き込み、それは私にも伝染した。
【こぼれ話】
蘭王のキャラクターは武則天をベースに、色んな時代の文化や逸話を入れてアレンジしています。
纏足を出すのはさすがに時代錯誤すぎるかなと迷いましたが、彼女の後世の女性たちへの影響力を示すため入れることにしました。
蘭王のおかげ(せい?)で覇葉国は後世でも纏足が広まらなかったという設定です。