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牡丹棚①

それからまた数日後の夕刻、私たち3人は『蘭王妃伝(らんおうひでん)』を観劇するため、馬車で宮城の門を出た。


それにしても、こんなに早くまた東京の街へ出られるとは───。


はじめは劇団を宮中へ呼ぶつもりだったのだが、陛下の御前で先祖の悪行を演じる度胸のある者は、東京(とうけい)中探したっていないだろう。

巷に広まっている蘭王像を知るには、やはり劇場へお忍びで足を運ぶのが最善だということになった。

と言っても今回は完全なお忍びではなく、私たちは民に扮した近衛兵によって遠まきに護衛されていた。


「『蘭王妃伝』を上演する小屋はいくつかありますが、この牡彤棚の評判が特に良いみたいです」


馬車から降りた紫雲さんが、「牡丹棚」と書かれた大きな看板を見上げながら教えてくれた。


通りには同じように「蓮花棚」や「夜叉棚」などとかかげる建物が並んでいて、それらは全て芝居小屋だという。

「〇〇棚」というのは元の世界でいう「〇〇座」みたいなものなのだろうか。


私に次いで馬車を降りた陛下は、周囲を見渡すとはっとして顔をふせた。

牡丹棚はちょうどこの前、憂炎フィギュアを買った露店の近くだったのだ。

私と陛下は人形売りのおじさんに見つからぬよう、そそくさと牡丹棚の門をくぐった。


はじめて足を踏み入れた芝居小屋の雰囲気は、どこか酒楼に似ていた。

舞台前の1階席はすべてフリースペースになっており、観客は床に腰を下ろして観劇する。

1階席を囲うようにして建てられた2階は全てボックス席で、卓を囲み酒や料理も楽しめる。

収容人数は全部で300人くらいらしい。


個人的には近くで見たかったのだが、陛下もいる手前、私たちは2階に上がることにした。


見やすい席は既に埋まっており、入れたのはおそらく臨時で設けられた席だろう。

大床の上に脚の低い卓が1つある、お座敷タイプだった。

舞台側には落下防止の手すりが設けられているが、かなり低いので立ち上がる時は注意せねばならない。


靴を脱いだ私たちが腰を下ろすと、ちょうど講談が聞こえてきた。内容はおそらく三国志だ。

ここでは演劇だけでなく、講談や曲芸、舞踊や唄などさまざまな演目が1日中上演されているという。


「蘭王が始まるまで時間がありますし、何か食べましょう。陛下は何…」


言いかけた紫雲さんが手で口を押さえた。


「紫雲、わたしのことは“くろまる”と呼べ」


「……くろまる?」


首をかしげる紫雲さんに対し、陛下は誇らしげに「ニホンの名だ」と言った。


「あ、あの……」


2人で出かけたことが紫雲さんにバレるのではと、私は内心ヒヤヒヤした。


「おやおや、可愛らしい名前をもらってよかったですねえ」


すぐに目を細めた紫雲さんは笑いながら、粘りのある視線をこちらにおくってきた。

私は笑ってごまかしながら、目の前に積まれた果物を手に取った。


「む……何か騒がしいぞ」


真向かいに座る陛下がそう言って1階を見下ろした。

私も手すりに腕を乗せ下を覗くと、1階席にいつの間にか人だかりができている。


不思議なのはその人だかりが舞台前ではなく、ちょうど私たちの席の下あたりに発生していることだ。

集まっているのは若い女性ばかりで、皆立ったまま2階のこちらを見上げている。


一体何を騒いでいるのかはわからない。

でも彼女たちはニコニコしながら手を振ったり、恥ずかしそうに手で顔を覆う子もいる。

さながらアイドルのファンのようだ。


「まさか……へ、じゃなくて、くろまるの正体がバレたんじゃないですか?」


忘れていたが、この街で陛下はアイドルなのだ。

いたる所にポスターが貼られ、露店には非公式グッズが並ぶ。

これだけたくさんの女子がいれば、1人くらい正体に気づくかもしれない。


「どうしましょう。ここを出た方が……」


「まてトウコ」


陛下がそう言って、目を閉じ耳をすます。


「……どうやら、紫雲のことを新しい役者か何かだと勘違いしているらしい。どの演目に出るのだろうかと話している」


「……は?」


「それは何とも……困りましたねえ」


唖然とする私を前に、まんざらでもない様子の紫雲さん。

酒杯をかたむけると、1階席のファン(?)に向かって笑顔で手を振りはじめた。

案の定、女子たちはきゃあきゃあと高い歓声を上げ、それを聞いた2階の客までこちらを覗き見てくる始末。


これじゃあお忍びの意味がない。


「ちょっと!早く隠れてください!」


私たちは慌てて紫雲さんを通路側へ押しやった。

イケメンの姿が消え、諦めて各々の席へ戻っていく女子たちだった。


いつの間にか舞台では次の講談が始まったが、ここからではあまりよく聞こえない。

やはり2階席は飲食がメインなのだろう。


ファンサができなくなった紫雲さんは手持ち無沙汰になったのか、ひとり酒がすすんでいるようだ。


「トウコさんも一杯どうですか?」


「いや、結構です」


「このお酒甘くて飲みやすいですよ?」


「それは……」 


それは知っている。知っているからこそ飲めないのだ。

この前酒楼でやらかした失態を繰り返すわけにはいかない。


陛下も無言でうなずいていた。


それにしても、なぜあの時だけあんなに酔ってしまったのだろう?

城から出た影響なのか、それとも酒の材料のせいか。

いまだ原因は分からないが、危ない橋は渡れない。


そんな事情を知るよしもない紫雲さんは、すでに目元をほんのり紅くしている。


「ねぇ……トウコさんってもしかして、街に出るの初めてじゃないんですか?」


「はい?」


「いえ。東京(とうけい)の街の賑わいを見ても、あまり驚かないのが不思議で。店内でのふるまいも何か慣れてますし」


「……」


鼓動が速くなり、言葉につまる。

ふと見ると陛下のまばたきも多くなっている。


「……は、はじめてに決まってるじゃないですかあ!それに驚かないのは当然ですよ。自慢するようで悪いですけどねえ、元の世界はこんなもんじゃないですからね!?昼みたいに明るい夜の街で、朝まで毎晩ドンチャン騒ぎ────」


窮地に立たされた私は何を思ったか、自分とはほど遠いパーリーピーポーを装ってしまい、あることないこと喋り続けるはめになった。


「まあ、よく考えればトウコさんがやすやすと街へ行けるわけないですよね。出たところで言葉が通じないんですから」


「あ……そうそう!それです!」


そのことをすっかり忘れていた。

だって前回も今回も言葉は通じたのだから。


そのうち紫雲さんは飽きてしまったようで「蘭王が始まったら、起こしてください……」と言って卓に突っ伏してしまった。


おいおい、さっきからあなたは……一体ここに何しに来たんだよ。

と思いつつも、ひとまず危機を逃れたことにほっと胸をなでおろした。



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