幽鬼の通訳②
私は勇気をふりしぼって目を開け、幽鬼と対峙する。
紫雲さんの言うとおり、彼女の唇は何かを訴えていた。
『レイカ……』
私は耳をすませてみる。
『レイカ、どこなの……』
「“レイカ”……?」
幽鬼はひたすら“レイカ”という言葉を繰り返している。
しかしそれだけでは状況がつかめず、思いきってこちらから声をかけてみることにした。
「あの!すみません……」
幽鬼の顔はこちらを向いているが、視線は私の背後の紫雲さんに注がれたままだった。
「レイカというのは、人の名前ですか?……あ、あなたのお名前は?」
『……』
幽鬼とはいっこうに視線が合わず、質問も無視された。
……というか、私の声が聞こえていない?
実は私の方も、幽鬼の声はかすかにしか聞こえない。
それに見える姿もおぼろげで、特に腰から足にかけては薄く消えかかっている。そこが幽鬼らしいと言えばそうなのだが。
僧侶のパワーをもってしても、幽鬼と意思疎通するのは不可能なのだろうか。
私は紫雲さんにむかって首を左右にふった。
「私の声には反応してくれませんね。でも“レイカ”という人……それともペットかな。とにかくその名の者を探しているようです」
「レイカ……」
紫雲さんが表情をくもらせ、私の肩から腕を下ろした。
「知ってるんですか?」
答えは、少し間をおいて返ってきた。
「あの幽鬼がいつの時代の方かわからないので、断言はできませんけど……」
たしかに。あの幽鬼が最近死んだ人間なのか、それとも昔の人なのか。
それによって話はずいぶんと変わってくる。
ただ、今は紫雲さんの知る人物をあたってみるほかないだろう。
「そのレイカさんはどこにいますか?後宮の人?」
「知り合いではなくて、名前を聞いたことがあるだけです。何せ昔の方ですから……」
彼らしくない暗い面持ちと、もったいぶった言い方に不安がつのっていく。
「……蘭王、もしくは蘭王妃という名を聞いたことは?」
「あ……」
私はうなずく。
“蘭王”とは、かつて国王の代わりにこの国を治めていたという王妃の名だ。
「蘭王の名前は、蘭令華と言うんですよ」
「じゃああの幽鬼は、蘭王を探して……?」
腹の底から、今度は芯をもった震えがわき上がった。
覇葉国史上最悪の王妃といわれる蘭王については、先日知ったばかり。
この短期間のうちに、また彼女の名を聞くことになるなんて────。
「あ……」
私の視界に、ふたたび金髪の幽鬼が現れた。
今は紫雲さんに触れてもいないのに、今度は足元までしっかり見える。
白い衣の足元は、裾にかけて真っ赤に染まっていた。
『レイカが……いないの。どこにも────』
泣き腫らした目。
そして血を垂らした唇からつむがれる言葉に込められた強い怨念が、今度ははっきりと耳に届いた。
「~~~~&※*$##¥????!!!」
私は文字化できない悲鳴を上げながら、紫雲さんを突き飛ばして出口へ突進し、みごと扉に激突した。
* * *
「蘭王を探す女の幽鬼、か……」
「はい」
後日私たちは陛下をたずね、これまでのいきさつを話した。
意思疎通はかなわなかったが、幽鬼が探しているであろう蘭令華は陛下の先祖。
遅かれ早かれ陛下の力を借りることになっただろう。
「そもそも蘭王は昔の人なんだから、ここにいないのは当たり前なんですけどね」
私が苦笑すると、陛下は首をかしげた。
「自身が死んで幽鬼になっているというのに、蘭王が死んでいることには気づかないものなのか?」
あの幽鬼が蘭王の知人だとすると、彼女自身も亡くなってから300年ほどたっているはずだ。
その間ずっと彼女は、この後宮をさまよい続けていたのだろうか。
私の隣で紫雲さんが答える。
「幽鬼の感覚は、人間の頃とは異なるんです。自分が死んだことにすら気づかない方もいますよ」
「そういうものなのか」
とにかく幽鬼から話を聞けない今、彼女自身がいったい何者なのかをつき止める必要があるだろう。
その鍵になるのは蘭王しかない。
「蘭王の周囲に、金髪で青い目の女性はいませんでしたか?」
幽鬼になってまで探すという事は、蘭王とはかなり親しかった女性だと思われる。
「ふむ。当時も異国の妃や女官は大勢いただろうから、そういう者もいたとは思うが……」
陛下は腕を組み、椅子の背もたれに身体をあずけながら言った。
「蘭王の記録、特に私生活に関するものはほとんど残されていない。彼女の遺言によって死後に廃棄されたそうだ」
「なるほど」
それが本当に彼女の意志かは、正直疑わしいと思った。
覇葉国の歴史から悪女の存在を消そうという意志は、宮中に少なからずあったはずだ。
陛下は続ける。
「ただ陵墓には遺品があるだろうから、使いをやって調べさせよう」
蘭王が彼女の夫である国王とともに眠る陵墓は|、王都から離れた山の上にあるらしい。
中には遺品とともに、当時の国家財産の1/3とも言われるほどの財宝が供えられており、その場所は限られた者しか知らないという。
単なる墓というより、古墳やピラミッドの方が近いのだろう。
「いいんですか?そんな、ご先祖様の墓を暴くみたいなこと……」
めずらしく積極的な陛下に、私は少し不安を覚えた。
「彼女の人生には、わたしも興味があるからな」
そういえば陛下は、蘭王の政治手腕に憧れているのだった。
この状況を利用して彼女の秘密を探りたい、というところだろうか。
「じゃあその間、私たちは宮中で情報を集めてみます。古参の女官なら、蘭王の噂話いろいろ知ってそうですし」
私の提案に反論したのは、意外にも紫雲さんだった。
「蘭王に関しては、宮中の人間はあてにならないと思いますよ」
「どうしてですか?」
「もちろん噂は私たちも耳にしますが、何と言っても陛下のご先祖様ですから。彼女の悪評は大っぴらに口にできないんですよ。蘭王については、むしろ王都の民の方が詳しいかと」
「……そうだな」
陛下も暗い表情でうなずいた。
宮中で蘭王をタブー視する空気は、陛下自身も感じていたらしい。
ふたりの知る蘭王の噂話も、元は城の外から入ってきたものがほとんどだとか。
「でも蘭王って、もともと宮中の人ですよね?民たちはどうやって彼女の話を知るんですか?」
「それは……やはり芝居や講談じゃないでしょうか。今も人気があるみたいですよ。『蘭王妃伝』といって」
「───それだ!!」
「「……」」
両手で卓をバンと叩いた私に、ふたりは驚き顔を見合わせた。
次回はこの3人で観劇に出かけます!
(たまに次回予告入れることにしました)