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籠の鳥

宦官たちによって担がれる輿(こし)が、清龍殿の前に到着し、白髪の老人が降り立った。

突然の謁見(えっけん)にもかかわらず、すぐに国王のいる寝殿へ通された老人は、宮廷画家の宋鶴(そうかく)だ。


執務机で書物を読んでいた憂炎は、宋鶴の顔を見るなり部屋の配下をすべて下がらせた。


「ご依頼が完了いたしましたので、ご報告を」


宋鶴は曲がった腰をさらに深く折り、揖礼(ゆうれい)をささげる。

憂炎はすぐに「楽にせよ」と気づかい椅子を勧めた。


「早かったな。ご苦労だった」


恩賞の姿絵を描かせるため、憂炎がトウコのもとへ遣わしたのが、この宋鶴だった。


宋鶴の隣に憂炎も腰を下ろす。


「そういえば、年末には(さと)に下がるのだったか」


「もう少し、残ることにいたしました」


「それは良かった」


宋鶴はかつての憂炎の、絵画の師である。

(まつりごと)より芸術を愛した祖父の影響で、王子たちはみな言葉を覚えはじめた頃から彼の教えを受けていたのだ。


憂炎にとっては、姿絵でしか見たことのない先々王以上に、本物の祖父のような存在だった。


「お世継ぎの顔を拝見するまでは、もう少し頑張りたく」


そう言って腰かけたまま拱手する宋鶴に、憂炎は口をつぐんだ。


それは古くから宮廷に仕える老臣たちの、挨拶代わりの口上にすぎない。

しかし今日のそれは、宋鶴の心からの諌言(かんげん)であるように聞こえたのだ。


「絵でも書でもそつなくこなす、ご兄弟一の優等生でありましたな、陛下は」


宋鶴は顔を伏せたまま、抑揚のない声で言った。

叱責の色をあえて消すことで、こういう皮肉を言う権利を得る。宮廷に長くつかえる秘訣であった。


たしかに憂炎は、体を動かすこと以外においては、大人たちをしばしば感心させ、呆れさせることは決してなかった。

ただ憂炎が後宮で目立つことを、母の劉氏が何より嫌ったのだ。

だからこうして親政をおこなうまで、彼の才知を知るのはこの宋鶴らだけだった。


「……こればかりは、相手があることだ」


かつての師から目をそらし、遠くを見ながら憂炎がようやく口を開く。

宋鶴はとたんに顔を上げ、しゃがれた笑い声をあげた。


「“相手”をいったい何人お持ちだと?そのつもりのない女子など、後宮(ここ)にはおりませぬぞ」


冗談とも本気とも思えぬ口ぶりに、憂炎は苦笑する。


「今日のそなたは、まるで諫官(かんかん)だな。今日ここへ来たのは、わたしを叱るためか」


部屋は静まりかえり、空気がだんだんと重く冷えていく。

それを吹き消すように、宋鶴は表情をやわらげた。


「いいえ。今日参りましたのは、“本当の”ご依頼の品をお届けするためです」


そう言って、細長い桐の画箱を両手で持ち、うやうやしく差し出す。


憂炎はその画箱を数秒間見つめ、“本当の依頼”など今の今まで忘れていたという素振りで受け取ると、慎重に蓋を開けた。

中で筒状に丸まった画紙を取り出し、机の上にひろげる。


憂炎は目を細めた。


そこに描かれていたのは、桃色の衣に身を包み、はにかむ女人の姿だった。

覇葉国の女にしては短すぎる、柔らかそうな茶色の髪には赤い薔薇が1本挿さっている。


「何と言いますか、とてもはつらつとしたお方ですな。宮中ではあまり見ない女人です」


「……あいつと一緒にいるからだろう」


紅い薔薇と、それに似た色に染まる頬に憂炎の視線はそそがれている。

年頃の青年の、陰と陽とが混ざりあった複雑な横顔を、宋鶴はまた老臣の複雑な心境でながめた。


「……陛下は、御祖父上がなぜ柏嫣(はくえん)を妃へ召さなかったのか、ご存知ですか」


柏嫣とは、かつて憂炎の祖父が愛した宮廷画家だ。

先々王は彼女を寵愛しながら後宮には入れず、わざわざ城の外にある彼女の邸宅まで通いつめていたという。 


「柏嫣はたしか、そなたの妹弟子(いもうとでし)であったか」


宋鶴はうなずく。


「彼女が拒んだのではないか」


「たとえ彼女が拒もうとも、国王が望めば逃れられません」


宋鶴は背筋を伸ばし、強い眼差しで憂炎の目を見すえる。


「『いくら求めても、決して手に入らぬものほど美しいものはない。それこそが風流だ』。御祖父上はそうおっしゃいました」


「……」


憂炎の背中を、冷たいものが走った。

無自覚にこの身体を流れる、あさましさを暴かれた気分だった。


「柏嫣という女もまた、あの方の生み出す、芸術品のひとつにすぎなかったわけです」


柏嫣(はくえん)は寵愛を失った後も誰かに嫁ぐことはなく、年老いてからひとりこの世を去った。

どれだけの美貌と才能をもとうと、国王の寵愛を受けた女を(めと)る度胸のある男はいなかったのだ。


彼女の兄弟子(あにでし)であったこの宋鶴も、宦官でないにもかかわらず、七十を超える今まで独身を貫いている。

その理由に憂炎は初めて気がついた。


人の心の内に隠された美と醜、宋鶴はそれを容赦なく描き出してきた。

老化のため両目はすでに白く濁っているが、その眼力は健在だ。


「陛下はこの国で最も尊い御方。どのような鳥を何羽愛でようとも構いませぬ。ただし、鳥籠(とりかご)におさめてからになさいませ。どこへ飛んでゆくとも知れぬ野鳥を、我が物とおっしゃるのは道理に反しております」


宋鶴は拱手し腰を曲げ、老人の風貌(ふうぼう)にもどる。

師としての願いか、それとも過去の遺恨か。

もはや目の前の国王を(いさ)めることを、隠すつもりもないらしい。


「……」


『しかし』『違う』『そんなつもりは』───いくつもの言葉が、憂炎の喉元で消えていく。


「……肝に、銘じておく」


感情を殺し、兄弟一の優等生の顔で立ち上がる。幼い頃からそうしてきた。


女人の姿絵は元の筒状に戻り、憂炎の手によって画箱へおさめられる。


「もう、下がってよい」

 

宋鶴は立ち上がり深く揖礼(ゆうれい)すると、よろよろと扉へ向かって歩いた。


視界から老人の背中が消えると、憂炎は螺鈿(らでん)細工のほどこされた戸棚の前へ移動した。

扉を開き、画箱をいちばん奥へ押し込む。


(かご)の中にいるのは、わたしの方ではないか……」

 

ひとりでつぶやき、両手で扉を閉める。

無意識に力が入ってしまい、大きな衝撃音が部屋中に響いた。


「───どうされましたか!?」


部屋の外で警護をしていた宦官が、驚き飛んでくる。


「……いや、何でもない」


憂炎は目を閉じ、深く息を吐いた。


いま、手にしているもの。

その中に自分が心から欲したものが、いくつあるだろうか。

掴みたかったもの、側にいてほしかったものほど、憂炎の手をすり抜けていく。

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