東の都、夢の街④
私たちは牛車が待つ大通りを目指していた。
特に賑わっているこの通りには、芝居小屋が建ち並び、演劇や講談なんかが夜遅くまで上演されているらしい。
異世界とはいえ、今が平安時代だなんてとても信じられない。
この国の文化は既に、日本でいえば江戸時代ほどのレベルに達しているのではないか。
この街を見ていると、そう思わざるを得なかった。
「なにか買ってやろうか」
露店に並ぶ陶器人形を眺めていたら、陛下が言った。
「え、良いんですか?」
それを聞きつけたのか、耳ざとそうな店のおじさんが飛んできた。
「あんた東京の街は初めてかい?」
「はい」
この王都は東京と書いて「とうけい」と呼ばれる。ちなみに西京や北京、南京もあるらしい。
我々には馴染みのある名前だが、橋の上にまで屋台がひしめき合うこの商業都市は、東京というよりむしろ大阪に近い気もする。
「ならこれがおすすめだよ」
「……これは?」
おじさんが手にとったのは、細かな彩色がされた丸っこい陶器人形。
「国王陛下さ!ここにしか売ってないんだ」
よく見ればそれは、三頭身くらいにちみキャラ化された憂炎陛下だった。
その装いは酒楼で見た肖像画とは少し違う。
赤い衣の襟元には大きな白い縁があり、頭にかぶっているのは金色の、縦縞模様の入った奇妙な冠だった。これも国王の公的な衣装らしい。
台座の部分には「東京」と書いてあるのが、いかにも観光客向けっぽい。
「東京名物、憂炎フィギュアか……」
私は小声でつぶやきながら、いくつも並んだ小さな陛下たちを眺める。
いっぽう自分のフィギュアを目の当たりにした陛下は、唖然とした顔で固まっていた。
さっきの肖像画とは違い、こちらは非公式グッズなので初めて見たのだろう。
「これが案外、本物そっくりだって役人たちにも評判なのさ」
“本物”を前にそう自慢げに話すおじさん。この状況は何だかデジャヴである。
確かにこのフィギュア、ちみキャラ特有の素朴な雰囲気が本物に似ている。
あの美化された肖像画よりこっちの方が近いかもしれない。
しかも手描きなだけあって、一つ一つ表情が違うのも味がある。
「じゃあー……この子をください」
いくつもの陛下のうちから、眉がハの字になっている個体を私は手に取った。
「……正気かトウコ」
「だって、何か可愛いくて」
「………」
選んだ人形を眼前にさし出すと、困惑の表情を浮かべた陛下。ハの字眉が人形とそっくりだった。
陛下はしぶしぶお金をおじさんに渡し、自分の人形を受け取る。しかし───
「兄ちゃんちょいと待ちな!」
その場を去ろうとした瞬間、おじさんが陛下の肩をつかんで引き止める。
「さっきから気になってたんだが、あんたのその顔、ひょっとして……」
陛下にぐいと顔を寄せてから、鋭い視線をそそぐ。
にこやかだったおじさんの豹変ぶりに、私と陛下は息をのんだ。
このおじさん、鈍感なふりをしてまさか───
「俺はな、先々王の時代からここで商売やってんだ。貴い人も大勢見てきてる。商人の目はごまかせないぜ?」
おじさんは陛下の目を見て、何かを確信したように、にやりと口角を上げた。
「あっ、あの……この人は……」
私は慌てて陛下とおじさんの間に入るが、何と言えばばよいか分からない。
不覚だった。いくら陛下にオーラが無いとはいえ、自分のフィギュアを買わせるなんて……。
しかし今は自分の軽率さを悔やんでいる場合ではない。
ここで陛下の素性がバレてしまえば、街は大混乱に陥るだろう。私1人では陛下を守りきれない。
ここは無理にごまかすより正直に話して、黙っているよう説いた方がよいのだろうか?
問いかけるように陛下の顔を見るが、陛下は口を閉ざしたままだ。
「……」
ここで下手に何かを言って、墓穴を掘らないようにという判断だろう。
冷や汗をかく私たちを前に、おじさんは自信満々に口を開いた。
「───兄ちゃん、科挙を受けに田舎から出てきたんだろう?素朴な顔つきだが、よく見ると賢そうな目をしてる」
「……」
私たちは目を見開いたまま固まった。
「その若さで挙人なんて大したものじゃないか!」
私はあわてて陛下の背後にまわり、その肩に手を置いた。
「そ、そうなんです!うちの弟、村一番の秀才でして。一族期待の星なんですよ~」
「あはは、やっぱりそうか」
挙人とは、科挙の地方試験合格者のことだ。
科挙はまず一次試験が地方で行われ、二次以降はこの王都で行われる。
受験シーズンになると、故郷の期待を一身に背負った挙人たちが続々と集まってくるのだ。
談笑する私とおじさんの横で、陛下は唇を尖らせうつむいた。
「いいこと教えてやるよ。どうやら今年の科挙は、省試(二次試験)の問題を国王自ら考えているらしい」
陛下がぱっと顔を上げる。『なぜ知っているのか』と表情が語っていた。
「国王はまだ若い。枠にとらわれない、自由で斬新な発想が合格の鍵だろう。案外兄ちゃんみたいな若造が有利かもな」
そう言っておじさんは陛下の肩をポンと叩く。
「……はあ、どうも」
その何とも覇気のない返事は、幼い頃から勉強しかしてこなかった田舎の学生そのものだった。
おじさんは喝を入れるように、陛下の背中をバシバシと叩き続けた。
* * *
「……大変でしたね、色々と」
おじさんの長話につき合った後ようやく牛車へたどり着くと、私たちは車内の壁に背中をあずけた。
「疲れた……」
陛下はため息をつき、懐から包み紙を出して広げる。
入っていた砂糖漬け菓子を口に放り込んだ。
それを私にも勧めつつ「屋台の麺は不味かっただろう」と言った。
「そう、ですね……口には合わなかったです」
砂糖漬けをつまんでうなずくしかない私に、陛下は口元だけで笑った。
「あの店が提供しているのは、美食ではないからな。いかに安価で客の腹を満たせるかを追求している。そういう店もこの国には必要なのだ」
私の頭に、一杯の麺を分け合っていた母子の姿が浮かんだ。
陛下の表情が引きしまった。
「わたしが民に与えるべきなのは施しではなく、自ら生き抜く力だ。その力をつけるための環境を与えねば、とつねづね思っている」
「環境……」
「つまり学問だ」
「だから、科挙の問題を自分で?」
陛下がゆっくりとうなずくと同時に、牛車が走り出した。
「国のゆく末を公平に分析し、議論できる者───貧富を問わず人の苦しみを理解し、民の生活を第一に考えられる者を、わたしはそばに置きたい」
それは一見、君主として当たり前の見識だと思うだろう。
しかし今のこの国にとっては、相当型破りな方針に違いなかった。
なぜならこの国の賢さとは、多くの古典を暗記し、美しい詩を詠めることだからだ。
科挙でも常にそういう者が選ばれ、官僚になってきた。
陛下はその慣習を打ち破ろうとしているらしい。
「しかし……一体どんな問いを出せば、そのような進士(科挙合格者)を見つけられるだろうか」
そう言って窓の外をながめ、小さく息を吐いた。
今日彼は街を歩きながら、ずっと科挙の問題を考えていたのかもしれない。
「私は……難しい論述のことは分かりません。でも例えば───『いま王都で最も安い麺は一杯いくらか』なんてどうでしょう?」
「……」
「もちろん正解を求めるのではなく、その人が民の暮らしをどれだけ理解しているかを問うのです」
陛下はこちらを振り返り、丸い目でしばらく私を見つめたあと、「お前が男ならよかったのに」とつぶやいた。
「……そう思われないような国になることを願っています」
“民に寄りそう君主”。
陛下がそれを目指すきっかけになったのは、意外な人物だという。
「歴代の君主の中で、わたしと同じ考えを持っていた者が1人いる。それが蘭王だ」
「蘭王って、今日話してた……?」
残虐非道な悪女として名高い蘭王妃。
「蘭王は、身分を問わず才のある者を重用し、女性官吏もいた。その結果、老臣には嫌われ今も悪評が後を絶たぬが。しかし実のところ、彼女が悪政を働いたという記録はないのだ」
女性の政治参加はおろか、政治の話題を口にすることすら、はしたないとされる世界だ。
そういう儒教的な思想に加えて、この覇葉国は代々、龍神の末裔によって治められてきた歴史がある。
龍の血を引かぬただの人間、しかも女が国を支配することなど到底許されない。
そんな根強い思想が、今もなお彼女の悪評を膨らませているのかもしれない。
「……だからいつか彼女の、本当の顔を見てみたい」
今日陛下の口からは、驚くほど沢山の言葉が出てくる。
この国と民が心の底から好きなのだろう。
この人は、兄の身代わりなんかではない。なるべくして玉座についているのだと、私は信じたい。
窓から朱色の豪華な門が見えてきた。
何とか城門が閉まる前に帰れたことにホッとした。
不夜城とも呼ばれるこの王都。宮城が閉まってもなお、東京の街は朝方まで眠らないらしい。
陛下がいるのを隠すため簾を下ろすと、真っ暗な車内に灯籠のやわらかな明かりだけが浮かぶ。
私は満腹と疲労によって、心地よい眠気におそわれていた。
「……トウコは聖人でない自分を卑下するが、他人のためにできることは限られている。それは国王とて同じだ」
まぶたが自然とおりてくる。
牛車の揺れに身体を任せながら、ぼんやりとした頭で思った。
この人はもしかして今日、私を元気づけるために、こうして街へ連れ出し民の姿を見せてくれたのかもしれない、と。
「お前はお前のままでよいから、これからも────……」
やさしい声に包まれながら、意識は遠のいた。
後宮の門に到着し、目を覚ました時にはもう、車内には私ひとりが残されていた。
その代わり、膝の上では三頭身の憂炎フィギュアが困り顔で横たわっていた。
【こぼれ話】
憂炎フィギュアの衣装はこちらのイメージです。ご覧になりたい方はコピペで飛んでください
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