表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

77/146

東の都、夢の街④

私たちは牛車が待つ大通りを目指していた。

特に賑わっているこの通りには、芝居小屋が建ち並び、演劇や講談なんかが夜遅くまで上演されているらしい。


異世界とはいえ、今が平安時代だなんてとても信じられない。

この国の文化は既に、日本でいえば江戸時代ほどのレベルに達しているのではないか。

この街を見ていると、そう思わざるを得なかった。


「なにか買ってやろうか」


露店に並ぶ陶器人形を眺めていたら、陛下が言った。


「え、良いんですか?」


それを聞きつけたのか、耳ざとそうな店のおじさんが飛んできた。


「あんた東京(とうけい)の街は初めてかい?」


「はい」


この王都は東京と書いて「とうけい」と呼ばれる。ちなみに西京や北京、南京もあるらしい。

我々には馴染みのある名前だが、橋の上にまで屋台がひしめき合うこの商業都市は、東京(とうきょう)というよりむしろ大阪に近い気もする。


「ならこれがおすすめだよ」


「……これは?」


おじさんが手にとったのは、細かな彩色がされた丸っこい陶器人形。


「国王陛下さ!ここにしか売ってないんだ」


よく見ればそれは、三頭身くらいにちみキャラ化された憂炎陛下だった。


その装いは酒楼で見た肖像画とは少し違う。

赤い衣の襟元には大きな白い(ふち)があり、頭にかぶっているのは金色の、縦縞模様の入った奇妙な冠だった。これも国王の公的な衣装らしい。

台座の部分には「東京」と書いてあるのが、いかにも観光客向けっぽい。


東京(とうけい)名物、憂炎フィギュアか……」


私は小声でつぶやきながら、いくつも並んだ小さな陛下たちを眺める。


いっぽう自分のフィギュアを目の当たりにした陛下は、唖然とした顔で固まっていた。

さっきの肖像画とは違い、こちらは非公式グッズなので初めて見たのだろう。


「これが案外、本物そっくりだって役人たちにも評判なのさ」


“本物”を前にそう自慢げに話すおじさん。この状況は何だかデジャヴである。


確かにこのフィギュア、ちみキャラ特有の素朴な雰囲気が本物に似ている。

あの美化された肖像画よりこっちの方が近いかもしれない。

しかも手描きなだけあって、一つ一つ表情が違うのも味がある。


「じゃあー……この子をください」


いくつもの陛下のうちから、眉がハの字になっている個体を私は手に取った。


「……正気かトウコ」


「だって、何か可愛いくて」


「………」


選んだ人形を眼前にさし出すと、困惑の表情を浮かべた陛下。ハの字眉が人形とそっくりだった。


陛下はしぶしぶお金をおじさんに渡し、自分の人形を受け取る。しかし───


「兄ちゃんちょいと待ちな!」


その場を去ろうとした瞬間、おじさんが陛下の肩をつかんで引き止める。


「さっきから気になってたんだが、あんたのその顔、ひょっとして……」


陛下にぐいと顔を寄せてから、鋭い視線をそそぐ。


にこやかだったおじさんの豹変ぶりに、私と陛下は息をのんだ。

このおじさん、鈍感なふりをしてまさか───

 

「俺はな、先々王の時代からここで商売やってんだ。貴い人も大勢見てきてる。商人の目はごまかせないぜ?」


おじさんは陛下の目を見て、何かを確信したように、にやりと口角を上げた。


「あっ、あの……この人は……」


私は慌てて陛下とおじさんの間に入るが、何と言えばばよいか分からない。


不覚だった。いくら陛下にオーラが無いとはいえ、自分のフィギュアを買わせるなんて……。 

しかし今は自分の軽率さを悔やんでいる場合ではない。

ここで陛下の素性がバレてしまえば、街は大混乱に陥るだろう。私1人では陛下を守りきれない。


ここは無理にごまかすより正直に話して、黙っているよう説いた方がよいのだろうか?


問いかけるように陛下の顔を見るが、陛下は口を閉ざしたままだ。


「……」


ここで下手に何かを言って、墓穴を掘らないようにという判断だろう。


冷や汗をかく私たちを前に、おじさんは自信満々に口を開いた。


「───兄ちゃん、科挙を受けに田舎から出てきたんだろう?素朴な顔つきだが、よく見ると賢そうな目をしてる」


「……」


私たちは目を見開いたまま固まった。


「その若さで挙人(きょじん)なんて大したものじゃないか!」


私はあわてて陛下の背後にまわり、その肩に手を置いた。


「そ、そうなんです!うちの弟、村一番の秀才でして。一族期待の星なんですよ~」


「あはは、やっぱりそうか」


挙人(きょじん)とは、科挙の地方試験合格者のことだ。

科挙はまず一次試験が地方で行われ、二次以降はこの王都で行われる。

受験シーズンになると、故郷の期待を一身に背負った挙人たちが続々と集まってくるのだ。


談笑する私とおじさんの横で、陛下は唇を尖らせうつむいた。


「いいこと教えてやるよ。どうやら今年の科挙は、省試(二次試験)の問題を国王自ら考えているらしい」


陛下がぱっと顔を上げる。『なぜ知っているのか』と表情が語っていた。


「国王はまだ若い。枠にとらわれない、自由で斬新な発想が合格の鍵だろう。案外兄ちゃんみたいな若造が有利かもな」


そう言っておじさんは陛下の肩をポンと叩く。


「……はあ、どうも」


その何とも覇気のない返事は、幼い頃から勉強しかしてこなかった田舎の学生そのものだった。


おじさんは喝を入れるように、陛下の背中をバシバシと叩き続けた。



*   *   *



「……大変でしたね、色々と」


おじさんの長話につき合った後ようやく牛車へたどり着くと、私たちは車内の壁に背中をあずけた。


「疲れた……」


陛下はため息をつき、懐から包み紙を出して広げる。

入っていた砂糖漬け菓子を口に放り込んだ。


それを私にも勧めつつ「屋台の麺は不味かっただろう」と言った。


「そう、ですね……口には合わなかったです」


砂糖漬けをつまんでうなずくしかない私に、陛下は口元だけで笑った。


「あの店が提供しているのは、美食ではないからな。いかに安価で客の腹を満たせるかを追求している。そういう店もこの国には必要なのだ」


私の頭に、一杯の麺を分け合っていた母子の姿が浮かんだ。


陛下の表情が引きしまった。


「わたしが民に与えるべきなのは施しではなく、自ら生き抜く力だ。その力をつけるための環境を与えねば、とつねづね思っている」


「環境……」


「つまり学問だ」


「だから、科挙の問題を自分で?」


陛下がゆっくりとうなずくと同時に、牛車が走り出した。


「国のゆく末を公平に分析し、議論できる者───貧富を問わず人の苦しみを理解し、民の生活を第一に考えられる者を、わたしはそばに置きたい」


それは一見、君主として当たり前の見識だと思うだろう。

しかし今のこの国にとっては、相当型破りな方針に違いなかった。


なぜならこの国の賢さとは、多くの古典を暗記し、美しい詩を詠めることだからだ。

科挙でも常にそういう者が選ばれ、官僚になってきた。


陛下はその慣習を打ち破ろうとしているらしい。


「しかし……一体どんな問いを出せば、そのような進士(しんし)(科挙合格者)を見つけられるだろうか」


そう言って窓の外をながめ、小さく息を吐いた。


今日彼は街を歩きながら、ずっと科挙の問題を考えていたのかもしれない。


「私は……難しい論述のことは分かりません。でも例えば───『いま王都で最も安い麺は一杯いくらか』なんてどうでしょう?」


「……」


「もちろん正解を求めるのではなく、その人が民の暮らしをどれだけ理解しているかを問うのです」


陛下はこちらを振り返り、丸い目でしばらく私を見つめたあと、「お前が男ならよかったのに」とつぶやいた。


「……そう思われないような国になることを願っています」



“民に寄りそう君主”。 

陛下がそれを目指すきっかけになったのは、意外な人物だという。


「歴代の君主の中で、わたしと同じ考えを持っていた者が1人いる。それが蘭王だ」


「蘭王って、今日話してた……?」


残虐非道な悪女として名高い蘭王妃。


「蘭王は、身分を問わず才のある者を重用し、女性官吏もいた。その結果、老臣には嫌われ今も悪評が後を絶たぬが。しかし実のところ、彼女が悪政を働いたという記録はないのだ」


女性の政治参加はおろか、政治の話題を口にすることすら、はしたないとされる世界だ。


そういう儒教的な思想に加えて、この覇葉国は代々、龍神の末裔によって治められてきた歴史がある。


龍の血を引かぬただの人間、しかも女が国を支配することなど到底許されない。


そんな根強い思想が、今もなお彼女の悪評を膨らませているのかもしれない。


「……だからいつか彼女の、本当の顔を見てみたい」


今日陛下の口からは、驚くほど沢山の言葉が出てくる。

この国と民が心の底から好きなのだろう。

この人は、兄の身代わりなんかではない。なるべくして玉座についているのだと、私は信じたい。


窓から朱色の豪華な門が見えてきた。

何とか城門が閉まる前に帰れたことにホッとした。


不夜城とも呼ばれるこの王都。宮城が閉まってもなお、東京(とうけい)の街は朝方まで眠らないらしい。


陛下がいるのを隠すため(すだれ)を下ろすと、真っ暗な車内に灯籠のやわらかな明かりだけが浮かぶ。


私は満腹と疲労によって、心地よい眠気におそわれていた。


「……トウコは聖人でない自分を卑下するが、他人のためにできることは限られている。それは国王(わたし)とて同じだ」


まぶたが自然とおりてくる。

牛車の揺れに身体を任せながら、ぼんやりとした頭で思った。


この人はもしかして今日、私を元気づけるために、こうして街へ連れ出し民の姿を見せてくれたのかもしれない、と。


「お前はお前のままでよいから、これからも────……」


やさしい声に包まれながら、意識は遠のいた。


後宮の門に到着し、目を覚ました時にはもう、車内には私ひとりが残されていた。

その代わり、膝の上では三頭身の憂炎フィギュアが困り顔で横たわっていた。

【こぼれ話】

憂炎フィギュアの衣装はこちらのイメージです。ご覧になりたい方はコピペで飛んでください

https://www.zhangruying.com/355



お読みいただきありがとうございました。


もし気に入っていただけましたら、ブクマいいね感想評価★などいただけると大変ありがたいです。

今後もよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ