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東の都、夢の街②

【秋月楼】と書かれたその酒楼は、屋根の上を格子状に組んだ竹のアーチや色とりどりの絹で飾る巨大な店だった。

2階と3階は完全個室で、1階は間仕切りだけの気楽な空間だ。


私たちが1階の席に着くと、すぐに店員が竹簡のメニュー表を持ってきた。


「トウコは何の肉が好きか?」


「う~ん、鶏肉ですかね」


陛下がいくつか注文を告げる。

慣れた様子だったので、ここには何度か来たことがあるのだろう。


しばらく待って卓に並んだのは、魚肉団子の(あつもの)、あさりの炒め物、鶏肉の照り焼き、饅頭(マントウ)、干し(なつめ)、そして酒だった。

 

陛下は真っ先に饅頭を手に取る。


「ここの饅頭はモチモチして美味い」


私もかじってみると、確かにしっとりして餅のような食感だ。


「これ米粉と……豆乳も入ってるかも」


「わかるのか」 


茶坊(カフェ)で働いていたことがあるので」


他の料理も癖がなく美味しかった。

ここは人気店らしく夜も浅いうちから席の半分以上が埋まっている。店内には男性たちの歓談の声が響きわたっていた。


陛下は食事しながら時おり目を伏せて耳をそばだてる。

この騒音の中から、一人ひとりの話を聞き分けているらしい。


私はそれを邪魔しないよう静かに料理を口に運んだ。


店内を見わたすと、壁に大きな肖像画がかけられていた。

描かれているのは若い男性で、赤い宮廷服に黒い幞頭を被り、ゆったりと椅子に腰掛けている。


「あれってもしかして陛下の……お父さん?」


恰好が祭事の時の陛下と同じで、目元もどことなく似ている。


「あれは今上(きんじょう)陛下だよ」


私の問いに答えたのは、隣の卓を拭いていた恰幅のよい女給さんだった。


「今の国王?」


私が聞き返すと陛下の肩がピクリと動いた。


「ああそうさ。即位した時はまだ小さかったけど、今は男前だろう?」


そう語る女給さんは40代くらいだろうか。豪快な笑顔で声もよく通る。しかし目の前にいる“本物”に気づく様子はない。


当の“本物”はというと、肩を丸めて饅頭をもくもくと頬張り続けている。


「たしかにカッコイイ……ですね」


私は肖像画の中の、眉のきりっとした精悍(せいかん)な男性を見上げる。

たしかに陛下と“似てる”とは思った。

でもそう思ったのは、目元以外はどう見ても別人だからだ。


女給さんは台拭きを胸に抱いて、うっとりとした眼差しを肖像画におくった。


「いつか飯炊きの宮女にでもなって、顔を見てみたいもんだねえ」


すると仕切りの向こうから、馴染み客らしき男性の声が飛んできた。


「ばかだなぁ。飯炊き女が陛下のご尊顔を拝めるわけないだろ」


女給さんはアハハと豪快に笑いながらその場を去っていった。


「……あれ、陛下の絵だったんですね」


私は周囲を警戒しながら小声でささやいた。


陛下は食べかけの饅頭を皿に置いてうつむく。耳が赤いのは酒のせいではないだろう。


「……す、姿絵というのは、昔からそういうものだ。父上の絵だって実物とはまるで別人だった」


「あー……そっか」


本物を知る術がないのだから、肖像画が詐欺でも誰も気づかないのだろう。


国王に貫禄があった方が民も安心するし、他国にも示しがつくというもの。

背や肩幅は三割増しにするのがデフォルトで、(ひげ)を描き加える場合もあるという。


「前に来た時はあんなもの、飾っていなかったのに……」


陛下は忌々(いまいま)しげにつぶやいた。

ここは陛下のお膝元、あんなイケメン国王がいると知ったら店に飾りたくもなるだろう。  


肖像画の陛下はフレッシュさと貫禄を併せもつ、例えるなら「戦隊もの出身若手イケメン俳優」という風貌だ。


その一方で“本物”の陛下に視線を落とせば───炒め物の葱をせっせと箸でよけている。


「……」


───うん。誰も気づかない訳だ。


目につく位置に飾られているせいだろうか、店内では陛下についての話もちらほら聞こえてきた。

私も思わず聞き耳を立ててしまう。

民たちは陛下のことを、一体どう思っているのだろうか。


『何でも臣下が目の前でくしゃみをして、顔に唾がかかっても罰しなかったてさ』


『そりゃあすごい。(ラン)王なら咳払いしただけで処刑されただろうに』


「……」


───何だかよく分からないが、レベルの低い話で肩透かしをくらった。



「そういえば私、陛下のこと何て呼べばいいですか?」


私は再び声をひそめる。

いくら絵と別人とはいえ、この空間で「陛下」と口にするのは危険すぎる。


「適当な名で、好きに呼べばよい」


「適当って……」


憂炎と呼ぶわけにもいかないし、覇葉人の名前のつけ方はよく分からないのに。どうしたものか。


「じゃあ……“くろまる”は?」


「……妙な名だな。ニホンの名前か」


「ええ、元の世界の……友人の。陛下とちょっと雰囲気似てて」


さすがに飼い猫の名前とは言えなかった。

まあこの時代の日本なら〜丸という人名も珍しくないだろう。おじゃ〇丸とか。


「……好きにしろ」


とういうことで、晴れて『くろまる』と命名された青年を私はしげしげと見つめる。


「どうした」


「子供もお酒が飲めるっていうのが、改めて不思議だなと思って」


率直な感想に「ふむ」と答えて酒杯に口をつける陛下。

5秒ほど経ってからようやく「もしやわたしの事か?子供とは」と気づいた。


私がうなずくと途端に眉間にしわを寄せ、信じられないという顔をした。


「もう19なのに……」


とはいえそれは数え年だから、元の世界でいえば陛下はまだ18歳の高校生。こういう店でお酒を飲ませるのは少々抵抗がある。


子供扱いされたのが気に食わなかったのか、陛下は自らの酒豪エピソードを披露しはじめた。


「新年の祝賀会では、客人と挨拶を交わすごとに一杯ずつ飲むのだ。わたしの前には長蛇の列ができるから、延々と飲み続ける」


さすがに最後の方は水に変えるか飲むふりをするそうだが。


「でも大人なのに……野菜よけてるんですね」


私が手元の皿を指さして言うと、途端に口をつぐむ陛下。


「……と、トウコだって大人のくせに、なぜ呑まぬのだ」


手にしていた酒杯を私の鼻先へぐいと押しつけた。


「私、お酒はあんまり……」


仕方なく受け取って口をつけると、杏の甘さと薬草のすっきりとした風味が広がった。

こういう大衆店の酒は、ほとんどが雑味を消すための香料を混ぜてあるそうだ。

米や麦そのものの風味を味わえる酒は、めったに出回らないらしい。


酒に通じていない私には、むしろこっちの方が飲みやすかった。


「あれ、くろまる……」


あっという間に酒杯を空にした私は、陛下の左目の下を指さした。


「ここ、ホクロあるんですね。気づかなかった」


「?、……ああ、そうだな」


「ふふふ」


「何だ」


陛下の顔に小さなホクロを見つけた。

それだけのことが、まるで金脈を発見したみたいに嬉しくて、何だか面白い。


「あははは」


一国の主だというのに誰にも気づかれないことも、猫の名で呼ばれていることも、おかしくてたまらなかった。

どんどん楽しくなってくる。


「くろまるぅ〜」


前のめりになって、両手で陛下の頬に触れる。

ほっそりした外見に反し、肌はふにゃっと柔らかかった。

見つけたばかりの“金脈”をじっと見つめながら顔を寄せた。


「な」


そのまま、硬直する陛下の顔をぐにぐにとこね回した。


「モチモチ〜美味しそぉ~」


この時の私は、猫と人間の区別がつかなくなっていた。

くろまるの柔らかい腹を思い出しながら、目の前にある白い餅のような頬を潰したり伸ばしたり。


「お、お前……酔っているのではないか!?目が据わってる」


両手に挟まれタコのように突き出た唇から、陛下は困惑の声をもらす。


「酔って……る?」


そう言われてみると、今の私は何かおかしい。

無性に気分が良くて、根拠のない自信が腹の底からこみ上げてくる。

今なら万事全てが上手くいき、見知らぬ隣人とも仲良くなれそうな……むしろ全てがどうでも良いような。


これまで味わったことのない高揚感。

もしやこれが────“酔う”という状態なの?


「何でだろ……ちょっとしか飲んでないのに」


何杯飲んでも酔わない私が、たった一杯の酒でこんな風になるのはおかしい。

同じものを口にした陛下は何ともないのに。


そうして考え込んでいる(すき)に、陛下は私の手を顔から引き剥がして酒杯を取り上げた。


「とにかくもう酒は飲むな!茶を飲め!」


そう言って自ら湯呑に茶を注ぎはじめた。額から頬へ汗が流れ落ちている。


私はまだ熱い顔を頬杖で支えながら、その様子を眺めた。



【こぼれ話】

「顔に臣下の唾がかかっても罰せず話を聞き続けた」というのは仁宗の人柄をあらわす逸話のひとつです。(くしゃみじゃなくて単に熱弁しただけだったと思います)

憂炎もたぶん罰しないだろうなと思ったので今回入れてみました。

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