誰が為の秘密
「……えっと、つまり私は聖人ではなくただの一般人で、手違いで召喚されてしまった。だから言語能力しか……持たない?」
独り言のような問いかけに、陛下は小さくうなずいた。
「しかもその言語能力は、私にとっては初期設定でもなく、陛下の龍魂の力がないと使えないという……」
こうして考えを逐一口にすることで、私は混乱した頭の中を必死で整理していた。
「それに関してはわたしも想定外だった。だが理由はそうとしか考えられない」
陛下の答えを聞き、私は残る疑問を口にした。
「じゃあ私のびーえ……小説がやけに人気を得ていたのは何故なんでしょう。これも聖人の力が関係しているのでは?」
素人の書いた作品がこれほど多くの人に受け入れられるのは、BLというジャンルのパワーを考慮しても不自然だ。
私の文章が翻訳される過程で、何らかの力が働いているのではと私は思っていた。
陛下は「ふむ」とこぼし頬を指で掻く。
「あくまで想像だが……トウコは物語を、話し言葉で書いているだろう。それが読みやすいので、ふだん本を読まない女たちにも親しまれるのではないか」
「ああ、そういえばそうですね」
この時代はいわゆる文語で書かれた本がメジャーだった。
「それに描写が斬新だ。わたしはこの国の物語もいくつか読んでいるが、あのように、人の感情の動きを細やかに書いたものは見たことがない」
「心理描写そのものが珍しいってことですか」
現代人の感覚で言えば、古典文学しか置いていなかった本屋にいきなりライトノベルが入荷したみたいなものだろうか。
読みやすさと物珍しさで皆が飛びついた。
実のところ私の小説が人々を惹きつけていた理由は、どれも当たり前のことばかり。
言い方を変えれば“それだけ”のことだった────。
考えを巡らせながら、私はとうとう我慢できず顔を両手で覆った。
「トウコ……泣いているのか?」
「いえ、恥ずかしいんです」
「恥ずかしい?」
「自分を聖人……でなくても何か特別な力を持った人間だと思い込んでいたことが」
あれはいつだっただろうか。
半年くらい前だから、たしか梨園で紅貴妃たちの騎馬試合を見届けた時だったか。
広大な秋空の下で、私はこんな思いに浸っていた。
『それでも時々何か、とてつもなく大きな力に突き動かされている気がするのは、やはり聖人の力なのだろうか────』
_人人人人人人人人_
> すべて勘違い <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄
────え、やば。ダサ!
聖人として妃たちを救ってきたはずの日々が、勘違い女の黒歴史として脳裏によみがえってきた。
そもそもこの後宮には、聖人の力なんて必要なかったのかもしれない。
問題を抱えていたはずの妃たちは、蓋を開けてみれば皆良い人ばかり。本当の意味での“問題”なんてなかった。
聡明で美しい彼女たちが陛下と上手くいかなかったのは、ただ互いを思う“方向”が誤っていただけ。
ただのすれ違いを正すのに、果たして龍神の力が必要だっただろうか。
自分の思い上がりに顔が熱くなる。
「これまで……黙っていてすまない」
陛下は何度も謝罪を口にした。
ショックを受ける私を目の当たりにして、自責の念を募らせてしまったらしい。
「召喚した時にすぐ真実を告げるべきだった。でもあの時は、聖人でないお前が今後どういう処遇を受けるか分からなかったのだ」
異世界人である以上、秘密保持のため私の身は後宮の預かりとなっていただろう。
だが少なくとも今のような特別待遇は無いはず。
せいぜい女官として下働き、最悪は軟禁か。
「だからこのことは他の誰にも、紫雲にも話していない」
「あの2人も知らないんですか……」
自分の手違いで連れてきてしまった人間を、これ以上不遇な目に遭わせまいとした結果の沈黙だったらしい。
そして予想外の形で私が“言語能力”を発揮し、図らずも陛下の希望通りに事が運ばれていったというわけだ。
「わたしの失態のせいで、お前の人生を狂わせてしまった。全てわたしの責任だ。だから自分を卑下するのではなく、わたしを恨め」
両手に拳を握ってうなだれる陛下。
「……」
陛下が容易に嘘をつける人間でないことは知っている。
この1年弱、彼はどんな気持ちでこの秘密を抱えていたのだろうか。
「……あの、ありがとうございました。私のために黙っていてくれて。あと、元の世界で助けようとしてくれたことも」
私は拱手し、深くゆっくりと頭を下げた。
「だから陛下を恨むことはありません。ただ……」
まるで臣下のような揖礼をささげたまま、私は話を繋ぐ。
「ただ自分が聖人でないと知ってしまった以上、これ以上皆を騙すことはできません。これからは、言語能力を持つただの一般人として扱っていただきたいです」
間違って私が来てしまったという事は、選ばれるべき聖人が他にいたということだ。
今の恵まれた待遇は本来その人のもの。それを何の力もない私が享受し続けるわけにはいかない。
「……トウコ」
名を呼ばれても、私は自分のつま先を見つめていた。
こうして陛下と対等に話ができたのも、私が“聖人”の称号を与えられていたからにすぎない。
私は本来この尊顔も見られないような立場なのだ。
それに聖人でない以上今後も陛下たちの役に立てる確証はないし、何より自信がなかった。
「なので私は桃華宮を出」
「だめだ」
「?」
言葉を遮られた私は手を組んだまま顔だけ上げた。
「お前はこれまで聖人として功績を上げてきた。わたしからの恩賞も受けている。この国にとって聖人である事に変わりない」
「でも、」
こちらを見下ろす顔は怒っているような、悲しんでいるような。
への字に曲がった唇がまるで『裏切られた』と訴えるように震えていた。
「お前が聖人でないことは2人だけの秘密だ。口外せぬと誓え。もし誰かに話したら……」
「……話したら?」
「お前を……き、妃にする」
「きさきっ!?」
消え入りそうな声で、とんでもない宣告をされてしまった。
「聖人の立場を失ったところで、妃になってしまえば待遇は今と変わらない。ならばこのまま聖人のふりをしていた方が得策だと思わぬか」
「それは……」
確かにそうすれば、聖人でなくとも堂々とここで生活することができる。しかし何かと拘束が増えるのも事実。
脳裏に一瞬、紫雲さんの顔がよぎった。
……いや、この期に及んでそんなワガママを言える立場ではないのだが。
そもそも私が妃に加わるなんて、美しい雛人形の中にこけしが一体紛れ込むようなもの。
どうして陛下は、急にこんな突拍子もないことを言い出したのだろう?
気弱な青年から策略家へキャラ変をとげた陛下に、私は戸惑いつつ考えを巡らせた。
───「召喚失敗」というのは私の想像以上に、陛下にとっては隠したい汚点なのかもしれない。
今この国には聖人がいない。それが知れ渡れば国の行く末に多くの人が不安を抱くだろう。
そして何より、陛下の経歴に大きな傷をつけることになりかねない。
だから今、陛下はこんなに必死になっているのか───
覚悟を決めた私は、また頭を下げる。
「……すみませんでした。私、さっきから自分のことしか頭になくて。陛下の立場も考えずに」
そしてもう一度、胸の前で手を固く組んだ。
「私もこの秘密を守ります。何の力もありませんが、これからも聖人として精一杯尽くさせてください」
陛下が私を守るために抱えてくれた秘密。
私もそれを陛下のために背負い続ける。
そう決意した時、拱手した手首をとつぜん強く掴まれた。
びっくりして構える私の小指に小指がからまる。
「……約束だ」
その顔はいつもの気弱な青年のままで、手が熱かった。
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