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召喚の儀

「────陛下、“扉”が開きました」


青藍の呼びかけに憂炎が顔を上げると、長いあいだ祭壇に向かっていた紫雲がこちらを向いている。

薄暗い仏殿のなか無数の燭に照らされた美貌は、額に汗を滲ませいっそう妖しさを増していた。

その手に握られている黒い数珠。龍の血の玉が組み込まれたそれは、かつて憂炎が紫雲に授けたものだ。


けれど龍の血を手にした者ができるのは、異世界へつながる“扉”を開くことだけ。

召喚の儀を司るのはあくまでも龍魂である。

その身に龍魂を宿す国王が自らの手で、あの扉の向こうから聖人を連れて来なければならない。

それこそが召喚の儀の実態だった。


紫雲が後方に伸ばした指の先、祭壇の前に“扉”はあった。

人一人が入れるかどうかという大きさの、空間の亀裂。


憂炎は固唾をのんだ。


「御身の危機を感じたらすぐにお戻りください。我が国が聖人に頼っていたのは昔のこと。今の御代には必ずしも」


「わかっている」


背後から聞こえる青藍の言葉をさえぎり、憂炎はゆっくりと足を踏み出した。


「お気をつけて、いってらっしゃい」


すれ違いざま紫雲はにこやかに、まるで行楽にでも出掛けるような気楽さで声をかけた。


あの亀裂の先で、自分は一体何に気をつけるべきなのか。と憂炎は心の中で問う。



そうして足を踏み入れた扉の向こうに広がっていたのは、憂炎にとって紛れもなく異世界であった。


分かるのは、ここが夜の屋外であるということ。

足の下に広がるのは美しく舗装された白い地面。これがどこまでも続いている。

建物も、馬が引かない車も、憂炎には見たことのない形状をしていた。


そして、すべてが不自然な格好で停止している。

時が止まっているようだった。


憂炎が周りを見渡しながら歩いていると、所々に書かれた「東京」という文字が目に入る。    


東京(とうけい)……ここは王都なのか?)


ここには多くの人間が行き交っているようだ。

ただどれも人間の姿をしておらず、輪郭のぼんやりとした黒い影。いわば人影にすぎない。

ゆえに彼らが老若男女どれにあたるかは不明だ。

黒い人影たちの胸にはそれぞれ、白い光がひとつ(とも)っている。


すべては龍魂が作った景色。

ここは、龍の魂が聖人を最も効率的に探し出すための空間にすぎないからだ。


『胸に光っているのがその人の魂です。聖人は、魂に最も強い光を宿す者。その者の魂に陛下が触れることで、こちらへ召喚できます』


紫雲の言葉を思い出し、憂炎は人々のもつ魂を慎重に見極めていく。


それにしても果てしない人数。祭りでもやっているかのようだった。

ほとんどの人は整然とした列をつくったり、同じ方向へ向かって足を進めたりしている。

魂の光は、みな同じように見えた。


憂炎はこの景色にある法則を見つけた。

人間は白い舗装の上を歩き、車は黒く舗装された地の上にいる。


(人と車がぶつからぬよう、道を分けているのか)


感心しながら歩いていた憂炎は、ふと足を止めた。


前方に1人、黒い地面に両膝をつけた人影がいる。


(なぜ、あそこに人が?)


状況は分からないが、車のための道に人が座り込んでいる様子は奇妙だと感じた。


憂炎の足は自然と黒い舗装の上に降り、その人影へと向かっていく。


(ぶつかったのか、それとも車から転落したか……)


側には車があった。


どちらにせよ、この人間はどこか怪我をしてるのかもしれない────。


周囲を見渡すが、遠まきにこちらを向いている者ばかりで、誰かが助けに向かう様子もない。


憂炎はもう一度視線を落とす。

人影の大きさからして子供ではなさそうだ。

けれどこのような場所に座り込んでいたら、また怪我をするかもしれない。


(せめて、あそこへ移動させてやれないか)


安全な白い舗装の道は、そこから1メートルほど先にあった。


憂炎は迷った。

こんなことをしている場合ではない。早く聖人を探さなければいけない。

目下でへたり込む人の魂は、まるで燃え尽きる寸前のロウソクのように弱々しい光しかもたない。


しかし一度聖人を召喚してしまえば、憂炎自身も強制的にこの空間から離れ、時は再び進むだろう。

助けるなら今しかないのだ。


憂炎は国王らしからぬ柔和で内気な青年だが、時に国王らしい頑固さを発揮する。

目の前に困っている人が現れた時だ。

そうなると途端に周囲や、時に自分さえも見えなくなり、誰彼構わず手を差し伸べてしまう。

その性格は憂炎に多くの功徳を積ませる一方で、これまで数々の面倒ごとを引き寄せてきた。


(────とりあえず、やってみよう)


相手が人影であろうと、ここを立ち去る選択肢はなかった。


憂炎は意を決して人影の前に腰を下ろした。両腕を伸ばして人影の脇へさし入れ、そっと立ち上がる。


人影は、影とは思えぬ質量をもっていた。ちょうど成人女性くらいの重さだ。

非力な自分でも何とか運べそうだと憂炎はほっとする。


(……温かい。人影にも体温があるのか?いや、魂の熱か……)


腕の中に不思議な温もりを感じると同時に、人影の胸にあった白い光が勢いよく燃え上がった。

それは次第に大きな炎となり、瞬く間に憂炎の全身を白く包み込んだ────



*   *   *



「……抱き上げた時、うっかり魂に触れてしまったようだ。気づいたら仏殿に戻っていて、目の前にお前がいた」


陛下はそう言って虚空を見つめる。

その姿が、仏殿へ召喚されはじめて目にした時の陛下と重なった。


「……」


終始表情を曇らせる陛下と、唖然とする私。


すでに遠い昔となっていたあの日の情景が、頭の中で鮮明によみがえっていく。


───日曜の夜、閉演直後の客でごった返す劇場前。

私はバス乗り場からロータリーを突っ切ろうとして、タクシーにぶつかって転んだ。

1人で車道にへたり込んだ私を、大勢の人たちが歩道側から眺めていた。


「お前の能力が翻訳しかないのも、それがお前自身の力でなく龍魂によってもたらされているのも、恐らくそのせいだ。選ぶべきではない者を、わたしが……誤って召喚してしまったから」


どうやら陛下はあの場で、私を助け出そうとしたらしい。


そして“うっかり”召喚してしまった、と────。

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