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××喪失②

私は両手を紫雲さんの胸に当てたまま、またシーツの皺を見つめていた。顔が上げられない。


「……」


話せないせいで、すべての感覚が研ぎ澄まされている。

衣の香りや体温、呼吸音がダイレクトに伝わってきて、心臓はますます暴れていく。


言葉を失うということは、ごまかす(すべ)を失うことなのかもしれない。



「トウコさん!大丈夫ですか!?」


突然、扉が開く音とともに、言葉が意味をもって私の耳に飛び込んできた。

驚き反射的に立ち上がると、頭にごつんと鈍い衝撃が走った。

紫雲さんが(あご)を押さえながら、寝台の上に倒れ込んだ。


「あ、すみません」


悶絶する紫雲さんに、私は自分の頭をさすりながら謝る。


改めてふり返ると、扉の前に立っていたのは鈴玉(リンユー)ちゃんと、隣にはどこかの侍女らしき女性。

肌の露出が少なく、薄い緑と黄色を重ねゆったりした衣装に、垂らした黒髪ロングヘア。これは───


「えーっとあなたは……道子さん!?」


東櫻(とうおう)宮で橘賢妃(ジーけんひ)の通訳をしている道子さんだった。


そうか。後宮にいるのは何も覇葉人だけではない。日本人もいることを私はすっかり忘れていたのだ。


道子さんは手を組んで覇葉国風の揖礼(ゆうれい)をしたあと、早口で言う。


「事情は存じませんが、とにかく来てほしいと言われて急ぎ参りました」


隣で鈴玉ちゃんがうなずく。

呆然とする私に、いまだ寝台の上で悶絶する紫雲さん。

道子さんは困惑の表情を浮かべた。


「あの失礼ながら……なぜ東櫻宮の、ただの通訳である私がここへ呼ばれたのか、さっぱり分かりません。とりあえず日本語で話せと言われて、何が何だか……。トウコさん、一体何があったのでしょうか?」


「あ。えっとですね……」


事の次第を説明しようと思ったところで、私は言葉に詰まる。


道子さんは、私の正体を知らず“日本人の血を引く覇葉人”だと思っている。

国防上の理由から、外からやってきた者には聖人の存在を明かしてはいけないのがこの国の決まりだからだ。


いや、そもそも私が何人(なにじん)であろうと、これまで普通に話していた言葉がいきなり解らなくなるなんて、信じてもらえるはずが無い。


どう説明したらよいか考えあぐねていると、背後から低い声が聞こえた。


紫雲さんがぶつけた顎をさすりながら、寝台の上で何か話している。

道子さんは「はい」とか「ええ?」とか言いながらうなずき、時おり覇葉語で何かを質問する。

その表情は終始、狐につままれたようだった。


「だいたいの事情はうかがいました。頭は全く追いついておりませんが……」


眉をひそめた道子さんの視線が、私へと移る。


「とり急ぎ紫雲さまがおっしゃることを、そのままお伝えいたします。まず、今トウコさんの言葉が解らなくなっているのは、おそらく陛下が宮城にいないせいだろうと」


「え……陛下が?」


「はい。陛下は今朝から澪原(れいげん)寺へお忍びで参拝に行っておられるようで、お戻りは夕方になるかと」


「はあ」


澪原寺は王都にある寺院。決して大きくはないが城からも日帰り参拝できるらしく、名前を聞いたことがある。


陛下がそこへ出かけることについては疑問はないが、一体どうして陛下の所在が私の能力に関係しているのだろうか。


「陛下が門をくぐって覇葉城へ戻りさえすれば、きっとトウコさんの、その……言語能力?とやらも元に戻るだろうと、紫雲さまは仰せです」


紫雲さんがまた何か話しはじめ、道子さんがうなずく。


「詳しくは陛下がお帰りになったあとに、直接お話しになるそうです。それまでは私が側にお仕えいたしますので、どうぞご安心くださいませ」


道子さんは腑に落ちない顔で話し、最後に丁寧な揖礼(ゆうれい)をささげた。


「え。じゃあ私の力、戻るんですか?」


私の言葉を道子さんが通訳すると、紫雲さんはうなずく。


「消えたりしないですか?私……」


紫雲さんがおかしそうに目を細めて立ち上がった。

私の前までへ歩み寄ると、手のひらを私の頭の上に置いた。


鈴玉ちゃんがぽっと顔を赤らめる。

その隣では、いまだ状況を解せないという顔の道子さん。

私もたぶん同じ顔をしながら、ただ頭をぐしゃぐしゃと撫でられていた。



私のことを道子さんに託すと、紫雲さんは仏殿へ戻っていった。

夕方まで道子さんと共に過ごすことになった私は、改めて自分の正体について明かす。


「全て話して大丈夫ですよ」と紫雲さんは言い残した。まあこの状況では仕方ないだろう。


それに海を隔てた日本と覇葉国は、国防上に緊張感のある関係ではなく、尚子様の輿入れも友好の証としての意味合いが強いのだという。


「……驚きました。まさかトウコさんが、未来の日本からやって来ていたなんて」


「そう、ですよね……。まあ未来というか、おそらく別次元のですが」


道子さんは決して他言しないことを条件に、召喚時のことや言語能力について興味深そうに聞いていた。


「……ところで道子さんのいた日本には、聖人とか転移者とかはいないのでしょうか?」


これはずっと気になっていたことだ。他にも私と同じような人間がいるのかどうか。


道子さんは「そうですねえ」と頭をひねりながらつぶやいた。


「都に陰陽師という官職があって……こちらでいえば司天監(してんかん)ですね。その中に、呪術や占いが得意な方がいるとは聞いたことがあります。何でも国のゆく末を言い当てたり、雨乞いで干ばつを終わらせたりしたとか」


「それってもしかして……安倍(あべの)何とかさん?」


「ああそうです。ただ、その方が異世界から来たという話は聞きませんね。父君は名の知れた官僚ですし。……母君が狐なのではという噂はありましたが」


陰陽師の代名詞ともいえる安倍晴明(あべのせいめい)

彼が異世界から来たという話は聞いたことがないが、よく考えてみればその不思議な力は聖人のそれに似ている。


「私も“召喚”という言葉自体、今日初めて耳にしましたし。ただ……」


けわしい顔をしていた道子さんが、急ににやりと口角を上げる。


「その“召喚”の存在を朝廷が隠していて、そのために狐の子などという噂をわざと流したとしたら────」


……確かに。

現にこの覇葉国は聖人召喚を隠すため、時として私に女官のふりをさせる。


同じようなことが日本でも行われていたとしたら、朝廷に仕える安倍晴明が、実は異世界から召喚された聖人である可能性は否定できない。


「ああ。今すぐ日本にふみを送ることができれば、都にいる弟に調査させますのに!」


道子さんは何だか楽しそうだ。

こういう謎や陰謀論が好きらしい。


「そういえば道子さんっていくつなんですか?」


初対面の時は典型的な平安顔だった彼女も、今はいくぶんか顔がすっきりして若く見える。


何でも医官の(チェン)さんが処方した「体内の余分な水を出す薬」のおかげでむくみがとれたらしい。

東櫻宮の美の価値観も、だんだんとこの国に染まってきているようだ。


「今年19になります」


「若いなぁ」


「そうでしょうか。確か陛下も同じでは?」


「そうだけど……やっぱり若いよ10代は」


言いながら私は苦笑した。

相手が若いと知った途端タメ口になってしまうところに、自分は若くないと痛感する。


ちなみに道子さんはもともと役人の娘として京の都で生まれたお嬢様だ。

幼い頃から漢文が得意で、その才女としての評判が朝廷にまで渡り、女房仕えは未経験ながらこの国へやって来たのだという。


「なので他の侍女たちほど、(たちばな)のお家とは縁が深くありません」


橘家は天皇家の血筋と言っても末端で、住まいも京の都ではなく近江の国だったという。


尚子(しょうこ)様が幼い頃は都に屋敷をかまえていたそうですが、朝廷で羽振りを利かせる藤原氏に追いやられてしまったのです」


そう語る道子さんの姓も藤原だ。京の都は藤原だらけなので、金持ちの藤原もいれば貧乏な藤原もいて、自分は後者寄りだったという。


「でもさすがに覇葉国へ渡りたいと言ったら、父に泣いて止められましたが」


「当然だよ」


この時代、日本から大陸へ渡るのは文字通りの命懸けで、一か八かの博打のようなもの。彼女たちが生きてここへ来れたのは奇跡に近い。


だからこそ尚子様が皇室の末端だというのも、想像できてしまう。 

そんな危険な輿入れに、帝に近しい子女が選ばれるわけがないのだ。


日本から尚子様たちを乗せた船には、転覆しないよう祈るためだけに用意された僧侶が8人同船していて、片時も休まず念仏を唱えていたらしい。


「尚子様、母国でも苦労をされていたんですね」


道子さんは無言でうなずいた。

万が一この先覇葉国に何かあっても、彼女たちがまた海を渡って日本へ帰ることは難しいだろう。

せめてこの国では幸せになってほしい。


そんなことを話していると、部屋の外から鈴玉ちゃんの声がした。


娘娘(ニャンニャン)!陛下がお戻りです!」


「あ……」


私は目を見開き道子さんと顔を見合わせた。

窓の外からは橙色の光が差し込んでいる。


(わか)る!」


「良かったぁ~!」


私たちはハイタッチをして喜びを分かち合った。

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