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「何だ。まだ準備ができていなかったのか?」


清龍殿の廊下を歩いていた青藍は、向こう側からやって来る紫雲に声をかけた。

今の時分には広間で陛下たちと夕餉(ゆうげ)をとっているはずの彼が、部屋と逆方向に向かっているのを不思議に思ったのだ。


今日は清明節。平素と違って夕餉の支度に時間がかかることは承知である。

ならば逆算して早くから動き出し、いつも憂炎が食事をとる時間に間に合わせるべきだ。

青藍はそう思いながら、周囲でせわしなく働く宦官たちに強い眼差しをおくる。


「もうすぐ終わりますよ。私はちょっとお手洗いに」


紫雲はさわやかな笑顔で、青藍のいらだちを制した。


「そうか。では先に始めているぞ」


今夜の宴には自身も加わるよう誘われていた青藍だが、何時も己の本分を忘れることを許さない性格。幼い憂炎の遊び相手として参内していた幼少期以来、主と食卓を共にしたことは一度もない。

今夜もあくまでも側近としての役目を果たすため、青藍は広間へ向かって歩き出した。


────が、背後から衣を掴まれ、危うく前につんのめりそうになる。


「あなたも一緒に行きませんか」


「は。厠へか?」


謎の誘いを受けた青藍は人差し指で眼鏡の縁を上げた。これは彼が理解不能な状況に直面した時の癖だった。


「必要ないし、俺は誰かと連れ立って用を足す趣味もない」


そして掴まれた衣を引っぱり紫雲の手から逃れる。


「おや、つれないですね」


紫雲は払われた手を軽く上げ降参を示した。

しかし青藍が乱れた衣を整えているさなか、流れるような所作でその手を彼の右脇下へ滑り込ませる。


「気色悪い真似をするな。放せ」


女のように腕を絡める紫雲を、再び振り払おうと身をよじる青藍。

しかし今度はびくともしない。

こいつはどうして、女々しい顔をしてこんなに力が強いのかと困惑する。


「俺はお前と違って勤務中だ」


いつもはこうして抵抗するうちに、飽きて「冗談ですよ」と手を放す紫雲が、今日はどうしても譲るつもりがないらしい。

すました顔でがっちりと掴んだ青藍の腕を離さない。


「いいじゃないですか。ね、ちょっとだけ」


それは繁華街の客引きさながらのしつこさだった。


清龍殿の廊下で、男2人の攻防戦が繰り広げられる。

他の者たちはその様子を不審に思いつつも、はるか上位の内官たちのじゃれ合いを止めるわけにもいかない。

皆遠まきに眺めながら、宴の準備を続けるほかなかった。


「お前……何かあったのか?」


息を切らしながら、あまりのしつこさに呆れつつたずねる青藍。 


紫雲の行動はおかしかった。そもそも彼らはこうして、人前で親しげにすることを避けていたからだ。

こんな場所で話しかけなければよかったと青藍は後悔する。


後宮において内官たちの差配を担う青藍と、彼らの良き相談役である紫雲の間に必要以上の繋がりがあってはならない。

その信念のもと、これまで互いに注意を払ってきたつもりだ。

これは青藍が今夜の宴に参列しなかったもう一つの理由でもあった。


「いえ別に」


そんな青藍の懸念もどこ吹く風と、紫雲は乱れた髪を整えつつにっこりと笑った。

自慢の美貌をあますことなく発揮し、見る者に思考を放棄させるような、まろやかな微笑だった。


彼らを横目にした女官たちは頰を染めながら小走りする。

その頭の中では今後宮で流行りの男色物語が再現されていることを青藍は知らない。


青藍してみれば、旧知の男にそんな風に微笑まれても気味悪いだけだった。

眉をひそめ、左手でまた眼鏡の縁を上げる。


「さっさと行きますよ。漏れそうなので」


終始上機嫌だったはずの紫雲がしびれを切らしたのか、急に冷ややかな声を放った。

腕を組んだまま大股で歩き出す。


「ほ、本気で行くのか」


結局訳がわからないまま、半ば引きずられるようにして、来た道を戻るはめになった青藍。


外に出ると、城を焼け尽くすような赤い夕焼け空に、今にも雨が降り出しそうな灰色の雲が立ち込めていた。



その後戻った2人が広間を訪れると、すでに支度の整った円卓で憂炎とトウコが紫雲の到着を待っていた。

赤や金の装飾で彩られた卓の前で、身の置き場なくソワソワする2人の様子は、場違いな宴に呼ばれた子供のようだった。


紫雲は遅れたことを謝罪しつつ涼しい顔で席につくと、3人の宴が始まる。


宴といっても昔のように教坊司の楽団や踊り子などは呼ばず、普段より豪勢な食事を楽しむだけのささやかな会だ。

これは憂炎が贅沢を好まないこと、そして太后の喪中であることを(おもんばか)ってのこと。

同席するのは憂炎の寵妃とその子であるべきだが、あいにく今はそのどちらの席も空いている。

今の憂炎にとっては目の前の2人が最も心許す存在ということだ。


青藍は憂炎の顔が最もよく見える柱の前に立っていた。

尚食局が腕をふるった二十種を超える大皿を前にしてもなお、青藍の主は饅頭(マントウ)と羊肉にしか手をつけない。

『陛下が女たちに食指が動かぬのは、偏食のせいに違いない。もっと野菜を食べさせろ』と謎の理屈をこねる父の李宰相を思い出し、青藍は胸の奥がずんと重くなった。


青藍は憂炎の様子を気にしつつ、時おり2人にも目をやる。

トウコは春の味覚に舌鼓をうちながら、元の世界の話に花を咲かせていた。

その話を酒杯をもちながら楽しげに聞く紫雲。その横顔は普段と何ら変わりなかった。


様子がおかしく見えたのは、ただの思い過ごしだったのだろうと思いなおす青藍。


ふと部屋に吹き込んだ湿っぽい風に気づき、開け放たれた扉の方を見る。


外では雨が降り、遠くで雷が鳴っていた。


雨は龍の末裔である憂炎の、徳の象徴である。


祝福の雨は風をともないながら、赤い宮殿を色濃く濡らし、白い大理石の地面を激しく打ちつけ流れてゆく。

ほがらかな宴が繰り広げられる清龍殿の下では、数多の雨竜の首がごうごうと水を吐いていた。




【第二章 完】

お読みいただきありがとうございました。

ストーリー的に区切りが良いので、ここまでを第二章とさせていただきます。


次回から始まる第三章ではトウコが××を失ったり、街へ繰り出したりします。


ここまでつたないところが多々あったかと思いますが、もし気に入っていただけましたら、ブクマいいね感想評価★などいただけると大変ありがたいです。

今後もよろしくお願いいたします。

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