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任務:王妃の宝物を見つけよ④

「こちら、ありがとうございました」


後日私は再び鳳凰宮をたずねた。

蓋を開けた箱を二つ差し出すと蔡王妃は、つやつやと輝く珊瑚に寂しげな視線をおくる。

今日は鳳凰の簪を外しているようだ。きっちりとまとめられた髪は彼女の細い輪郭をさらに強調している。


「殿下が……なぜ二つ目の贈り物にこれを選んだのか。結局聞けずじまいだったわ」


真っ赤な石に金の装飾。美しい王妃には似合うと思うが、いつも落ち着いた色を身に着ける彼女の好みではなかったのだろう。


「自分の妻には、もっと華やかな女になってほしいと思っていたのかしら」


「それは──……」


私は言いかけた答えをひっこめて、女官から受け取った三つ目の箱を卓の上に置いた。


「これは?」とたずねる王妃。


蓋を開けると現れたのは銀の簪だ。青みがかった乳白色の翡翠が控えめにあしらわれている。


「……わたしからだ」


「───っ!」


皆の視線がいっせいに部屋の入口へそそがれた。

扉の向こうから現れた黒い衣の青年に、女官たちが慌てて拱手し深く頭を下げる。

私が席から立つと王妃もゆっくりと立ち上がった。


「……陛下、」


長く避け続けていた夫の姿を、王妃は大きく見開いた眼に映す。


私は卓から一歩離れ陛下に席を譲った。

すれ違いざま、その威厳と風格のある背中に、無いはずの龍の衣が見えた気がした。


陛下と王妃が卓を挟んで向かい合う。

その光景を初めて目の当たりにした女官たちは無言で息をのんだ。


「姉上が、これを失くした日のことを思い出した」


陛下は真珠の耳飾りを指さした。

そして語ったのは、当時の海陽殿下とのやりとり。


「『贈り物に耳飾りを選んだ俺の落ち度だ』と兄上は言っていた。一つ失うだけで使い物にならないものを、贈るべきじゃなかったと」


耳飾りを失くした王妃の手元には、おのずともう片方が残る。

片方だけで使い道のないそれを見るたびに、王妃が心を痛めるのを殿下は案じていたらしい。


『お前にもし好きな女ができたら、簪でも贈るんだな!』


そういたずらっぽく笑った海陽殿下は、そのままあの珊瑚の耳飾りを求めに走ったという。


「殿下が、そのように……」


驚き息をのむ王妃に私は言った。


「真珠を失くしたことを王妃様に思い出させないため、殿下はあえて全く異なる石を選んだのではないでしょうか。お二人にとって大切な、婚約の思い出を上書きできるように」


「兄上は何時(なんどき)も、過去を振り返らず前を向く方だった。そのことを思い出したのだ。だから今日、ここへ来た」


再び口を開く陛下の表情は、これまで以上に硬く重かった。


「ここに来るのを避けていたのは、合わせる顔がなかったからだ。わたしが兄上を王宮に引き留めていなければ、姉上たちはもっと早くに()州で婚礼を挙げ、兄上も我が子の顔を見られていたはずだから」


誰にも知らされなかった、兄に対する胸中が明かされていく。


「昔からわたしは兄上から奪ってばかりだ。この手の中にあるものはすべて、兄上が手にするはずだったもの」


憂炎陛下の即位について、その真相は闇の中だ。

しかし当人は思い悩んでいたらしい。自分が海陽殿下から玉座を奪ってしまったのだと。

そして今、妻子までも奪っていると。


「きっとあの水害も、王であるわたしの徳が足りぬゆえ───」


「そんな……」


けれど命まで奪ったなんて、そんな馬鹿な話があるわけない。

そう私が言うより先に、王妃が椅子から勢いよく立ち上がる。


「────何を言うの、星系(せいけい)……!」


まるで子どもを叱りつけるように、陛下の幼名が部屋中に響いた。


陛下はびくんと肩を震わせ、丸い目で王妃を見上げる。


生前(せいぜん)殿下と話していたわ。私たちの幸せは、重責を代わりに背負ってくれたあなたの痛みの上に成り立っていると」


こんな風に王妃がはきはきと喋るのを初めて見た。

その声にいつもの柔弱さはなく、意外なほどよく通る。

元は明るい人だというのは本当かもしれない。


「あの人は……いつもあなたのことを心配していました。()州に渡ったあとも、『六弟のことは家族と思ってほしい。広い王宮のなかで本当の家族と呼べる者は、あまりに少ないから』と。だから……お腹の子と同じように、あなたをっ……守れ……と、」


しだいに震える声。

王妃が口元を手で覆い顔をふせた。


「あねうえ」


陛下は立ち上がり王妃へ近づく。顔に戸惑いを浮かべながら、声色にはどこか懐かしむような柔らかさがあった。



「ちぇーちぇー」


部屋の奥から聞き覚えのある声が漏れてきた。


衝立の裏から、両手を前に上げこちらへ駆け寄る王女。先日見たときよりもしっかりとした足取りをしていた。

王女は母を心配するように裾をつかみ顔を覗きこむ。

その直後、背後に立つ黒い男に気づき振り向いた。


「……薫林(こうりん)か?」


陛下は驚き目をみはる。


顔を見合わせたその瞬間から、王女の興味は初めて見る男に奪われてしまったようだ。

小さな手が母の衣からはなれた。


陛下はしゃがみ込んで、王女の姿を正面からまじまじと眺める。

そして「似ているな、兄上に」とこぼした。


「………」


我が子への率直すぎる感想に、周囲にひやりとした空気が流れ、王妃は王女を自分の元へ引き寄せようとする。

私も喉の奥がつまる心地がした。


そんな大人たちの心境などつゆ知らず、王女は「ちぇちぇ」といつもの舌っ足らずな声を陛下に向けて発した。


陛下はしゃがんだまま、涼しい顔で会話を試みる。


「わたしは母上でなく、父上だ」


「てぇてぇ?」


「そうだ。わたしと、わたしの兄上が、そなたの父上だ」


うなずきながら、ゆっくりと紡がれる言葉。

二人の母がいることを受け入れた陛下が導き出した答えは、私の中へすとんと落ちる。


「てぇてぇ!」


小難しいことを真面目な顔で話す様子が面白いのか。そもそも大人の男が珍しいのかもしれない。

王女は覚えたばかりの言葉を楽しそうに口にして、小さな両手を陛下の顔へ伸ばす。

頬の感触や、鼻や唇の形を確認するようにぺちぺちと叩き「てぇてぇ」とくり返す。


周囲ではらはらと息を呑む女官たちをよそに、陛下はいつもの朴訥(ぼくとつ)とした顔を、されるがままに触らせていた。


「薫林にも土産を持ってきた」


王女の頭に手を置いて陛下が立ち上がると、扉付近で控えていた宦官たちの間から紫雲さんが歩み出る。

手に持っていたのは水色の凧。羽を広げた燕の姿をしていた。


紫雲さんから凧を受け取ると、王女は興奮した様子で飛び跳ねる。


「今日は清明節(せいめいせつ)だ。兄上を思い出しながらこれをあげよう」


王女は水色の鳥を両腕で抱えて、人形遊びのようにゆらして遊び始めた。凧あげはしたことがないようだ。


「後で一緒に外へ行きましょうね」と紫雲さんが笑う。


陛下はその様子をおだやかな眼差しで見つめる。


初めて目の当たりにした“父”の顔に、私の胸は不思議な音を立てた。


「この子のおかげで、また兄上のことを思い出した。いつも明るい兄上がいて、隣に優しい姉上がいる。そんな時間が私は好きだったのだ」


背後から王女の体に腕を回し、ゆっくりと抱き上げる陛下。


「この子は兄上と姉上、そしてわたし────三人の宝物だ」


王女が凧を頭上にかかげて、自慢するように母親を呼んだ。


「ちぇちぇ!」


王妃の視線が、陛下の腕の中で笑う宝物へと注がれる。


「……許してもらえるかしら。あの人の……殿下のいない世界で、私だけが幸せになるなんて」


自問のようなつぶやきに、私は拱手し答える。


「不思議に思っていました。この世界では男が何人も妻を持てるのに、女が後夫を持って何の罪になるのでしょうか」


王妃はしばらく黙ったあと、箱から翡翠の簪を手にとる。


「分かっていたの。殿下が私たちを咎めるはずがないと。許せなかったのは……自分自身だったのかもしれないわ」


簪を髪に挿した王妃は、王女が持つ凧を指先で撫でる。


「懐かしいわ。幼いころ、殿下が凧を見えないくらい高くあげるものだから、そのうち糸が切れて凧が飛んで行ってしまうとあなたが心配して、もうやめてと泣いていたわね」


「……そのようなこと、あったかな」


陛下は恥ずかしそうな声を漏らすと、王女を抱いたまま外へ向かって歩き出した。

扉の前で振り返り「姉上」と呼ぶと、王妃が後を追う。


そろって庭園へ向かう三人の姿に、私たちは胸をなでおろした。


まぶしい春の陽に照らされた陛下の、黒い背中が見えなくなるまで見つめ続ける。


互いを想い合うことで複雑に絡まっていた糸がようやくほどけ、新たに紡がれた家族の姿は美しい。私には決して手の届かない光をまとっていた。


活動報告では既に紹介してましたが、EP.1の登場人物紹介ページにキャラクターのイメージ画像を入れました。


【こぼれ話】

清明節とは故人や先祖を祭るとともに春の訪れを祝う日。凧あげをする風習があります。日本のお盆に似てるのですが、故人供養がメインな夏の中元節の方がお盆に近いです。

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