任務:王妃の宝物を見つけよ②
王妃を一言で表すなら『薄幸の貴婦人』といったところか。
線が細く色白で伏し目がち。美人画から飛び出してきたような女性だ。
いかにも男性が好きそうなタイプだと、嫌味でなく思う。
「ちぇーちぇー」
王妃と話していると、部屋の奥から可愛らしい声が聞こえてきた。
よちよち歩きでこちらにやってきたのは、お団子髪を頭に2つのせた小さな子供だ。
後ろから腰をかがめた乳母らしき女性が腕を広げて追いかけている。
幼子は王妃の足元にたどり着くと、その場にぺたんとお尻をつける。
「ちぇちぇ」
「あらごめんなさい。歩けるようになったとたん、暴れまわってしまって」
そう言って王妃は、愛娘を膝の上に乗せた。
『ちぇちぇ』はおそらく母親を指す言葉だろう。
うまく翻訳されないのは、発しているのが幼児だからだろうか。
本人がその言葉をきちんと理解していなければ、翻訳されないシステムなのかもしれない。
「薫林王女、こんにちは」
紫雲さんがそう微笑んだあと、椅子にかけたまま揖礼をささげる。
私も隣にならって拱手した。
幼い王女は私たちを見ておかしそうな声を上げ、真似するように手を胸の前で組んでみせる。
「王女様にお会いするのは初めてですね」
「……そうね。極力人目につかないようにしていたから。でももう無理そうね。こんな風に走り回るようになってしまったら」
たえず周囲をきょろきょろと見まわす王女を、王妃が抑えるように抱える。
王女は数え年で2歳になったというが、言葉を覚えるよりも体を動かすことに長けているようだ。
「ぜんぜん人見知りしないんですね」
王妃は娘の頭を撫でつつ、眉尻を下げて困ったように微笑んだ。
「年々似てきたわ、あの人と。気質も顔も」
「……」
『あの人』を知らない私でも、それが誰を指すのかは一目瞭然だった。
「この子は陛下の子。だけど兄と似た我が子を見て、陛下はどう思うかしら。それを考えるととても、怖いの……」
私は母娘の顔を交互に見る。
王妃が屋敷に閉じこもっている真の理由は、どうやらこれらしい。
「陛下に……嫌われると?」
「いいえ、陛下はそんなことはしないはず」
王妃は弱々しく首を振る。
「だけど心では泣くかもしれない。昔から……優しい子だもの。繊細なあの子の心を、これ以上傷付けたくない────」
目の前にあるのはまぎれもなく、弟を思う姉の姿だった。
「前の夫のことは早く忘れるべきなのよ。けれど誰が見たってこの子の父親はあの人しかいない。それに忘れてしまえば、あの人が……本当の意味で亡き者になってしまう気がして」
王妃の唇が震え、目からひとすじ涙がこぼれた。
私は紫雲さんと、困惑した顔を互いに見合わせる。
「海陽殿下と陛下は、やはり似ているのでしょうか?兄弟ですし」
細い指で手巾を取り出し涙を拭く。
その仕草さえ流れるように美しい王妃は、「いいえ、ちっとも」と少しおかしそうに微笑んだ。
「殿下は……豪快でよく笑う方だったわ。二人が似ているとすれば優しいところかしら。だけど、それぞれ違う優しさを持っていた」
涙で濡れた王妃の瞳が、懐かしげに細められる。
「違う優しさ?」
王妃は静かにうなずくと、背後にいた乳母へ王女を託す。
抱えられた王女は不満げに「あーあー」と声を上げ足をばたつかせながら部屋を出ていった。
「海陽殿下と婚約したばかりの頃だったわ。婚約の証にもらった真珠の耳飾りを、王宮で片方失くしてしまってね。あの2人に泣く泣くそれを打ち明けると、2人ともどこかへ行ってしまった」
王妃をひとり残して、それぞれ別方向に飛んでいった兄弟。
そんな二人が戻ってきたのは、それから2、3時間ほどたった後だという。
「殿下は城外で新しい耳飾りを買ってきてくれたの。真珠とはまるで違う、艶やかな紅い珊瑚だった。『どちらを贈るか最後まで迷っていた。両方渡せる良い口実ができた』と」
慰めとしては百点満点だと思った。
海陽殿下は噂に聞く通り、どこまでも快活で聡明。人を喜ばせることに長けた男性だったようだ。
「いっぽうで弟のあの子は、宮中を必死で探してくれていたの。そして見つけてくれた。戻ってきた真珠は、残念ながら黒い傷が入ってしまっていたけれど……。あの時『姉上見つけました』と叫んで駆け寄ってきたあの子の、泥だらけの姿は今でも忘れられないわ」
「……何となく、陛下らしいなと思います」
利発でスマートな兄と、どこまでも実直な弟。そんな兄弟の姿が頭に浮かぶ。
「あの頃は陛下のことを、ただ真っすぐな子だとしか思っていなかった。だけど今思えばあの子は────耳飾りに込められた私の思いをくみとっていたのかもしれないわ。初めて貰った婚約の証に、代わりがきかないことを、分かって……」
王妃が口元を抑え、言葉がまた震える。
「………」
私は直感した。
王妃はすでに陛下のことを弟ではなく夫として、憎からず思っているのではないだろうか。
彼女が本当に恐れているもの。
それは、ふたりの夫を愛してしまう自分自身なのかもしれない。
はらはらと涙を流す王妃を眺めながら、隣に陛下が寄り添うさまを想像した。
まさに絵に描いたような無垢で美しい光景だ。
今の2人はきっとかけ違えたボタンのようなもので、陛下が彼女を受け入れないわけがない。
これまでさまざまな人たちと繋いできたあの清廉な心を、本当に結ぶべき相手はきっとこの女性だったのだと私は染み入るように感じた。
* * *
「あの王妃様、お借りしたいものがあるのですが……」
私は最後に王妃から“宝物”を預かって鳳凰宮を後にした。
「……それ、どうするんですか?」
帰り道、私が両手で抱える宝物を隣から紫雲さんが不思議そうな顔で覗き込む。
「陛下の心を開く鍵は、これかなと」
「王妃の宝物?」
「はい。まあ大事なのは、これ自体ではないんですけどね」
【こぼれ話】
宮中ではなく一般的な夫婦の話。
夫に死なれた妻は「後を追って死ぬ」「出家する」が良しとされるこの世界ですが、逆に妻に死なれた夫は「早く後妻を見つける」のが、子孫繁栄につながる先祖への孝だとされています。
そもそも良家では妻が複数人いるので、夫のダメージは少ないです。