ゆれる帳(とばり)③
「陛下!まったく貴方は……房中録に何と書けば良いのですか!?」
めずらしく陛下に声を荒げた青藍さん。
こんなに早くから後宮にいるという事は、昨夜は家に帰らなかったのだろうか。よく見ると寝不足な顔をしている。
「……そのまま、桃華宮にてトウコと寝たと書けばよい」
寝台の横に立つ陛下は両腕を広げながら冷たく言い放った。明らかに怒っている…というかすねている。
そばでは宦官が慣れた手つきで衣を着せている。
相手は臣下でありながら主の布団を取り上げ、部屋を追い出すという暴挙におよんだのだから当然ではある。
陛下が私のもとへ来たのは、そんな青藍さんへの仕返しの意味もあったのかもしれない。
もしこれで李親子の思惑通り妃の宮へ行ってしまえば、味をしめた彼らは今後も同じ事を繰り返していただろう。
「………」
自らの不敬は痛いほど理解しているようで、青藍さんは黙り込んでしまった。
「ちょ、房中録にそんなの書かないでくださいよ!?」
この主従喧嘩に自分が巻き込まれかけているのを察知した私は、二人の間に割って入る。
青藍さんに詰め寄ろうと寝台から足を下ろす。が、自分の寝間着姿に気づき引っ込めた。
「……共に寝たではないか」
私はあくまでも寝床を提供しただけで、記録されるようなことは一切なかった。
それを一番分かっているはずの陛下が、なぜかあげ足をとるように口を挟んでくる。
「そういう意味じゃないんです!」
「どういう意味だ?」
前髪の隙間からきょとんとした目がのぞく。
本当に分かっていないのか、それともわざとか。この人の真意はいまいち掴めない。
どちらにせよ陛下としては、空白続きの房中録に何かしら新しい文言を記載させたいようだ。それさえできれば、うるさい李親子の口を塞ぐことができると。
そんな単純な問題ではないはずだが……。
私と押し問答をする間に陛下の着替えは終わり、宦官らは部屋から引き上げる。
私たち四人だけになったところで、紫雲さんが思い出したように口を開いた。
「陛下、宝具は?」
「トウコがいらぬと言った」
「おやまあ」
紫雲さんは雅な手つきで口元を隠し、丸い目で私を見る。
青藍さんは無言でうつむいたまま、ゴミを見るような視線を一瞬よこした。
「ちがう!!────いや言ったけど!!」
私は身を乗り出し己の潔白を訴えたものの、さらに墓穴を掘る。
そんな私の姿を陛下はいつもの静かなまなざしで眺める。
「……トウコ、わたしは何も嘘を言っていないのに、さっきから会話が通じない。翻訳がうまくできていないのではないか」
そして心底気づかうように首をかしげた。
「え、私が悪いの??私がバカなの??バカな上に言語能力も失うの??」
混乱のあまりモノローグも声に出てしまう。
押し黙っていた青藍さんが、大きくため息をついてから口を開いた。
「ともかく、陛下がここで寝たのであれば記録しないわけにはいかない」
そう言って悩ましげに額を押さえる。
「うそでしょ……」
房中録に、私の名前が刻まれるの───?
「それだけではない。一度でも陛下と夜を共にした女は下女だろうが化け物だろうが、妃嬪の位を与えねば。今空きがあるのは……いや待て、少し考える……」
本当に頭痛がするのか、頭を押さえたまま椅子に腰かける青藍さん。
ちなみに化け物って私のことですか……?
「………」
しだいに明るみになっていく自らの置かれた状況に、今度は私が言葉を失う番だった。半ば放心状態で宙を見つめた。
……せめて陛下にアレをつけさせていれば、この事態は免れたのだろうか。
「お赤飯でも炊きますか」
葬式のような空気のなか、なぜか高みの見物状態の紫雲さんが軽やかな声を上げる。
朝日でオレンジ色に輝く髪を優雅にかき上げ、ふふふと笑う姿に私たちはもはや突っ込む気力さえない。
「……へ、陛下!貴方のせいなんですから、早く何とかして────」
最後の手段。
後宮の規律だろうが法律だろうが、国王の一存があればひっくり返せるはずだ。
私は頼みの綱へすがりつく。
「……あれ」
────が、陛下の姿がない。消えてしまった。
私を含めた三人は視線を巡らす。
すう、と聞き覚えのある呼吸音にゆっくりと視線をおろすと、布団からのぞく小さな後頭部。
着替えたばかりの黒い官服に身を包んだ青年が、体を丸めすやすやと寝息を立てている。
「………」
静まりかえった部屋に、辰の刻(朝7~9時ごろ)を報せる銅鑼の音が響いた。
* * *
結論から言うと、私の妃嬪入りは免れた。
陛下が私と一夜を共にしたという話はあっという間に朝廷の内外へ広まり、朝議でも私の冊封についての上奏があったらしい。
しかしその場で青藍さんが「桃聖人はこれまで数々の功績を上げており、今や後宮での扱いは正一品(四夫人)にも匹敵する。それを十八嬪へ召すことは降格も同然である」
という旨を述べてくれたおかげで、大臣らの声を抑えることができたそう。
いつも静かな李家の長男のあまりの熱弁ぶりに、その場にいた官吏たちからは感嘆の声が次々と漏れ、涙を流す者さえいたとか。
そんな青藍さんから普段は正一品どころか化け物扱いされている私だが、今は心の底から感謝している。
【こぼれ話】
青藍は実家暮らしなので、城下町の屋敷から毎朝馬車で出勤しています。
夜中の城門は緊急時以外開けてはならないルールのため、この日青藍は陛下が心配なあまり紫雲の家に泊まりこんで夜を明かしていました。