ゆれる帳(とばり)①
────何かおかしい。
消灯時間はすぎたというのに、さっきから部屋の外がやけに騒がしいのだ。
はじめは女官がヤカンでもひっくり返したのかと思ったのだが、声や物音は大きくなるばかりで聞きなれない男性の声までする始末。
この桃華宮の主としては事の次第を確かめねばと思うのだが、私はすでに寝間着姿だ。
仕方なく寝台の上で耳をそばだてていると、バンと大きな音を立てて扉が開き鈴玉ちゃんが飛び込んできた。
陶芸家のような服を着た私の前に立つと、鈴玉ちゃんは膝を押さえ息を切らしながら言う。
「娘娘たいへんですっ!!へ、へ、へ────」
「えなに。何か面白いことでもあった?」
私が首をかしげると、鈴玉ちゃんは頭をぶんぶんと左右にふる。
「へ、陛下が!いらっしゃってるんです!今夜はここでお休みになると───」
「ええ!?」
「どうしましょう!?お布団の用意に、あとお化粧……」
彼女の顔が赤いのは走ったせいではないだろう。
妃嬪でもない私に仕える女官に、普段から"夜の来訪"の心づもりがあるわけないのだ。
お化粧ってまさか私がするの?と思いながら呆然としているなか、部屋の外から女官たちのお祭り騒ぎが聞こえる。
「まずは湯浴みよ!」
「湯船に薔薇の花びら!」
何だかよく分からないが、今この屋敷はとんでもないことになっているらしい。
私も当惑しつつ、それでも慌てる皆よりはずいぶん冷静である。
「鈴玉ちゃん落ち着いて。陛下はたぶん私と寝たい訳じゃないと思うよ」
「ではどうしたら……」
「とりあえず中へお連れして。あとお茶淹れてくれる?リラックスできそうなの」
めずらしく屋敷の主人らしく振る舞ったところで私は立ち上がり、羽織に袖を通した。
「────それで陛下、今日はどうされましたか?」
暖かい炕の上に陛下を座らせ、私は羽織の合わせ目を握りながら隣に腰かける。
陛下はこの寒い中歩いてきたのだろう。肩を丸め白い顔を伏せる姿はまるで捨てられた子犬のようだ。
陛下付きの宦官たちは女官らと共に部屋の外で控えている。彼らの様子からしても、色めき立つような理由で陛下がここにいるとは思えない。
出されたお茶を一口飲んでから、陛下は重い口を開いた。
「わたしは……即位した時からずっと、夜は妃と寝ろと言われてきた」
「はい」
「太后が亡くなってもうすぐ一年経つ。喪中という言い訳もきかないと、近ごろは李宰相からきつく言われていて」
親族の喪は三年で、その間は心身を慎むのがこの国の慣習。しかし世継ぎは重要な国事のため一年が限界なのだろう。
「それでも何とかごまかしていたのだが、今日寝殿に行ったら……」
何かをこらえるように唇をぎゅっと結んでから、再度口を開く陛下。
「……寝台の布団が、なくなっていた」
「え?」
その深刻な声色に反し、空っぽになった寝台を前に呆然とする陛下の姿はずいぶんと滑稽に思える。私は顔に力を入れ笑みをこらえた。
「だ、誰がそんなことを」
「おそらく青藍だ。あいつは父親には頭が上がらないゆえ」
あの絶対忠臣眼鏡こと青藍さんがそんな真似を……李宰相はよほど怖い父親なのだろう。
それにしたって寒空のなか部屋を追い出される国王など古今東西聞いたことがない。
「一晩くらい寝ずとも構わぬが、これ以上宰相に逆らうと青藍が罰を受ける。だから仕方なく……」
陛下の公私を支える李親子は、夜伽問題で最も責任を問われる重臣。
四夫人問題が一段落した今もなお一人寝を貫く陛下にしびれを切らし、強行突破に出たのだろう。
「ちなみに、なぜこの桃華宮に?」
『何となく』とか言わないでくれよと願いつつたずねると、陛下は「だって……」と唇を尖らせながらうなだれた。
「だって妃のところに行けば……よ、夜伽だと思われるだろう……」
言葉尻に向かって細く消えていく声。
白い頬が朱に染まっていくさまに私は苦笑する。
「………」
────いや、その夜伽のために追い出されたんだよアンタ!
この人は一体、私がこの数ヶ月間何のために奮闘してきたと思っているのだろう。趣味だとでも?私ってただの世話焼きババアだと思われてる?
ただ呆れを覚えながらも、四夫人の面々を思い出せば陛下を頭ごなしに責められない。
まず尚子様こと橘賢妃はまだ陛下と話すだけで精いっぱいで、燕淑妃は幼い。秀徳妃は陛下の友で、紅貴妃は……相撲で勝たねば寝室に入れてもらえないだろう。
「王妃様のところは?」
「……王妃には、これ以上迷惑をかけられぬ」
「迷惑?」
夫婦で寝ることの何が迷惑なのだろう。
陛下と王妃の間には子がいるはずなのだが、夫婦仲は何だか訳ありなのかもしれない。
何はともあれ、寝床を失い後宮をさまよった末ここへたどり着いた人間を追い返すわけにはいかない。
「事情は分かりました。狭いですがここをお使いください」
私は立ち上がり、寝台を囲む薄い桃色の帳(カーテン)を開けた。
促された陛下が重い足取りで寝台にのぼると、私は帳を閉める。
「トウコは寝ないのか?」
帳の中で陛下は自分の隣をぽんぽんと叩いた。
「私はここで休みますので」
そう言って炕の上に戻る。ここに掛け布団があれば一晩くらいしのげるはずだ。
「……なぜだ?」
布越しに聞こえる声には、何の混じりけもない疑問符だけが浮かんでいた。
「………」
変に意識しているのは自分だけという、妙な敗北感と後ろめたさで胸がざわついた。
「ま、まあ、念のため……というか。誤解されても困るので?」
上ずった声をごまかすため私は片足を組んで優雅にお茶をすする。向こうから見えているのかは分からないが。
「わたしを……信用できぬか?」
「いや、そういうわけでは」
「……わたしも宝具をつけようか?」
───ブフォッッ!!!
不意打ちをくらった私の口からお茶が盛大に噴出した。実は鼻からもちょっと出た。ツンとした痛みが咽頭から脳へ突き抜ける。
目の前でゆれる帳には点々と染みがつき、ジャスミンの香りが辺りに広がった。
「へへへ陛下もお持ちなんですか!?アレ………」
慌てて口をぬぐう。
年上の余裕を見せるつもりが、鈴玉ちゃんを超える狼狽ぶりを披露してしまったではないか。
覇葉国の宦官を宦官たらしめる宝具。いっぽう陛下はその存在すら知らないのでは、という思い込みが私の中にあったのだ。
「ああ。もしもの時の護身用にと渡されている」
陛下は照れもせず淡々と答える。
"護身用"か────
国王というのも大変だなと少し同情心がわいてくる。
何と言葉をかけてよいか迷っている間に、陛下は床につく準備をしているらしい。
衣擦れの音が止まり、帳の中で「あ」という間の抜けた声がした。
「どうしました?」
「つけ方が……分からない」
「………」
気まずい沈黙が流れる。
それでも陛下に"もしもの時"がこれまでなかったことに私は安堵する。
「いりませんから、そのままお休みください」
ほっと息を吐くと私はロウソク一本だけ残し、部屋の灯りを消した。
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