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任務:徳妃の色香を抑えよ⑩

「だが、それらは全てわたしの勘違いだったようだな」


「……」


陛下が問いかけるも、徳妃はいまだ混乱の中にあり返事できる状態ではないようだ。

代わりに侍女さんが恐縮しつつこたえた。


「た、確かに徳妃様は一時期お身体を壊しており、今も不安定な時はございます。ただ、お子が産めぬということは……ないかと」


祖国での残虐な"治療"により心身を壊した秀徳妃。

しかし今は橙さんのサポートもあり侍医からも妊娠出産に耐えられぬという診断はされていない。


「……そうか。徳妃を守るつもりが余計に傷つけていた。本当にすまない」


陛下が立ち上がり徳妃へ頭を下げる。

侍女さんがいっそう恐縮し頭を深く下げた。

その光景に徳妃がはっと我に返る。


「謝らねばならないのは、(わたくし)の方ですっ────」


そう言ってふらふらと寝台から降り床に膝をついた。


「陛下を……お慕いしております。ただ(わたくし)は他の妃のように、女として……心からお仕えする事ができない。あの日もきっと、その後ろめたさがあったのでしょう。陛下を偽っていたのは事実です。本当に───申し訳ございません」


額を床につける徳妃。侍女さんたちも慌てて並んで土下座し、緊迫した空気が流れる。

徳妃の近くへ寄った青藍さんが腰をかがめ陛下の方とを交互に見やる。


「謝る必要はない。今日わたしがここに来たのはもう一つ、そなたに伝えたいことがあったからだ」


陛下は青藍さんに命じ徳妃を寝台へ戻した。

涙をこぼしそうな顔でシーツを握りしめる徳妃、その前に陛下は屈んで目線を合わせる。


「以前のわたしならば、そなたには心を殺し世継ぎを産んでほしいと言っただろう。そなたも知る通り、それが我々に課せられた役目だからだ。だが今は……言うことができない」


一瞬こちらに視線をやってから陛下はうつむき、少しの間沈黙する。

私たちは固唾をのんで次の言葉を待った。


「……この一年余りでわたしは大事なことを学んだ。人とは大切なものを守るため、生涯にわたって自分を偽る。その想いは尊くもあるが、辿り着く先は辛く寂しい。二度とそのような悲劇を生んではならぬと思うのだ。そなたにはどうか……心のままに生きてほしい」


陛下の話を聞きながら、頭の中に棺で眠る(コウ)氏の姿がよみがえる。

国王の生母でありながら正体を隠し、独り寂しく生涯を終えた康氏。

そして、苦悩しながらも母として子を守りぬいた劉太后(リュウたいこう)

ふたりの母が背負いつづけた苦しみを、自分の妃には与えまいと陛下は思ったのだろう。


「それに、太后がそなたらを四夫人に据えたのは世継ぎのためだけではない。私に友を作らせるためだ。幼い頃から私にとって覇葉人はみな自分の民だが、異国の妃は違う。私と対等に意見を交わせるはずだからと」


そこまで言うと陛下は腰から下げた佩飾(はいしょく)に指先で触れる。見慣れぬそれはよく見ると馬具の一種のようだった。

紅貴妃との交流は続いているようだ。


「そなたはわたしの側室だが、所有物では決してない。だから────……」


また言葉が途切れた。


「……トウコ」


「は、はい」


通訳に徹していたさなか、言葉がいきなりこちらへ向けられ私はうろたえた。


「わたしの話は間違っていないか。徳妃を傷つけていないか」


教えを乞う少年のような顔。

いつだったか二人で賢妃(けんひ)尚子(ショウコ)様へ贈る言葉を考えていた頃を思い出し胸が熱くなった。


思えば陛下は"同性愛"や”罪人”という言葉を一度も口にしなかった。

そんなこの人の優しさや繊細さの半分でも、私は伝えられただろうか。


「大丈夫ですよ」


陛下はこくりとうなずいてから徳妃の方を向きなおす。


「────だから徳妃、これからはわたしの……友になってくれないか」


少し固い声色は、徳妃の負った傷が容易に癒せないことを理解しながら、そっと寄り添うような優しさをはらんでいた。


私が通訳する間に、陛下の背後にいた青藍さんが両手に白い包みを乗せて一歩前へ出る。


「友の証として、これを受け取ってほしい」


膝の上で徳妃が包みを開くと、中からは上質そうな織布があらわれた。


「恥ずべき事だが、わたしは女の衣が着飾るためだけのものと思っていた。でもそれは違うと、最近教えられた」


私は自分の着ていた宦官服の袖を無意識に握る。


「このような、人として当たり前のことがわたしには欠けている。そなたにも教え導いてもらえたら助かるのだが」


人は誰しも完璧ではない。そんな思いが込められた贈り物。

徳妃が恐る恐る手を伸ばし、それを手に取る。


(わたくし)が陛下の……"友"に……?」


美しい織布を目の前に広げて問う。籠の鳥だった少女ハリシャが今はじめて"友"という言葉を知った。そんな響きをしていた。


「……だめか?」


そうたずねる純朴そうな青年は、誰もが気を許してしまういつもの陛下そのものだった。


「いいえ、喜んで」


弧を描いたブルーグレーの目から涙がこぼれ織布に落ちる。

胸に抱きしめたその黄色いベールは、雪の中に咲く蝋梅(ろうばい)の花の色だった。


「今夜は雪が積もるだろう。暖かくして過ごしてくれ」



*   *   *



「大丈夫ですか?」


ポンと肩に手を置かれ振り返ると、紫雲さんが私の顔を覗き込んでいる。


「あ……」


てっきり徳妃に声をかけたのかと思っていたが私に向けた言葉だったようだ。


「………はい」


そこでようやく自分の声が震えていたのに気付いた。


長かった通訳を終えるとさまざまな感情があふれてくる。

驚くことも多かったが"安心した"というのが一番大きいかもしれない。

陛下に対する思いはやはり解釈違いなんかじゃなかった。


当の陛下もようやく肩の荷が下りたという表情だ。今は窓の外に目をやり、白い雪化粧をされつつある蝋梅の花を眺めている。

美しいベールをまとった徳妃の隣で少し気恥ずかしそうな、でも(ほが)らかな横顔を見て私は実感した。


まぎれもなくあの人は(コウ)氏の息子なのだと。

我が子を主へささげ生涯沈黙を貫いた康氏。冷酷なふりをすることで妃を守ろうとした陛下。

他人のため自己犠牲をいとわないその血は確かに受け継がれている。

生前の太后が手紙に書いた「あなたの静かな優しさを受け継いだ子」────その人がまさに今、この国を治めているのだ。


「前に言ってましたよね。私の役目は、あの人たちの心を変えるんじゃなくて結ぶことだって」


二人を見つめながら紫雲さんに言った。


「ええ」


「その意味がようやく分かりました」


こんなにもひたむきで、美しい心を他に知らない。

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