じじつは小説より③
どうやら緑狛さんは、橙さんに痔の薬を塗ってもらっていたらしい。
「緑狛殿が暴れるから、根元まで入ってしまいましたよ」
入念に洗った右手を手巾で拭いてから人差し指と中指をぐにぐに曲げる橙さん。
「だから仰向けで足開いてくださいと言っているのに。こんな暗い場所で、立ったままなんて……髪は乱れるしやりにくいったら」
「んな屈辱的な格好できるか!俺は武官だぞ!」
緑狛さんは顔を真っ赤にしながら反論する
とはいえ、そのせいで結果的にめちゃめちゃ屈辱的なことになってしまったのだが……。
外廷の御薬院で薬を処方してもらうには、疾患内容を詳しく記した届け出を上司を通し提出せねばならない。痔というのを仲間にどうしても知られたくなかった緑狛さんは、医官の橙さんに頼み込んで後宮でこっそり薬を処方してもらっていたという。
「痔というものは女性の方がなりやすいので、医局でも薬は常備しているんです」
橙さんは手巾に包んだ煎じ薬を渡しながら言った。
「服薬もですけど、生活習慣が大事です。治るまで酒や刺激物は厳禁。馬に乗るのも控えてください」
「分かったよ!いつまでもこんな事やってられるか!」
薬を受け取った緑狛さんは医局から出ると、ひたすら周囲を警戒しながら後宮の門の方へと去っていった。
ちなみに彼は宝具の紐をほどいていただけで、宝具自体は外していなかったので今回はおとがめ無しとなった。
* * *
その後私たちは医局で橙さん特製の薬膳茶をご馳走になった。
「緑狛殿が最初、僕に何て言ったと思いますか?『俺の尻を舐めてくれ』って言ったんですよ!」
「ぶッ!!!何でですか?」
呆れたように言う橙さんに私は吹き出し笑った。
「何でも子供の頃読んだ書物に『国王は痔を舐めてもらって完治した』と書いてあったと。たぶんそれたとえ話なんですけどね※」
※「荘子」列禦寇篇第三十二 舐痔得車の話より
……緑狛さんって、実は頭そんなに良くないんだろうか。
「そういえば、緑狛さんの痔って自分で薬も塗れないほど酷いんですか?わざわざ橙さんに塗らせるなんて……」
「ああ、それは僕が塗らせてほしいと頼んだんですよ。内緒で処方する条件として」
「え」
「女性だと患部を直接見たり触れたりできませんから、痔の臨床は貴重なんです」
橙さんは自ら望んで緑狛さんのあそこに指を突っ込んでいたのか……。
驚く私を尻目に、橙さんは両手を胸の前で組んで嬉しそうに笑った。その様子はまさに"恋する乙女"のようで、女官らが誤解するのもうなずける。
「僕も生きてる人間の直腸にまで指を入れたのは初めてでした。やはり死体とは温度も締まりも違うのですね。もう少し刺激したらどのような反応するのか実験したかったなぁ~」
横から紫雲さんが私へこっそり耳打ちした。
「橙医師は昔から仕事人間というか、医療バカというか……とにかく人体にもの凄い探求心があるんですよ。見た目に騙されてはいけません」
興奮に頬を染めながら、オタク特有の早口で直腸と肛門の仕組みについて語り続ける橙さん。所々ほつれたお団子頭に可愛らしい花やリボンがついてるのが、余計にサイコな印象を与える。
橙さんがどれほど変わり者かというと、ふつう宮廷医師たちが目指すのは侍医という国王のお抱え医師なのだが、彼はあえて後宮の医官を志願し自ら宦官になったという。
「侍医が診る陛下や上級妃は、お体に直接触れることがなかなか叶わないので。それに後宮の医局は自由だから新薬の開発とかしやすいんですよ」
「新薬って、どんな薬を?」
「今はもっぱら媚薬ですね」
「びっ!?」
二次元でしか聞いたことのないワードに私は耳を疑うも、横から紫雲さんが冷静にたずねた。
「妃からの依頼ですか?」
「はい。徳妃様のところの女官から頼まれて」
「……徳妃様って、四夫人の?」
私が問うと紫雲さんは頷く。
「ええ。まだトウコさんが面会してない最後の1人ですよ。……ちなみに徳妃の媚薬は陛下に使うのですよね?」
橙さんに念を押すように聞いた紫雲さん。
確かに相手が陛下以外だったらそれこそ大スキャンダルである。
「はい。陛下に使いたいので次の訪問があるまでに作ってほしいと」
「まあそれなら止めませんよ」
「てことは、徳妃は陛下を拒んでないんですか?」
「ええ。徳妃は四夫人の中で唯一、陛下と良い所まではいったのですが…」
良い所とはいったいどの辺だろうか。媚薬を使いたいなんて……徳妃とは一体どんな女性なのだろうか。
疑問が次々沸き上がるが、「徳妃についてはまた折を見て話しましょう」とのことだったので、私はもう一つの関心事について橙さんにたずねてみた。
「ちなみに媚薬って何を使うんですか?」
「基本は普通の生薬ですよ。珍しいのは海狗腎という……オットセイの生殖器を乾燥させたものですかね」
「うげえ」
私は思わず口元をゆがませる。
「昔からあるれっきとした生薬ですよ?貴重なのでめったに使えませんけど」
橙さんの目はその貴重な薬(オットセイの生殖器)を使えることによってだろうか輝きを増している。
そんなものを飲まされるなんて、憂炎陛下がちょっとかわいそうだ。
しかしあの無表情な陛下が媚薬を飲んだらどうなってしまうのか見てみたい気もする。
「媚薬は体を熱くさせる生薬がメインで、そこへ漏らさないようにするものを加えるんです」
この国の房事において男性は"出す"と一緒に陽気も出てしまい良くないのだそう。なるべく長持ちさせるのが大事なのだとか。
橙さんは茶杯を両手で持ちながら微笑んで言った。
「実はこのお茶にも入れてみたんです。お2人ともどうですか?」
「「ブ-ッ!!」」
私と紫雲さんは同時に口から茶を吹き出し、咳き込んだ。
「トウコ殿はあまり飲んでませんね」
「ちょっと、味が苦手で……なんか微妙に酸っぱいし。まさかこれがオットセイの……」
私は胃の中から熱とともにこみ上げる吐き気をこらえた。よもや人間のモノすら口にしたことがない私がこんなものを飲まされるなんて。
「酸っぱいのは五味子という普通の植物ですよ。収れん作用があるので陽気を留めてくれるんです」
橙さんは満面の笑みでこたえ、今度は紫雲さんの茶杯をのぞく。
「紫雲殿は飲みほしてますが」
「た、確かに不味いですけど、橙医師の特製ならきっと美容にも良いかと……」
「もちろん美容にも効きますよ。精力も肌艶も腎が影響しますから!」
そう言うと橙さんは元気よく立ち上がり「お代わり持ってきますね」と部屋の奥へと行ってしまう。足取り軽い後ろ姿は、我々を媚薬の実験体にしたマッドサイエンティストさながらである。
「ど、どうしよう……」
私たちは青ざめ顔を見合わせる。
本当に大変なのはオットセイどうのこうのではなく、媚薬そのものである。
飲んでしまったと分かれば急に体が火照ってきたような気がしてきた。
紫雲さんは無言で口を抑えながら、空になった手元の茶杯を見つめている。
「紫雲さん大丈夫ですか?気分悪くなったり…」
彼の肩へ伸ばした手は、思い切り振り払われた。
「……だめ、かも……」
いつも妖艶で余裕たっぷりだったその声は、今はまるで少年のように震えていた。
「私としたことが、油断しました。彼の見た目に騙されるなと言って…おきながら……」
紫雲さんは顔を上げゆっくりとこちらを見る。
白い肌は紅く上気し、大きな瞳は涙で濡れている。
そして一瞬、物欲しげな眼差しで私の姿を眺めたあと、慌てて顔を背けた。
「トウコさん、これ以上近づかないで……っ、私は……」
紫雲さんは立ち上がると、胸を押さえながら肩で息をする。
五割増しの色気を全身から匂い立たせる推し───こうかは ばつぐんだ!
どうしたら良いか分からず立ち尽くす私に、紫雲さんは吐息まじりの言葉を発する。
「これから……仏殿でっ、邪念を払います。あなたはこのまま……っ、桃華宮に戻って、くれぐれも……こちら、には来ないで」
「邪念……ですか?」
「いいですねっ!?」
涙目で念を押され、訳の分からないまま私はうなずく。
「は、はい!」
「あなたも早く出なさい。橙医師だって、男、なんですから……っ」
そう言い残し足元をふらつかせながら医局を出た紫雲さん。
あんな状態で転ばないだろうか。道中で誰かと出くわしたらどうするんだろう。
心配だったが近付くなと言われた以上、後を追うわけにもいかなかった。
そこへちょうど茶器を持った橙さんが戻ってきたので、私は焦りながら詰め寄る。
「あの橙さん!媚薬の効果っていつまで続くんですか!?いつまで紫雲さんは……」
仏殿には他の僧侶さんがいるはずだ。あんな淫らな美人を目の前にして、彼らの身は大丈夫なのだろうか。
大仏様の眼前で乱痴気騒ぎが行われてしまったらどうしようかと不安になる。
焦る私を前に橙さんはのんびりした様子で席に着き、お茶を淹れる。
「ああ、このお茶に入れたのは"媚薬に使う生薬の一部"ですよ。海狗腎は処方量の1/10も入ってませんし、これ自体に催淫効果はありませんよ。お2人に聞きたかったのは味なんですけど…」
「………」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
火照っていたはずの身体から熱が一気に引く。
「───ちょ!それ早く言ってくださいよ!」
「ふふ。心と体は繋がっているんです。何事も気持ちが大事ってことですよ。人体って面白いなぁ」
そう言って橙さんは笑った。その顔は少女のように愛らしく、頭には真っ赤な牡丹の髪飾りが揺れていた。
「でも紫雲殿って、たまにどこか抜けてて可愛らしいですよね?」
脳裏には1人で痴態を晒す紫雲さんの姿が浮かぶ。
後宮の男たちを掌の上で転がしているのは、実は橙さんなのかもしれない。
結局、何の効果もない媚薬を飲み干した紫雲さんは、この寒空の下頭から冷水を被ったらしい。仏殿から聞こえる読経の声は夜まで止まなかったという。
そんな彼に対し、私はとうとうお茶の正体について明かすことができなかった。
* * *
「────ということで、緑狛さんは"とある疾患"の処方をしてもらっていただけで、2人が恋仲という事実はありませんでした」
「何だ、そうなの」
緑狛さんのプライバシーは守りつつ、私は調査結果について燕淑妃に報告した。
「とりあえず物語は書けましたので、こちらお納めください」
淑妃は元から現実より創作派なので、大きく落胆する様子もなく私が献上した新作をめくった。
「……あら、橙医師も積極的なのね。緑狛の雰囲気も少しイメージと違ったわ」
今回も全年齢向けなのでどっちが挿れるとかは無いのだが、カップリングは橙×緑×橙とでも言うのだろうか。
「こういうの"小悪魔受け"って言うんでしょう?」
属性は天然攻め×小悪魔受け。おバカな緑狛さんがひたすら橙さんに翻弄されるストーリーだ。
───本物は小悪魔どころではないのだが。
あの橙さんを知ってしまった今、普通の受として書くことなどとてもできない。
お読みいただきありがとうございました。
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今後もよろしくお願いいたします。