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任務:貴妃の手綱を引き締めよ③

天高く馬肥ゆる秋空の下、私たちは後宮を出て外廷(がいてい)の広い梨園(りえん)にいた。

梨園というのは元は名の通り梨の植わった庭園のことだったが、今はスポーツや演劇を観覧する野外スタジアム的な場所だ。


観覧席中央の特等席には、赤い礼服に幞頭(ぼくとう)と呼ばれる黒い帽子を被った憂炎陛下が相変わらずの無表情で座っている。

陛下の側にいるのは青藍さんと父の()宰相。李宰相は白髪まじりの長い(ひげ)をたくわえており、眼鏡はかけてないがスラっとした体形が息子とよく似ている。身に着けているのは濃い紫色の官服だ。

幞頭のおかげで男性陣は皆いつもより長身に見えた。


陛下の向かって右5メートルくらいの場所に鎮座するのは、外交のためにやって来た千涛国(せんとうこく)の第四王子、名前は(ショウ)という。

章殿下(ショウでんか)は王子といっても30代後半くらいの恰幅の良い男だった。髭は伸ばしておらず少し日に焼けた肌がツヤツヤと日に照らされている。

彼の父である千涛国王は60代だがまだ現役で、先日18番目の弟が生まれたのだと言っていた。


午前中に両国の顔合わせが終わり、もうすぐメインイベントの騎兵試合がこの梨園で始まろうとしている。


私は千涛国側で女官と一緒に酌をしながら控えていると、章殿下たちの話し声が聞こえてきた。


「噂には聞いていたが、あの高い城壁には圧倒された」


殿下の隣にいる臣下が答えた。


「我が国の倍はありましたね」


確かに覇葉城の外側を囲う城壁はかなり高い。しかも王都全体が壁に囲われた城郭都市になっており、三重の壁で城が守られている。


「まあ、あの若い君主を見ればそれも(うなず)けるがな」


椅子に浅く腰掛け足を組み変える章殿下は、先端の尖った金色の小さな冠を頭に乗せアゴ紐で縛っている。

衣装は覇葉国と同じ袍服(ほうふく)で黒地に金の団龍(丸くなった龍)紋様がいくつも入ったもの。腰には細いベルトが2本巻かれ、そこからじゃらじゃらと沢山の飾りをぶら下げていた。


章殿下の耳元で臣下がにやりと口角を上げながら囁いた。


「あの国王、何でも自国の妃よりも他国の姫を重用し更に守りを固めているとか」


章殿下の酒杯が空になったので、私は陶器製の酒器を持って背後から近づいた。

小さなワイングラスのような銀色の酒杯に酒を注ぐ。


横目で章殿下をちらりと見ると、臣下の話に肩を揺らしながらくくっと笑っていた。


「覇葉国王はよほど臆病と見える」


「かつては太后の傀儡(かいらい)、今はあの宰相親子に(あやつ)られているようですからね」


あまりにも侮辱的な会話に私は息を呑み込む。

思わず向こうにいる陛下へ視線を移すが、こちらを気にする様子はなく青藍さんと話していた。

乗馬が得意ではない陛下は試合自体にもあまり興味がない様子だ。


「……今のは通訳するなよ。大事な試合前に陛下が怯えて逃げてしまうかもしれん」


章殿下は私の顔も見ずに言い放った。


私は無言で頭を下げて背後に下がる。


……このオッサン、挨拶の時はヘコヘコして贈品も山ほど持参してきたくせに。

言葉が通じないのと陛下から距離があるのを良いことに言いたい放題だ。

近隣国だからとはいえ、こんな奴らをもてなしているのが馬鹿らしくなってくる。


込み上げる怒りを必死で抑え込んでいるうちに、場内へ楽団の演奏が流れてきた。

選手入場の時間だ。


会場の反対側から馬に乗った両国の選手が現れ、まずは観覧席の前を通りながら場内を一周する。


まずやって来た千涛国チームは、緑狛(リョハク)さんにも引けをとらない大柄な大将が1人と、その部下らしき若い男性2人だ。大将は国で一番の強さを誇る将軍らしい。

そして3人とも簡易な甲冑を身に付けている。

"仮の戦"のつもりでこの試合に望むのは相手国も同じようだ。


続いて覇葉国チームが入場し私たちの方へ近づいてくると、例のイヤミな臣下が私を振り返りたずねる。


「あの三人目……まさか女か?」


私は拱手し「はい。女性です」と答えた。


緑狛(リョハク)さん姜忍(キョウニン)さんの後に続いて堂々と会場を闊歩(かっぽ)するのは(コウ)貴妃だ。


颯爽(さっそう)と現れた貴妃がまとうのは妃の華やかな衣ではなく、馬術用のズボンに皮のベルト、足元は皮のブーツを履いている。長い髪はまとめて黒い幞頭(ぼくとう)の中だ。

背筋を伸ばした凛々しい乗馬姿に女官たちがため息をもらした。

宝塚的な世界には縁がなかった私も思わず見惚れてしまう。


貴妃は私たちの前を通り過ぎざま、軽く拳を上げた。


私は貴妃の(てのひら)の感触と、今日までの怒涛の日々を思い出す。


初対面で握手した時に気づいた貴妃の手のマメ、それは彼女が後宮に入った今も馬に乗っている証拠だ。

桂花宮の女官に聞くと案の定、貴妃は時々こっそり後宮の外に出て馬に乗っていたらしい。こっそりと言っても実際は例の特別待遇で見逃されていただけなのだが。

物心ついた時から馬と共に生きてきた彼女にとって、乗馬は異国の後宮に入っても(なお)どうしても譲れなかったようだ。


そこで私は、貴妃をこの騎兵試合に出場させてはどうかと提案した。


大将の緑狛(リョハク)さんは「面白そうだな」と快諾(かいだく)してくれた。貴妃がかつて武人であったことを彼は知っていたそうだ。


ただ今回の外交の要である李宰相はなかなか首を縦に振ってくれなかった。「貴妃を出して我が国に何の得がある?勝算もないのに許可などできん」と。さすが青藍さんの父上といった反応だ。


そこで私たちは「貴妃だからこそなし得る」戦略を練り、それを提示することで何とか宰相を説得できたのだ。



目の前を貴妃が通り過ぎると章殿下は腕を組んで笑い声を上げる。


「男は皆逃げ出し、とうとう女を持ってきたか。さすがあの若造の国だ」


個人的な恨みでもあるのかと思うほど、彼はやけに陛下に突っ掛かってくる。

この年齢になっても国王の指示でわざわざ異国へ赴かねばならない立場からすれば、若くして即位した陛下が鼻につくのかもしれない。


彼の発言が覇葉人には伝わっていないのがせめてもの救いだ。


さらに憤りを覚えたのは、覇葉国側からも時おり野次が飛んでいることだ。

「誰だあれは」「なぜ女が」「我が国は大丈夫なのか?」

女性が表に立つことを良く思わないのはどの国も同じらしい。


私はまた怒りを覚えながらも広場に視線を移す。

貴妃は野次など歯牙にもかけず、堂々と背筋を伸ばしている。

馬たちの尻尾は試合の邪魔にならないよう丸く結ばれていた。

馬上の選手たちを順に見やると、貴妃だけ体の揺れが極端に少ないことに気づいた。馬が彼女の心身にどれだけ馴染んでいるかを物語っている。



しかし貴妃にとっても騎兵試合は初めての試み。練習期間も短かった。

そんな彼女が今回の戦略の要で、覇葉国の命運を担うのだ。

気丈にふるまっていても相当なプレッシャーを感じているに違いない。


貴妃の馬が憂炎陛下の前を通る。

陛下は無表情を崩さないまま軽く頷くような所作を見せた。

それが視界に入ったかは分からないが、貴妃はただ前を向いたまま手綱を強く握った。


【こぼれ話】

章殿下のイメージはロバート秋山さんです。

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