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任務:貴妃の手綱を引き締めよ②

「あ、あの!お近づきの印に貴妃様へ差し上げたいものが!」


会話のペースを完全に握られ焦っていた私は思いきって顔を上げ、背後の女官へ合図する。


「何だ?」


女官が(うやうや)しく貴妃の前に差し出したのは、私の唯一の武器である後宮BL小説だ。


本来ならば先日初登場した総攻め武官こと緑狛(リョハク)さん×部下をモデルにした新作『初めての宝具装着』を持参する予定だったが、いかんせん宝具(パオジー)についての知識が足りず話が詰めきらなかった。ひとまず今回は紫×青の使い回しだ。


「────アッハッハ!!」


それでも読み終えた紅貴妃(コウきひ)は大ウケ。文字通り大いにウケていた。

背後から興味津々に覗き込んでいた侍女さん達も口元を押さえてくすくす笑っている。


「そんなに面白いですか……」


耽美なBLのはずだったのだが、ギャグコメディだと思われたらしい。


「このような可笑しな物語、よく思い付いたものだ。馬頭琴(ばとうきん)に合わせてこれを唄えば宴会で盛り上がるだろう」


貴妃はそう言いながら人差し指で涙を拭った。

BLにこんな爆笑するとは、やはりお国柄だろうか。


「祖国の家族にも見せてやりたいな。送っても良いか」


「それはご勘弁を」


私は慌てて頭を下げる。

大事な姫を嫁がせた先がこんな国だと思われたら外交問題、果ては同盟破綻にも繋がりかねない。


「でもご家族、仲良いんですね」


「……ああ。そうだな」


何の気なしにたずねると、貴妃の顔がすこし曇った。

貴妃は茶を一口飲んでから息をついて、再び口を開く。


「うちは王家の縁戚で、父の妻は私の母と2人の側室だけだった。子供は10人、皆が兄弟として育てられたんだ。そして家督は私が継ぐ予定だった」


「え、そうだったんですか」


金国はジェンダーフリー国家。男も強いが女も強く、長子制でもなかったそう。

幼少期から兄弟に混じって馬で草原を駆け回り、狩猟も得意だったという紅貴妃。

しかしある日、覇葉国への輿入れの話が王家から回ってきた。


「姉は既に嫁ぎ、妹達も行き先が決まっていてな。妙齢の女が私しかいなかったのだ。家督は弟に譲った」


彼女の父は近衛軍団の長官から軍政副長官、その後は官吏の弾劾をつかさどる官僚へと上りつめ、王家の娘と結婚した。

そんな父を誰より尊敬していた紅貴妃も近衛軍団に入り、女将軍への道を歩んでいたという。


貴妃は自嘲するように笑みをこぼしながら言った。


「幼い頃から父の側について、兄弟の誰よりも努力してきた自負がある。だが女だから……あれがついてないというだけで私は負けたのだ」


貴妃の表情からだんだんと笑みが消える。

彼女の宦官への仕打ちについて、私はようやく合点がいった。


「子など生涯産めずとも良い。寵愛などもっとどうでも良い」


伏せられた瞳が物憂げに揺れる。ごう慢な貴妃の仮面が外れ、1人の人間としての顔があらわになった。


「ただ私は、草の上を自由に駆け回りたい」


その横顔は女将軍さながらに勇ましく、それでも耳元で揺れる金色の耳飾りがどこか悲しげだった。


生まれた家や時代が違ったなら、彼女はどれほどの功績を残しただろう。

彼女の生き方にどれほどの女性が勇気付けられただろう。


「陛下が悪い人間でないのは分かっている。だが……いやだからこそ、互いに干渉せずいきたいのだ。世継ぎは他の若い妃に任せたい。きっと陛下もその方が良いだろう」


「そう……ですか」


妙に納得してしまったのは、私がこの世界の人間ではないせいだろうか。

後宮という閉ざされた場所にいる以上、彼女にとってそういう生き方も悪くない。むしろそれが理想的なのかもしれない。


その時私の頭の中を巡っていたのは陛下との仲をとりもつ事よりも、この場所で貴妃が貴妃らしく生きるためにはどうすればいいか、という事だった。


「辛気臭い話で悪かった。トウコはこういう男色が好きなのか?」


その後私たちはBLを含む猥談を再開し、その後お開きとなった。

貴妃は色んな知識が豊富で、ここが男子禁制で良かったと心底思う。



*   *   *



私は翌日仏殿を訪れ紫雲さんと対面した。


「……そうですか。紅貴妃の振る舞いにはそんな理由が」


机に頬杖をつきながら紫雲さんはため息をつく。


執務室には茶の湯気が漂い、テーブルに置かれた茶杯の隣には甘い香りの桂花餅が添えてある。

昨日勝手に逃げ出したことへの罪滅ぼしのつもりだろうか。


紅貴妃のことになるとどうも口数が減る紫雲さんを眺めながら思う。

……そういえばこの人って、四夫人からことごとく悲惨な目にあっている気がする。


普段はこの美貌なだけあって、紫雲さんと一緒にいると下働きの宮女から妃嬪にまで羨望の眼差しを注がれることが多い。

明らかに紫雲さん目当てで仏殿へ足しげく通う妃嬪もいる。


しかしこれまで訪問した四夫人の宮では拒否られたり、迫られたと思えば拒否られたり……そして昨日は一触即発のアレである。


彼は何ごとも要領よくこなしていそうに見えて、実は気苦労の多い人なのかもしれない。

このツヤツヤと無駄に美しい顔のせいで気付きにくいのだが。


「やけに嬉しそうですね。そんなに美味しいですか?このお菓子」


「え、まあ……そうですね」


私は誤魔化すように桂花餅を一口で頬張った。さすがに喉につっかえて茶杯を手に取る。

お茶にフーフーと息をかけながら、視線を上げて推しの顔を見た。


こうやって憂鬱そうな顔してるとますますハルちゃんそっくりだ。

いっそこのまま黙り続けてくれないかなと思わないことも無いけれど、そんなことしていたら問題が一向に片付かない。


「紅貴妃は陛下を嫌っている訳ではないようです。ただあまり…タイプじゃないみたいで。ちょっと発言も危なっかしいんですよね」


さすがに具体的な発言内容は口にするのが(はばか)られるが、紫雲さんは何となく察したようだ。


「陛下への放言については私も耳にしています。ただ金国との関係を考えると、あの方を(いさ)められる人はいないのですよ」


文化経済面では他国から抜きん出て発展している覇葉国だが、文を尊ぶあまり武を軽んじる傾向にある。ゆえに最大の弱点が軍事力で、そこを金国に頼っているのだという。

本来強国との同盟締結には多額の金や貢ぎ物が必要なところを、姫をこちらへ嫁がせ丁重に扱うことで出費を最低限まで抑えられているそう。


そりゃあ紅貴妃が特別待遇にもなるだろう。それで国を守れるなら馬や牛を買うくらい何てこともない。


「だから私に『手綱(たづな)を掴んで』と言ったんですね」


そうたずねると紫雲さんはジャスミン茶を一口含んでうなずく。


「輝かしい前途を奪われた彼女の気持ちは分かりましたが、恨みの矛先が我々へ向くのは少々納得いきませんね。せめて宦官らへの態度だけでも何とかならないでしょうか」


私は少し考えたのち呟いた。


「……紅貴妃の態度は『男性への恨み』というよりも『女性であることへの悲観』が根底にあるのだと思います」


「自分が女でなければ、ということですか」


私たちはしばらく話し合った。

貴妃の態度を改めてもらうにはどうしたら良いか。

後宮のため、陛下のため、貴妃自身のため、誰も傷つかない解決法は無いか。


それにはやはり貴妃自身に「女性としての幸せ」に気づいてもらうのが一番だという結論になった。


「いっそ貴妃の好みそうな男性を差し入れてみるとか?武官の緑狛(リョハク)さんみたいな」


何となく思い付いた案を口にすると、紫雲さんは元から大きな目をさらに丸く大きくした。


「トウコさん意外と大胆なこと言いますね。桂花宮で何かありましたか?」


身に覚えのあった私は急に恥ずかしくなる。


「いや何も?差し入れるって、ただ対面してお話でもと…」


さすがに猥談に花を咲かせていたとは言えない。


しかしその案に紫雲さんは珍しく難色を示した。


「男性経験の乏しい方でしたらそれも効くでしょうが、恐らく紅貴妃はそうではないでしょうし…」


「そんな事も分かるんですか」


昨日彼女が話していた内容からしてもその推測は的を得ていると思う。


私が驚いていると、紫雲さんは含み笑いを浮かべながらうなずいた。


「もちろん分かりますよ」


「……匂いで?」


「ええ。トウコさんの匂いはずっと変わらなくて安心します」


紫雲さんは目を細めてから息を深く吸う。


私はまた反射的に自分の肩口に鼻を押しあてて自分の体臭を確認してしまう。


くすくすと笑う紫雲さんが視界に入り、すぐに腕を下ろす。


「………」


ふと自分の(てのひら)が視界に入った時、貴妃と握手を交わした感触を思い出した。


『ただ私は、草の上を自由に駆け回りたい』


そして彼女の物憂げな横顔が頭に浮かぶ。


私は手を下ろすと同時に紫雲さんの顔を見上げた。


「……あの、紫雲さん」


「はい」


「貴妃の手綱を掴む前に……一度思いきり走らせてみるのはどうでしょうか」


「どういうことです?」


また却下されるのを覚悟で私は次の案、あまりにも壮大な案を提示した。


紅貴妃の問題は簡単なようで、実は根深い。

今回ばかりは私の力だけでは解決できそうもない。この国の力が必要だと訴えた。


【こぼれ話】

金国という実在の国名が出てきましたが、これは史実に基づいてつけたわけではなく「北方民族のおさめる強そうな国の名前」で「金」以上に適する言葉が見つからなかったためです。



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