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行幸③

高州から王都への帰りも、私は憂炎陛下と同じ馬車に乗っていた。

車窓からの景色は田畑の緑が延々と続き、そこで働く農家たちが日に焼けた腕をせっせと動かす様子も見えた。


「陛下はいつもああして、民とも同じ目線で話すのですか?」


昨日の陛下が農家の話を熱心に聞いていたのをふと思い出して聞くと、答えは右隣からすぐ返ってきた。


「民は普段聞けない所見をくれるので、城の外ではなるべく民の話を聞く。わたしは話をするのは苦手だが、聞くのは好きだ」


陛下は会話が苦手なのだと思っていたが、コミュニケーション自体が嫌いなわけではないらしい。


「4人の臣下が同時に話した時も、全て聞き分けられた」


「すごいですねそれ!」


まるで聖徳太子だ。人の上に立つ人物はそういう特殊能力も備わるのか。



今日の陛下はさすがに居眠りしていなかったので、長い道中で私たちは短い会話をいくつか交わしていた。


「そういえば、憂炎(ユーエン)って良い名前ですよね」


「………」


私が何の気なしに言うと、陛下は恥ずかしそうに顔を伏せた。


「あ、すみません。好きじゃなかったですか?」


「いや、そうではない」


私が謝ると陛下はすぐに顔を上げる。


「この名は王太子になった時、父上から授けられた」


ずっと左頬ばかり見せていた顔がこちらを向く。背後の窓から夕陽が差し込み陛下の肌が(だいだい)色に染まって見える。


「ふだん名を呼ばれることがないので、少し驚いた。でも嬉しかった」


「ああ、皆"陛下"って呼んでますもんね」


「……誰からも呼ばれぬ名は、死んだようなものだ」


陛下がそう寂しそうに呟き、それきり会話が途切れた。


砂利道を走る馬車はガタガタと大きく揺れた。


「………」


せっかくお父さんから付けてもらった名をそんな風に言うなんて。何だか切ない。


「今日だけ……この馬車の中でだけは、憂炎陛下と呼ばせてもらってもいいですか?」


私が提案すると陛下は一瞬目を大きく見開いたあと、首を小さく縦に振った。


「……うん」


そうして顔を前に向けてから、また恥ずかしそうに視線を伏せた。


……この子、初めて見た時から少年マンガの主人公みたいな顔って思っていたけど、完全にアレだわ。BL漫画の主人公(受)だわ。


「じゃあ憂炎陛下は、好きな食べ物は何ですか?」


「……饅頭(マントウ)


横から小さな声が返ってくる。


「ああ、肉とかと一緒に食べるやつですよね」


宮廷料理の主食は米が多いのだが、たまに饅頭と呼ばれる白い蒸しパンが出てくる。中華料理で豚の角煮を挟んで食べるアレだ。


「わたしは饅頭だけ食べる。甘くておいしい」


「へえ」


饅頭は主食なので普通は甘くないのだが、後宮のものは陛下の好みに合わせて少し甘味が足してあるのだそう。

ちょうど日本で食べた肉まんの皮くらいの甘みがある。


包子(パオズ)(肉まん)も皮だけ先に食べる」


「それは……何というか、変わった味覚ですね」


まるで偏食の子供みたいだ。

そんな行儀の悪い食べ方をしていたら親に叱られそうなものだが、陛下だとそう(いさ)める人もいなかったのだろう。


「……草が好きなお前に言われたくない」


「いや違いますからね!?」


そんな感じで、聖徳太子の耳と5歳児の舌をもつ憂炎陛下との話は続いた。

しかし2人きりの空間で相手の名を呼ぶ機会はさほどない。

城に戻るまでに私が陛下の名を口にしたのは2、3回だったと思う。




「────おい。起きろ」


青藍さんの低い声で、私は微睡(まどろ)みの中から現実へ引き戻された。


「ん……、もう後宮ですか?」


覇葉城の大門をくぐった時までは記憶があるのだが、そこからがまた長くて眠ってしまったらしい。

辺りは真っ暗で居場所がよく分からない。


「ここは清龍(せいりゅう)門だ。お前が邪魔で陛下が降りられない」


陛下が無言で衣の袖を引っ張る。その(すそ)が私のお尻の下にあった。


「あ、いつの間に。すみません憂炎陛下」


私は軽くお尻を上げてから陛下に言った。


「!?」


青藍さんの眉間に皺が寄り、その背後にいた従者がびくんと両肩を上げた。


「………おい」


「はい?」


青藍さんと見つめ合うと、背後から陛下の声がした。


「この中でだけだ。わたしが許可した」


これで難を逃れたが、あやうく青藍さんにまた雷を落とされるところだった。


覇葉国では国王の名を呼ぶのは大変無礼なことだったようだ。

呼ぶどころか書くことすら畏れ多く、朝廷の官吏たちは日ごろから「憂」と「炎」の文字を使わないようにしているらしい。


なぜ無礼かというと、名を呼ぶという行為は『相手を所有する』という意味合いも含んでいるから。

この感覚は日本には無いのでイマイチ掴みきれなかったのだが、例えば自分の子供やペットを呼ぶような感じかもしれない。


ともかく憂炎陛下の名を気軽に呼べるのは、今は亡き前王や王太后様だけなのだ。


自分の名を「死んだようなもの」と言った陛下の言葉は言い得て妙だった。



*   *   *



「こんにちはトウコさん。長旅お疲れさまでした」


視察から帰った翌日、紫雲さんが1人で桃華宮にやって来た。


「紫雲さんこんにちは。どうかされました?」


「いえ特に用はないですけど」


不在にしていた間、何か依頼が舞い込んできたのかと思えばそうでもなさそうだ。


状況を掴みきれない私に紫雲さんは「むしろ用があるのは貴女でしょう?」とでも言いたげな顔を向ける。


「トウコさん帰ってきたばかりでお疲れでしょう。ただ顔を見せに来ただけですよ」


そう言って紫雲さんは満面の笑みをこぼしながらこちらへ近づく。柑橘のような爽やかな香りが鼻をかすめた。衣に何か新しい香を焚き染めているようだ。

私はだんだん意味が分かってきた。


「……はあ」


この人の場合、本当の意味で"顔を見せに"きているのでタチが悪い。

自分の顔で私のHPが回復するとでも思っているのだろうか。……まったくその通りである。


久しぶりに見る推しの顔は五割増しに美しかった。

この美貌を見れば、春を待つ花の固い(つぼみ)も一足先にほころんでしまうだろう。


そんなことを考えていると遠くから鈴玉(リンユー)ちゃんの声がした。


桃娘娘(トウニャンニャン)、お庭にいらしてください!陛下がお越しです」


私は紫雲さんと共に駆け足で外へ出ると、陛下が6人ほどの宦官を従え立っていた。


鈴玉ちゃんの焦った声に何事かと思ったが、それは単に陛下の来訪が珍しいからだろう。


「陛下に拝謁(はいえつ)いたします」


陛下の来訪の際に皆が必ず口にする台詞を言いながら私は揖礼(ゆうれい)した。

陛下はいっしゅん私の背後に立つ人物に目をやり、手を後ろで組んで答えた。


「高州から薬草をいくつか株ごと貰ってきた。御薬院(ぎょやくいん)の庭に植えてきたが、ここにも少し分けてやろうと思って」


陛下が合図すると宦官たちが土と薬草の入った箱を持ってこちらに見せる。

見覚えのある植物が何種類か入っていた。


「わ!嬉しい!」


さっそく私は桃華宮の女官を呼び、薬草を持った宦官らを植え込みへ案内させる。


箱の中には蘇葉(そよう)もあったので、今後はこっそりとシソご飯が食べられるかもしれない。


「トウコはこれが気に入っていただろう」


そう言って陛下が指さしたのは丹参(たんじん)の花だ。


紫雲さんが一歩前へ出て箱を覗き込む。


「おや、綺麗な紫の……」


そう言ってふふんと勝ち誇ったような笑みをこちらに向けた。

……あ、分かってるんだ、自分の色だって!くっ!


悔しくて紫雲さんから目を逸らしている側で、宦官たちはせっせと庭に薬草を植えていく。

その様子を見つめながら陛下が言う。


「紫雲、実はトウコは草が好物なのだ」


その横顔はちょっと誇らしげだった。


「………」


今しがた雑草飯のことを考えていた私は、今度は何も言い返せなかった。




お読みいただきありがとうございました。


もし気に入っていただけましたら、ブクマいいね感想評価などいただけると大変ありがたいです。

今後もよろしくお願いいたします。

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