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任務:淑妃の恋路を邪魔せよ①

「紫雲さま、こんにちは。お待ちしておりましたわ」


後宮の西側にある茉莉花(まつりか)宮を訪れた私たちを出迎えてくれたのは、お人形のように可愛らしい姫君だった。


栗色の髪に銀色の(かんざし)をいくつも挿し、あどけなさの残る大きな目を濃いめのアイシャドウが彩っている。

身長は私の肩くらいだろうか。

薄いイエローとオレンジの衣に、胸下には水色のリボン。その上からは水色の上着を羽織り、透け感のあるオレンジのショールを合わせている。


彼女こそが四夫人のうちの1人、(イェン)淑妃(しゅくひ)である。

燕淑妃は覇葉国の西側に隣接する刈羽国(がいわこく)という国からやってきた。


「こんにちは燕淑妃様。お元気そうで何よりです」


紫雲さんは小柄な淑妃に目線を合わせ物腰柔らかな笑顔で答える。

東櫻宮では橘賢妃(ジーけんひ)こと尚子(しょうこ)様に完全拒否されていたのを思うと、こちらとはずいぶんと打ちとけているようだ。


私も紫雲さんに続いて屋敷に足を踏み入れると、華やかな調度品の数々に目を奪われる。

金色の鏡に香炉、淡い青緑色をした青磁器の壺なんかも置いてある。



部屋の最奥まで進むと、2人がけの長椅子がある。それは真ん中が小さな机で仕切られた豪華なものだ。


燕淑妃はそこへ上品に腰かけた。


「紫雲さま、どうぞお座りになって」


淑妃は腕を伸ばし、長椅子のもう片方を紫雲さんに勧めた。


「いえ、そこは……」


笑顔だった紫雲さんの表情がかげる。


そこは本来、夫である陛下が座る場所だ。


「私は妃に仕える身ですので、隣に座ることはできません」


腰をかがめ(うやうや)しく揖礼する紫雲さん。


すると燕淑妃は伸ばした手を下ろして、眉をひそめた。


「違うわ。あなたは本来仏に仕える身でしょう?人に対しては皆平等のはずよ」


……なるほど確かに。

可愛らしい上に賢いお嬢さんだと感心してしまう。


「……………」


「座って!早く!」


何も言い返せない紫雲さんにそう強いる彼女の姿は、妃というよりもワガママ姫そのものだ。

ここが西洋だったら彼女は頭に大きなリボンをつけているだろう。



「……その前に。こちら翻訳者のトウコ殿です」


紫雲さんが腰をかがめたまま、私の方を振り返ってこちらへ腕を差し伸ばす。


……あ、そういえば私も居たんだ。


この屋敷に来てからずっと空気のように感じていた自分の存在を思い出し、慌てて揖礼する。

胸の前で重ねた手をお腹のあたりまで下ろし、頭を下げつつちょこんと膝を曲げるのが女性がよくやる揖礼だそうだ。武侠モノみたいに顔の前で拳を掴んでお辞儀するのはあまり見ない。


「……あら。確かにはじめての顔ね」


淑妃には私の姿が目に入っていなかったらしい。

私が自分を空気のように感じていたのはそのせいだった。


そして一瞬、敵意のような鋭い視線をこちらへ向けられた。


「……翻訳なんて、うちの通訳で十分じゃない。少しは私も分かるし」


上目遣いで紫雲さんにそう言う淑妃。明らかにムッとしている。


どうしたものかと戸惑っていると、紫雲さんから私に目配せが飛ぶ。『早く話せ』と。


「トウコと申します。私はどちらの言語も全く同じ水準で理解できますので、普段伝わりづらい細かなニュアンスもお伝えできるかと」


淑妃は私の流暢(りゅうちょう)刈羽語(がいわご)に、いっしゅん驚きの表情を見せる。


「あらそうなの。それは便利ね」


そして、新機種のスマホでも見つけたような目を向けられた。


「さあ紫雲さま、早くお座りになって?新しく届いたお茶もあるのよ」


「………」


私は硬直し、紫雲さんは小さくため息をつく。



既にお分かりだとは思うが、燕淑妃の問題は「紫雲さんに夢中」なこと。

これはある意味、前回の尚子様よりやっかいだ。


青藍さんからは「淑妃はまだ幼いので、陛下との仲をとりもつのは後で良い。とにかく紫雲から引き離せ。手遅れにならぬうちに」というお達しだ。


燕淑妃は14歳。四夫人ではもっとも若い。

明確な決まりこそないが、覇葉国の妃は16くらいにならないと夜伽はさせないそうだ。



紫雲さんはしぶしぶ淑妃の隣に腰を下ろし、私は2人の会話の通訳を務めることになった。


「ねぇトウコ。今日の衣装、この前のとどっちが良いか紫雲さまに聞いて。似合うかじゃなくて、どっちが色っぽく見えるかしら?」


「かしこまりました」



「ねぇトウコ。この鏡を紫雲さまに贈りたいのだけど、お揃いってこの国ではどういう意味を持つのか聞いてよ」


「かしこまりました」


私はひたすら「Hey Siri」の要領で淑妃に呼ばれ続け、2人のイチャイチャを仲介した。


こうして通訳をする際、特に淑妃の言葉を紫雲さんへ伝える時は注意が必要だ。

私の発した言葉が何語に聞こえるかは、聞き手によって変わる。つまり紫雲さんの耳には覇葉語に聞こえるが、淑妃にとっては全て刈羽語に聞こえてしまう。

それに気づかれると淑妃に私の特殊な言語能力がバレてしまうのだ。

そうならないよう、通訳する時は極力小声で話した。


燕淑妃の生まれ育った刈羽国(がいわこく)は領土こそ小さいが、内陸湖から良質の塩がとれる。

覇葉国と同様に国が塩の専売を行っているが、国外への輸出もしているため今はかなり豊かな国になったという。

祖国からは珍しい調度品がしばしば送られてくるようで、主にそれらの品の話で盛り上がっていた。

イチャイチャと言えども彼女は14歳。体に触れるとか(しとね)に誘うとかではなく、たとえば学校の先生に恋する女子生徒という感じだった。



「ねえ紫雲さま、次はいつ来てくださるの?」


「次は……陛下がお越しになる際、ぜひご一緒したいですね」


「陛下が一緒じゃあ貴方と話せないじゃない!」



淑妃の周りには我々のほか、母国から同行してきたであろう侍女さん達も控えている。

世話役というか乳母なのだろうか、割と年配の女性もいる。

彼女たちは淑妃の行動の危うさに気づきつつも、強く言えない様子だ。


この、妃と宦官が仲むつまじい光景。

私もついこの前までなら「まあ別にいいんじゃない?」と思っていたところなのだが……


私は2人の側に控えながら、時おり紫雲さんの腰から垂れる黒い佩玉をチラチラと見てしまう。

彼は宦官とはいえ完全に"男"なのである。

陛下の妃である淑妃とこれ以上親密になるのはまずい。



*   *   *



「あそこへの訪問は本当に疲れます」


茉莉花宮からの帰り道、紫雲さんは拳で自分の肩をトントン叩き息を吐く。

彼にしては珍しく気だるげな表情を私は横から眺めていた。


「とか言いつつ結構楽しそうだったじゃないですか?紫雲さんも」


「まあ女性に好かれて悪い気はしませんけど……何せ相手は14の子供ですし」


つるりとしたアゴに手をやり首をかしげる紫雲さん。


「いや、そこはまず『陛下の妃ですし』でしょう」


大丈夫かこの人?と思いながら私の視線はまた彼の腰元へいってしまう。


青藍さんが「手遅れにならぬうちに」と急いでいた理由が何となく分かった。



*   *   *



桃華宮へ戻り、私は自室の机に向かって考えていた。


今回は尚子様の時とは正反対の任務。

2人の心を引き寄せるのではなく、離す────。


紫雲さんに向けた燕淑妃の可愛らしい顔が脳裏によみがえる。


幼い容姿を華やかな化粧や衣装で彩り、部屋は高価な調度品で埋め尽くされていた。

気品のある仕草や強い口調も、自分を大人っぽく見せるため。

紫雲さんに振り向いてもらうため精いっぱい背伸びをしていたのだろう。


あんな健気な恋心を邪魔するのは……正直気が引ける。


ワガママ姫とはいえ彼女は14歳。

まだ親が恋しいだろうし、友達とも遊びたいだろう。

こんな異国に1人嫁がされ、やっとできた心の()り所を奪うなんてかわいそうだ。

侍女さん達が誰も彼女を(とが)められないのもきっとこのせいだろう。


せめて他に夢中になれるものが出来たらいいんだけど……


私が同じ年の頃は、好きな男の子はいなかった。クラスの男子と言えば下品で迷惑な存在で、ちょうど"別のもの"にハマってたし。


ていうかこんな喪女かつ腐女子が人の恋路を邪魔できるのか?



「…………」


ふと、机の端に置かれた下賜品の紙と筆が目に入る。


「……やってみるか?ダメもとで」


【こぼれ話】


衣装問題。あまり詳しくないのでざっくりと。

覇葉国の衣装は全体としては中国の北宋の時代のイメージです。

四夫人はそれぞれ個性があり、燕淑妃は派手な唐の雰囲気もミックスされてます。


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