表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
143/146

宦官の粛清①

とある夏の昼下がり。

鳳凰宮の窓ぎわに立ち、外の景色を笑顔で眺めるレイカ。

背後に立つ黒翠がレイカの(ひたい)にそっと手をかざし、強い日差しからあるじの目を守っている────


そんなふたりの日常を、宮廷画家が手遊びに描いた姿絵がある。

ゆらめく燭台の火に照らされると、あの頃の記憶が鮮やかによみがえった。


レイカは絵を持ったまま、手を燭台へとかざす。

紙に火が点くと、またたく間に燃え広がった。

炎に飲み込まれたふたりの姿はぐにゃりと歪み、溶けて混ざりあい、 灰煙となって舞い上がっていく。



「王妃さま……よろしいでしょうか」


煙を見上げていたレイカの背後で、瑠璃がためらいがちに声をかけた。


「なに?」


「袁長官から荷物が届いております。その、例の罪人……の家宅捜索で……」


「無理に言い方を改めなくてもいいわ」


そう言うと、瑠璃は緊張した面持ちをゆるめて言いなおした。


「師範のご自宅に残されていた遺品です。例の呪詛人形以外で、事件に関係しそうなものは無く、これらを処分するかどうか判断を仰ぎたいとのこと」


黒翠は都に家族がいない。

他に頼るべく親族もなく、行くあてのない遺品が、かつて仕えていたレイカのもとへと流れてきたらしい。


「ご覧になるのが苦しければ、私の方で確認いたしますが」


「いいわ。見せてちょうだい」


卓の上に運ばれてきた品は、見慣れた法衣が数着に、使い込まれた筆記具と書物、数珠などの仏具。そして小ぶりな陶器の壺と、黒漆の小物入れであった。


「これだけ?」


国随一の権力者とは思えないほどの少なさにレイカは驚く。


「はい。御史台の話によれば、捜査の際、家はほぼ()()()()()状態だったそうです。しかも使用人にはあらかじめ暇を出していたようで……。近いうちに自分が捕らえられるのを見越していたのでしょう」


「すべて見越していたのに、証拠の人形は残したのね……」


レイカはため息をつく。

そこまで読めていたのなら、証拠を隠滅し、貴妃の話がすべて妄言だと言いくるめることもできただろう。

なぜそうしなかったのか。

多くの疑問は残るものの、今さらあの男の心中をはかることは、精神の無駄遣いだと諦めた。


「これは何かしら」


質素な品々の中で唯一、つややかに光る漆の入れ物に目がとまる。

それは長方型の蓋付きで、表面には花びらのような窪みが入っている。蓋の中央には赤と白で描かれた花の模様があり、どちらかといえば女子(おなご)が好みそうな品であった。


レイカは蓋をそっと開ける。


「……」


現れたのは、茶褐色の動物の毛でできた細長い塊であった。


「これは……むかし王妃さまが着けておられた尻尾(しっぽ)佩飾(はいしょく)では?」


レイカは神妙な面持ちで佩飾を手にとった。

なつかしい感触。それは間違いなく、かつて自分が黒翠へ贈った尻尾(しっぽ)だ。

信頼の証として渡したが、受けとった黒翠は迷惑この上ないという顔をしていた。


「なぜ師範がこれを? 」


「……さあ。知らないわ」


首をかしげる瑠璃の隣でレイカは冷たく吐き捨てる。

そして佩飾を箱に戻し蓋をした。


「たいしたものは無さそうだし、みな処分して」


「はい……」


瑠璃は悲しそうに返事をしたきり、その場で立ち尽くしている。


「どうしたの?」


「申し上げるか迷っていたのですが、じつは……師範は亡くなる前日の夜、とつぜん鳳凰宮(ここ)をたずねてきたのです」


「いったい何の用で?」


「いえ特には。ただ、『王妃さまの様子はどうか』と。夜も深かったので、すでにお休みになっていると伝えると『今後もよく仕えよ』とだけ言い残して帰ってゆかれました」


「そうだったの……」


「その夜だけではありません。師範は昔から、いつも王妃さまを気にかけておられて────」


「瑠璃」


言葉にだんだんと熱がこもる侍女を、レイカは低い声で呼んだ。


「冷静になりなさい。黒翠が本気でわたしを案じていたのなら、わたしの大切な人たちを奪ったりしない。あの男がわたしを常に注視していたのは、ただ監視して支配するためだったのよ」


彼の細かな気づかいを、心からのものだとかつてはレイカも信じていた。

だが本当はそうやってレイカを孤立させ、唯一の味方のふりをして依存させ、マインドコントロールしていたにすぎないのだ。


そんな過去の自分と、目の前で今なお黒翠を信じようとする瑠璃の姿が重なる。

気持ちは痛いほどわかるが、わかるからこそ、それに(とら)われ傷ついてほしくない。


「だけど黒翠は間違いなく、わたしが出会ったなかで最も賢い人間よ。あの知識量や洞察力の前では、どんな老臣たちも敵わなかった。それがどうしてあんな、復讐なんかに縛られて、身を滅ぼしてしまったのかしらね」


覇葉国では、黒翠の手腕のおかげで数々の改革が遂行され、国王の不在という窮地を忘れさせるほど発展した。

レイカにとっては極悪人でも、この国にとってはむしろ英雄だったのかもしれない。

そうして個人的な感情を棚に置けば、惜しい人材だとレイカも思う。


「あの……医学の観点から、ひとつお話ししても?」


そう切り出した瑠璃に、今度は腰をすえて向き合おうと、レイカは椅子にかけた。


「あの狂気的な行動の一因は、師範のお体にあったのではと思うのです」


「体に?」


告げられたのは、思いがけない内容だった。


「はい。師範は幼少期に宦官となりました。本来、男の身体は陽の気、女は陰の気で満ちております。しかし去勢された男は自ら陽を作り出せず、心身の均衡が崩れます。女も月の障りや妊娠によって心が不安定になりますが、宦官はその状態が生涯続くようなものです」


「ああ、そういうこと……」


小難しかった話がだんだんと腑に落ちてくる。

この場合の陰陽とは、男女それぞれのホルモンといったところだろうか。


「ですから宦官は、何かにひどく執着したり、物事を悲観したり、突然怒り狂ったり。自分を抑えられなくなることが度々(たびたび)あるそうです。そうした鬱憤(うっぷん)を、普通は酒や博打(ばくち)、暴力など、手近なもので発散させます」


古来より宦官の間には厳格な階級(カースト)が存在し、富や出世への執着も強い。嫉妬やいじめは女同士よりも酷いという噂もある。

人々が彼らを「異形の存在」「怪物」と揶揄(やゆ)するのは、単に身体的特徴だけではなく、その心の歪みも一因なのだろう。


「しかし師範には学があり、そういう安易なものには走れなかった。その代わりに自分を陥れた者たちへの遺恨に囚われ、暴走してしまったのでは、と」


行き場を失った憎悪は心の中で増幅し、有能さを(きば)へと変えた。

そうして一人の青年が、復讐に燃える悪鬼へと変貌してしまった────瑠璃はそう言いたいのだ。


「もし黒翠が男のままだったら、こんなことにはならなかった……かもしれないわね」


だとすれば彼自身も、自分の中の悪鬼を持て余していたのかもしれない。


レイカは視線を落とし、燭台の下で燃え残った絵の欠片に目をやる。


過去はやり直せない。

あの悲劇を二度と起こさせないために、自分には何ができるだろうか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ