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黄色い水仙②

「ねえ。あなたこれからも独りなの?気に入る縁談はなかった?」


酔いがまわってきたせいか、普段は聞きづらい話題が口をついて出た。


「気に入るもなにも、その手の話はすべて断るよう言ってあります」


ようやくこちらを向いた黒翠は、やや億劫そうな顔をしていた。


「でしょうね。だから最近はこっちへ話が来るのよ。わたしからあなたへ話を通してほしいって」


宦官とはいえ、今やこの国で一、二を争う権力者。黒翠へ娘を嫁がせたいという話は後を絶たない。

しかし本人にその気はないらしく、与えられた城下の豪邸も人に貸し、いまだ宮廷内の小さな家屋で年老いた使用人たちと暮らしているのだ。


「その……たとえばだけど、瑠璃はどう?」


思いがけず具体的な提案に、さすがの黒翠も驚いた様子を見せる。


「どうと言われましても……あなたの大事な義娘(むすめ)を宦官に嫁がせるのは、よろしくないと思いますが」


「むしろ宦官がいいのよ。あの()、子供は産みたくないし義両親の世話もしたくないって言うから」


幼い頃から男子にまじって勉学にはげんでいたという瑠璃は、政治にも興味があるようで、女の身で科挙を受けられないかと模索している。

普段から男装を好む変わり者でもあり、適齢期をすぎても独身のままだ。


「その気持ちはわかるし尊重したいけれど、この世界で女の独り身は、老後が心配よ。黒翠のことは慕っているから、あなたさえよければと思ったの」


黒翠は少し納得したのか、もう反論しなかった。


「夫婦のかたちって多種多様でしょう?師弟のようなあなたたちが、これからも支えあって生きてくれれば、わたしは嬉しい」


それに、ふたりが一緒になれば心配事が一度に片付き、まさに一石二鳥。

などと考えるのは浅はかすぎるだろうか。


「そこまでおっしゃるのなら、考えないこともないですが……。でも良いのですか?私があなたを義母上(ははうえ)と呼んでも」


「……あっ!」


レイカは思わず声を上げる。

一昨年、両親を亡くした瑠璃を養女にすると決めたのはレイカだった。

元から妹のように可愛がってはいたが、官職を得たいと望む瑠璃に、少しでも箔をつけてやりたかったのだ。


「やだあたしってば……どうして気づかなかったんだろう!?」


思わず若い頃の口調に戻り、それから大声で笑った。


「ごめん。それは……あははっ、耐えられそうにない!」


黒翠が息子になるなんて、今こうして想像しただけでも涙が出るほど可笑しいのに。

それに、青冥が聞いたら怒って卒倒しかねない。


「はあ……どちらにせよ、差し出がましい話だったわね。ごめんなさい。年をとると、やたらお節介になっていけないわ」


人生の一大事をまとめて片づけようという魂胆がいけなかったのだ。

反省するレイカに、黒翠は意外な言葉をこぼす。


「私は、あなたの生き方に憧れていました」


「……生き方?」


「はい。レイカさまはいつも自分に正直でいらっしゃった。これからは私も、心のままに生きていきたいのです」


“心のままに”

それは、もっと良い国を作ることなのか、それとも一線を退くということだろうか────。

長年そばにいたのに、彼の心はいつも(もや)の中だ。


「そうね。あなたはずっと、わたしのために生きてくれた。どんな形であれ、これからは幸せになって……っ」


立ち上がった拍子に世界が大きく揺れた。

足がすくんでしゃがみ込むと、転がった酒瓶が爪先にぶつかる。



「───ごめん、重いでしょう。……昔よりだいぶ」


まさかこの歳になって、立てなくなるほど呑んだあげく、宦官に抱えられて帰るとは思いもしなかった。

情けなさでまた赤面するレイカを、黒翠はまるで家具でも運ぶような調子で抱きかかえる。


「昔の重さを覚えていないので、何とも言えませんが。服を吐瀉物まみれにされるよりはだいぶましです」


「そういうことだけ、覚えてるんだから……っ!」


肩を小突き、レイカがまぶたを下ろすと、そばで笑った気配がした。

こういう時、変に照れたり優しくされないことがせめてもの救いだ。


「変わらないわね、あなたは。昔から……」


容貌だけではない。

そのまっすぐで美しい生き方に、レイカもずっと憧れていた。


「……ねえ黒翠」


「はい」


暗闇のなか、心地よい揺れを感じながらつぶやく。

長年心に引っかかっていた“あること”を、今なら聞けるかもしれない。


「……ううん。何でもない 」


しかし、その問いは喉元で止まってしまう。

口にしてしまえば、この瞬間、自分を包み込む優しい世界が壊れてしまう気がしたからだ。


「もうすぐ春ね────。黄色い水仙を見ると、毎年そう思う」


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