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母(おんな)の苦悩

「王妃さまっ!」


水色の官服を着た瑠璃(るり)が、あわてた様子で部屋に飛びこんできた。

レイカが椅子の上でゆっくりふり返ると、瑠璃は気まずそうな顔で声をひそめる。


「た、太子殿下が……また……」


「またなのね?」


そのひと言で状況を理解したレイカは、大きくため息をつき立ち上がる。

そして急ぎ足で輿(こし)に乗り、住まいの鳳凰宮から外廷へ向かった。


到着したのは訓練場。武官たちが己の武術を磨くための場所だ。

国中のあらゆる武器がそろい、馬を走らせる広場や弓場をはじめとする敷地は広大である。


その一角にできた人だかりに向かって、レイカは走る。

円になって集まる男たちの中心には、上裸で剣を交わしているふたりの男がいた。

ふたりとも背丈は同じくらいだが、体つきは異なる。

ひとりはひょろりとした細身で、もうひとりは厚い胸板に大きく盛り上がった二の腕が目をひく。


「───青冥(せいめい)っ!」


レイカが叫ぶと、筋骨たくましいほうの青年がこちらを向いた。


「何をやっているの?今日は朝から座学の日でしょう。はやく東宮に戻りなさい!」


青年は剣を下ろし、額ににじむ汗を手の甲でぬぐった。


「母上、これもまた学びなのです。いずれ国王となる俺が軟弱では、いざというとき国を守れない」


青年の目の前まで来ると、レイカはその顔を見上げる。

あごの横に見覚えのない傷が増えていた。


いやでも時の流れを実感する。

これがあの────4歳になっても乳を吸い、最近まで母にべったりだった我が息子か。

まだ15歳。元の世界でいえば中学生だが、父に似たのか体の成長は早かった。


「そうやって国を守るのは将軍の役目よ。お前がすべきなのは、そのような争いが起こらないようにすること」


レイカは側仕えから青冥の衣を奪うと、息子の腕に無理やり通す。


「勉学をおろそかにするのは、これが初めてではないわね。あなたのせいで大勢の者が迷惑しているのよ。何よりも、忙しい合間をぬって後宮に足を運んでいる黒翠の気持ちを考えなさい!」


国師として官僚たちとともに政をおこなう黒翠は、今は外廷での勤務が主である。

この国で最も多忙な男が今ごろ、太子の住まいである東宮で待ちぼうけを食らっていることだろう。


そんな母の心痛などつゆ知らず、青冥はただ不機嫌そうに顔をしかめた。


「……母上はずいぶんと、あの宦官を気に入っているようですね。息子である俺よりも!」


宮中でいまだささやかれる、レイカと黒翠の不埒(ふらち)な噂のことを匂わせているようだ。

しかし青冥が黒翠を嫌うのは、そのせいだけではない。


物心ついたときから太子として周囲からかしずかれ、甘やかされて育った青冥だが、黒翠だけは違った。

彼は青冥の機嫌をとることをしないし、間違った時はきちんと叱る。そして分からないことは理解するまで根気よく教え続けるのだ。


その物怖じしない態度は時に「王妃の寵愛をかさにきた横暴」と非難されるが、黒翠は昔から権力に屈しない人間だった。

だからこそ、レイカは教育係を頼んだと言うのに。


────青冥も、もう幼子(おさなご)ではない。一度きちんと話をしなくては……。


膝をつき合わせて語り合おうと、レイカは息子をともない休憩小屋へ入った。


「……青冥。母は若いころ、あの者にずいぶんと救われたの。噂されているようなことは一切ないと誓うけれど、かけがえのない人なのは確かよ。大事な友や娘を失ったわたしを支え、共に戦ってくれた。黒翠がいなければ、この後宮でわたしは生きていけなかったし、お前も生まれてなかっ……」


「やめてください!!」


はじめは大人しく聞いていた青冥だったが、最後の一言が余計だったのか、話をさえぎるように立ち上がった。


「俺に……宦官を父と仰げと言うのですか!?金のために自尊心を切り落とした、男でも女でもない怪物を!」


「────っ!」


まるで後頭部を殴られたような衝撃だった。

今この部屋には、青冥の側近たちがいる。さっきまで剣を交わしていた青年も含め、彼らはみな宦官だ。

共に育ち今も肩を並べる彼らの目の前で、青冥は侮辱の言葉を吐いたのだ。


激昂したレイカは勢いよく立ち上がり、息子の頬を叩く。


「人の上に立つ者は、けして他人を(さげす)んではいけない!当人ではどうしようもないことが要因なら尚更(なおさら)よ。何度言えばわかってくれるの!?」


めったに手を上げることはないが、今回だけは許せなかった。

平気で人を侮辱する人間になるくらいなら、毎日遊び呆けるほうがましだ。


「……」


青冥は叩かれた頬を手で押さえてうつむく。

生傷のたえない彼にとっては今の一発など、蚊に刺されたようなものだろう。

しかし臣下たちの前で母に叩かれたという事実が、息子の声を震わせた。


「母上は……俺を産んだとき、さぞがっかりなさったでしょう。本当は娘を、死んだ姉上をもう一度腕に抱きたかった。なのに産まれたのが俺で……」


「なっ……?」


いったい何を言っているのか。

レイカの理解が追いつかないうちに青冥は続ける。


「俺は失敗作だったんだ。だから愛されていない。宦官以下の存在なんです。俺はしょせん、母上を王妃にするための道具でしかないんだ!」


そう吐き捨てると、レイカに背を向けて足を踏み出す。

周囲でぼう然と立つ側近たちの間を肩で押しぬけ、部屋を出ていってしまった。


「……」


側近たちは困惑した顔でレイカへ揖礼(ゆうれい)をささげる。

「いきなさい」とレイカがつぶやくと、慌てて青冥のあとを追った。



「……ねえ瑠璃。あの子はあんな物言いをする子だった?急に咲羅の話なんか持ちだして……。何かあったのかしら」


後宮への帰路、屋敷に着くのも待たずにレイカは疑問を口にする。

瑠璃は少しためらいがちに、「あくまで噂ですが」と前置いて答えた。


「どうやら最近、守旧派の者たちと親交があるようです。城下の酒楼で密会していたという話も」


「酒楼?まだ子どもなのに……」


守旧派とは、かつて朝廷を支配していた()家を中心とする派閥で、レイカや黒翠の推進する改革に反対している。

キーパーソンである韋宰相が朝廷を去り、ほかの関係者も全て粛清されたと思われていたが、なお隠れた残党が潜んでいるらしい。


いまだ武力で近隣国を制圧しようとたくらむ彼らの思想は、戦いを好む青冥と相性がいいのかもしれない。

しかし、いつか謀反の(くわだ)てに巻き込まれやしないかと不安になる。


瑠璃も話しながら表情をいっそうくもらせた。


「近ごろ……何かいやな予感がするんです。陛下の病状が(かんば)しくないのも、少し気になりますし」


「そうね。陛下も……」


正憲の病状は以前から、悪化したり持ち直したりのくり返しであった。

簡単な政務をこなす日もあり、レイカがたずねれば枕元で相談にものってくれる。

しかし最近は、臣下との面会すらできていないらしい。


「今もおそばには貴妃さまが?」


「はい。そのようです」


かつては横暴の限りをつくしていた(しょう)貴妃だが、叔母である韋王妃が自害したあとはすっかり大人しくなった。

息子を太子から廃され、次の王妃の座もレイカに奪われた彼女からは、いずれ何らかの報復があると警戒していたのだが、あれ以来ほとんど姿を見ていない。

やはり後ろ楯であった韋家が排除され、権勢を失った影響だろう。

今は毎日のように清龍殿に通い、甲斐甲斐しく正憲の世話をしている。


「明日、見舞いの品を届けがてら、陛下の様子をみてきてくれる?私が直接いけば、貴妃(あのひと)が良い顔をしないから」


正憲はレイカをとくべつ可愛がってくれたが、やはり妻として愛されているのは貴妃であると、この十数年でレイカは思い知った。

自分がいくら功績をあげても、貴妃に勝つことはないだろうし、今さらそんなことで争うつもりもない。

他の女がそばにいて正憲が少しでも癒されるのなら、それで良い。



*   *   *



鳳凰宮に戻ったレイカは、ひとりで思い悩んでいた。


夫も息子も気がかりだが、何よりも優先すべきは国だ。

覇葉国と、そこに住む大勢の民たちを守らなければ。

だけど自分だけでは、どうしようもないのが悩ましい。

いずれ遠くない未来に消えてしまう自分では。


────母として、王妃として、どうしたらいいの……?


ふと、脳裏に黒翠の顔が浮かんだ。

これまで壁にぶつかったり打ちのめされたりするたびに、レイカを支え、ともに乗り越えてくれた相棒。


こんな時、彼なら何と言うだろうか?

一刻も早く助言が聞きたい。


以前のように気軽に会える仲ではなく、呼びつけるか会いに行かねば話せない男。

そういえば、今日は太子のために朝から後宮にきているはずだ。

夜なら仏殿にいるかもしれない。


さっそく身支度を整えようと、レイカは鏡台につく。

頭に(くし)を入れていると、こめかみの内側に一本、光る毛を見つけた。

抜いてみると───やはり白髪(しらが)である。


「……」


子をふたり産み30代も半ばをすぎた女が、ぼう然とこちらを見つめていた。

女ひとりの人生には十分すぎるほどの苦悩が積み重なった顔。

童顔のおかげか『若く見える』と言われることも多かったが、全てお世辞だったのかもしれない。


────どうして気づかなかったのだろう……。


「王妃さま、おでかけですか?お手伝いしましょう」


瑠璃の声にハッとして、レイカは櫛を置いた。


「……ううん。やっぱりやめた。青冥のことは、もう少し様子を見ましょう」

レイカもだいぶ大人になったので、一人称が「わたし」になったり口調も変わっています。

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