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断罪④

しずまりかえった場内に、女の震え声が響く。


「なんで……咲羅なの……?」


自白した王妃に対して、レイカには怒りの前に深い疑問があった。

咲羅はただの女子(おなご)で、母親の身分も低い。

殺したところで何の得もなければ、なにか王妃の怒りを買った覚えもなかった。


あの人形に名が書かれた12人の中から、なぜ我が娘だけが犠牲になったのか────。


「……」


悲痛な眼差しのレイカを、王妃はちらりと見てから、ふっと顔をそらす。


「────あくまで推測ですが、御父上の指示では?」


代わりに声を上げたのは黒翠だった。


「え……?」


「王妃さまに養子をむかえるよう迫るなど、近ごろの宰相は焦っておいででした。おそらくご自身の年齢をふまえ、引退前に少しでも韋家の権勢を磐石にし、“邪魔な芽”はつんでおきたかったのでしょう」


「貴様……なにを言い出す」


半ば放心状態だった宰相は、はっと我に返り反論した。


「レイカさま……いえ蘭才人は身分こそ低いですが陛下の寵愛が厚く、最近では纏足の件で功績を上げ、朝廷でも注目を集めていました」


これまでの後宮は、いわば韋家の独壇場であった。

言わずもがな王妃は韋宰相の娘で、最も寵愛を受ける蕭貴妃(しょうきひ)は、その姪。その他有力な妃も、すべて韋家と繋がりのある女で固められていた。

そのいっぽうで蘭氏の養女という、素性の知れない娘がいきなり頭角を現すのは、韋家にとって目障りだったことだろう。

そのうえレイカには政治的な才知もあるとなれば、王妃の座すら危うい。まさしく脅威だったに違いない。


「韋宰相は、蘭才人をこれ以上のし上がらせないために、娘の咲羅王女を」


「────関係ないわ。父上は……」


黒翠の話をさえぎったのは王妃だった。

王妃は大きくため息をつき、冷淡な口調で自供しはじめる。


「あの子を選んだのは……“魔がさした”とでも言うのかしら。あの日、はじめて扶桑宮をたずねたのだけど、驚いたわ。乳母は1人しかおらず、使用人も少ない。寵妃の屋敷とは思えないほど危機感がなかった。咲羅王女は間違いなく、この後宮で最も“狙いやすい”赤子だった」


そして王妃はゆっくりと、レイカのほうへ顔を向けた。


「……べつに、誰でもよかったのよ。私と同じ苦しみを与えられるのなら」


いっさい悪びれる様子のない顔は、まるで快楽殺人者だ。

底知れぬ恐怖が聴衆に広がる。



「────ふざけるなっ!!」



ガタンと椅子が倒れる音とともに、怒りに満ちたレイカの金切り声がこだまする。


我が子を殺された母にとって、その答えは到底許しがたい。

“誰でもよかった”

そんな理由で、生まれて間もない咲羅は殺されたというのか────。

自分に何か恨みがあるのなら、いくぶんかマシだっただろう。


「だったら今度はあんたを殺してやる!咲羅と同じ苦しみを───」


地を這うような声を吐きながら、レイカは王妃のもとへ速足(はやあし)で進む。

この怒りをしずめるには、王妃ひとり殺すくらいでは足りない。

その背後にいる父親も、侍女たちも、周囲にいる全ての人間を惨殺し、考えうる限りの絶望を味わわせたあとに、あの毒婦の首を絞めてやりたかった。


しかし、宦官らによってレイカは取り押さえられる。


「返して!!咲羅を返してよ!!」


「レイカ……っ」


身をよじらせながら叫ぶレイカのもとへ、正憲が駆け寄る。

背後から抱きすくめられると、レイカは嗚咽を漏らしながら泣きはじめた。


目の前で繰り広げられる惨劇に 「しょせんは女同士の(いさか)い」と甘く見ていた官僚たちにも戦慄が走った。


「陛下、王妃を……我が娘をお許しください!ほんのいっときの、気の迷いであったのです……。二度とこのようなことがないよう、厳しく言って────」


宰相は杖を放り出して正憲のもとへ駆け寄り、足下へすがる。

正憲はレイカを抱いたまま、冷たく言い放った。


「みっともない真似は辞めよ。王妃は幼い娘ではない。……もう、そなたを義父上(ちちうえ)と呼ぶこともないだろうが」


「陛下……」


宰相は力なく腕を下ろし、天をあおいだ。


「こんな、ことで……」


そこにはかつての猛将(もうしょう)の面影はなく、魂の抜けた、ただの老人であった。


「わしは……この国にすべてを捧げてきた。息子も娘も余すことなく献上し、ときに仲間さえ……。それがこんな……女のつまらぬ嫉妬のせいで、韋家は……終わるのか……」


「……少なくとも王妃さまにとっては『つまらぬ嫉妬』ではなかったのでしょう」


声のするほうへ宰相が顔を向けると、見下ろす黒翠と目が合った。


「私から見ても、あの方は王妃として優れた女性でした。蕭貴妃(しょうきひ)のように権勢をふりかざしたりせず、下々の者への対応も丁寧でした。表には出たがらず、常に冷静沈着で、夫を立てる良妻です」


わずかな同情をふくんだ、いくぶんか柔らかな口調で黒翠は王妃を称賛する。


「きっと『完璧な王妃』となるよう、幼い頃から厳しく育てられたのでしょう。そんな王妃さまにとって子がいないことは、『完璧』 の枠から外れ、御父上の期待を裏切る行為。どうしても許容しがたいことだったのです。それでも耐え、長年つもりに積もっていた感情が、ふとしたときに崩れてしまった────」


「……」


続けて黒翠は『なぜそんな、わかったようなことを言うのか』という宰相の心の声に答えた。


「……私もそのように育ちました。父は厳しい人でしたから」


(せい)(よう)……?」


宰相はか細い声で黒翠の父の名を呼び、ふたたび虚空を見つめた。


今にも命尽きそうな老人を、黒翠は眺める。

その冷たい視線は次第にその向こう────正憲の腕の中で涙を流すレイカへと向けられた。



*  *  *



王妃への審判が下された。


「位の剥奪と死刑」


執行は一週間後の予定であった。


死刑といっても、妃は無理やり命を奪われることはない。

毎夜、毒酒と首を吊るための絹布が届けられ、そのどちらかを選んで自ら命を絶つのだ。

拒否することもできるが、次の日にも同じものが届く。

独房の中で毎日死をうながされるうちに、女たちは自然と死を選ぶのだという。


王妃は独房へ身を移される前に、鳳凰宮の自室で自ら首を吊った。

あくまでも“王妃”として人生を終えたいという意志のあらわれであろうが、それは本当に彼女自身の意志だったのか、それとも父親の命か────。


「申し訳ありません。動機についてもっと精査する必要があったのに、早々に口を封じられてしまいました」


やはり王妃の犯行には少なからず韋宰相が関係していると黒翠はみているようで、レイカへの報告の際、そう悔しさをにじませていた。


その韋宰相の処分については、娘の罪の重さと彼自身の影響力が天秤にかけられ、朝廷は大いに揉めた。

かねてから韋家を支持している守旧派と、韋家の独裁に反対する革新派との論争はその後1年以上も続いたが、結局は宰相が自ら職を辞し、遠方へ隠居することとなる。



咲羅を殺害した女が王妃として手厚く弔われる様子を、レイカはとても直視できない。

喪中は仏殿にこもり、咲羅を弔いながら日々を過ごしていた。


「咲羅、守れなくてごめん。お別れ言うのも、遅くなっちゃったね……」


そのころ人間不信におちいっていたレイカにとって、仏教は救いだった 。

そんなレイカのために、黒翠は仏の道について分かりやすく説く 。


「咲羅王女のために、寺院を建立しましょう」


「咲羅のため……?」


「はい。仏教には『輪廻転生』という考えがあります。咲羅王女が生まれ変わり、レイカさまのもとへ帰ってくるように」


「帰ってくるの?……あの子が?」


「はい。姿形は変わるかもしれませんが、魂は必ず、しかるべき場所へ帰ります」


────黒翠がそう言うのだから、間違いないだろう。


そう信じて疑わないほど、レイカの心は傷つき疲弊していた。

仏教への傾倒はますます強くなり、一日の大半を閉ざされた部屋の中で、黒翠とふたりきりで過ごすようになる。


レイカと黒翠がただならぬ関係だという噂が立ちはじめたのは、この頃である。


結論を言えば、ふたりが出会い別れるまでの間に、男女の関係になったことは一度もない。

しかし、共に乗り越えたいくつもの悲しみや共有した心の痛みは、血縁以上に深い絆を生んだ。

レイカは黒翠を、世界でたったひとりの理解者だと信じていた。

その関係を『ただならぬ』と他人が評するのならば、きっとそうなのだろう。


「ナミちゃんは……あたしがいなくなって、泣いたかな」


久方ぶりに口にしたレイカの母の名を、黒翠は覚えていたようで


「帰りたいですか?元の世界へ」


心を引き裂くような眼差しでたずねた。


本音を言えば、この世界でのことを全て忘れ、悲しみを消し去りたい。

でも、そうしたら────

ひとりになってしまう人間がいるから。


「……ううん。ここにいるよ」


力なく笑うレイカを、黒翠は無言で抱きしめた。

窓の外では木々が春の息吹を宿していたが、レイカの身体は冬の匂いに包まれる。



その翌年、レイカは男の子を産んだ。

名は『青冥(せいめい)』────青い空という意味だ。

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