表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
124/146

つかの間の幸せ

「咲羅は目が大きくて、ほんとうに愛らしいな」


久しぶりに扶桑宮をおとずれた正憲は、腕の中で愛娘をあやしながら、顔をほころばせた。

つづいて「お前もそう思うだろう」と、黒翠へ向けて、咲羅のおくるみを少し剥がす。


黒翠はわずらわしそうに咲羅の顔をのぞきこんでから


「……そうですね。レイカさまによく似てきたと思います」


と、適当な調子で返した。


「たしかに母親似だ。父親に似なくてよかったなあ」


正憲は満足そうに笑いながら己の(いか)めしい顔を自虐するが、黒翠は無表情。


その横で「ふふふ」と笑い声をもらしたのは、彼の正妻の韋王妃(いおうひ)である。

ふたりの様子は一見、仲むつまじい夫婦そのものだった。


後宮で子が産まれると、こうして国王と王妃が慰労をかねて訪ねるのがしきたりだ。

赤子に対して深いトラウマをもつ王妃を、レイカは心配していたが、王妃が咲羅へ向けるまなざしは終始おだやかだった。


その理由をレイカは正憲の口から聞く。


「わたしの甥に息子が3人いるのだが、六つになる次男がなかなか賢い子でな。思いきって養子に迎えることにした」


「そう……だったんですね」


王妃の手前、いつもよりかしこまって返事をするレイカ。

そんなに幼い子を親元から離して大丈夫なのかとたずねると、乳母が一緒についてくるので心配ないのだという。

この世界の親子関係は、元の世界とは異なることを再認識する。


「賢いと言ってもまだ6歳よ。きっとやんちゃざかりで騒がしくなるわ」


王妃はほほえみながら、眩しそうに窓の外を見た。

我が子を迎えるのが待ち遠しいという表情で、そこにはかつて誕辰の宴で見せた憂欝さは微塵もない。

女にとって子どもは何にも代えがたい宝物で、人間性を丸ごと変えてしまうほどの存在なのだ。

すでに母となったレイカには、それが痛いほど理解できる。


「おや。眠ってしまったようだ」


いつのまにか、正憲の腕の中で咲羅が目を閉じている。

レイカがおくるみの中を覗くと、ちいさな鼻の穴が寝息に合わせて動いていた。

あまりの可愛らしさに、丸い頬をつついて正憲と笑い合うレイカ。

咲羅は人見知りせず、手のかからない子だった。


乳母が咲羅を受けとって部屋を出ると、主役を失った場は自然とお開きになる。

王妃が「そろそろ失礼するわ」と言って退出し、あとから黒翠も部屋を出た。


居間には正憲とレイカだけが残る。


「……陛下って、赤ちゃんの扱い慣れてるんだね」


こうしてふたりきりになるのは、思えば出産以来初めてであった。

赤子をあやすのがやけに上手いことに言及すると、正憲は冗談めかした調子で


「まあ、子は多いほうだからな」


と笑った。

そこらの男の何倍も妻がいるのだから、子沢山なのは当たり前である。


「じゃあ今度は……あたしを抱っこしてよ?」


レイカが少し甘い声でねだると、正憲は目を丸くした。


「どうした。母になったというのに……」


ふだんのレイカは、こんな露骨に甘えたりはしない。

急に子ども返りした妻に、正憲は困惑の表情を浮かべる。


「いいでしょ?あたしお父さんに抱っこされたことないの。咲羅が羨ましくなっちゃった」


レイカは正憲の前へ歩みより、両腕を伸ばす。


「……仕方ないな」


優しいため息とともに正憲は立ち上がる。

レイカの背を支えて横抱きにすると、そのまま奥の寝室へ移動した。


正憲が寝台へ腰を下ろすと、レイカは目の前の(えり)に顔をうずめ、白檀(びゃくだん)の香りを吸い込む。

そして思った。

自分が本当に欲しかったものは、これかもしれない。

どんな時もあたたかく自分を包み込んでくれる存在。

自分とこの男は夫婦として正しい形ではなく、かといって親子でもない。このいびつな関係はいつまで許されるだろうか。


そんなレイカの背を撫でながら正憲は言った。


「近ごろ、そなたには驚かされてばかりだ」


レイカが広めた厚底靴が巷で流行し、その影響で纏足(てんそく)の女は減ったという。

その功績を称えるように、正憲の手つきは優しかったが、表情は(けわ)しい。


「─────だがな、これ以上(まつりごと)に関わるのは反対だよ」


「……どうして?」


纏足の件をきっかけに、近ごろレイカが覇葉国の在り方を真剣に考えていることに、正憲は気づいているらしい。


「この国の人間は、おなごが政治を語るだけでいい顔をしない。そなたへの風当たりが、ますます強くなるからだ」


『いかなる時も女は男に従い、表に出てはならない』


儒教をもとにしたこの思想は、古くから覇葉国に根付いている。

女には科挙を受ける資格すらない。

唯一政治に関わるのが許されるのは、国王の母である太后もしくは王妃であるが、それも国王が機能しなくなった場合に限る。

ただの妃嬪、しかも才人であるレイカが国政に口を出すなど、もってのほかであった。

正憲はいつもレイカに、ひとりの女として平和に生きることを望むが、それは、後宮で当たり前の幸せをつかむ難しさを知っているゆえだろう。


しかしレイカとて、全て承知の上である。

自分にも、命を懸けて守りたいものがあるからだ。


「あたしは、いま自分ができることを精いっぱいやりたいだけなの。残された時間が少ないから」


自分が去ったあとも、咲羅たちが幸せに暮らせる国をつくりたい。

今さら自分の外聞など気にしている暇はないのだ。


「レイカ……」


この手の話をしてしまえば、正憲は反論できない。


「それに、あたしは聖人じゃないでしょう?こんな一般人でも何か役に立てるなら、すごく嬉しい」


照れたように笑うレイカの頬に、正憲は手を添え、太い親指で肌をなぞった。

真剣なまなざしでたずねる。


「それでレイカは……幸せなのか?」


レイカは目を細め、一点の曇りもなく宣言した。


「うん。あたし今、人生でいちばん幸せだよ」

【宣伝】

全6話の新作を投稿しました。

タイトルは【胡蝶の葬列~天足女官は後宮を翔る~】

明代中国をモデルにした中華後宮もので、いわゆる「お涙頂戴系」です。

本作の世界線とは異なり、纏足が当たり前となった後宮の女性たちの物語です。

そちらもよければ覗いていってください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ