表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
123/146

纏足と厚底靴

朝から晩まで咲羅へ乳をあたえ続けるレイカに、侍医は言った。


「母乳は血からできております。お産で消耗した母体にムチ打つようなことはおやめください」


高貴な女が乳母を雇うのは、単に楽をするためではなく、健康を保ち次の子をできやすくするためらしい。


ちょうど(ふた)月ほど前、正憲に古くからつかえる女官に孫が生まれ、出産を終えた婦人が宮中へ上がった。


「わたしもよく知っている女子(おなご)だ。子は3人目で、子育てにも慣れている」


正憲に紹介された婦人は30代半ばくらいで、全体的にふっくらと丸みのある、いかにも肝っ玉母ちゃんといった風貌だった。


慣れた手つきで咲羅を抱き上げ、笑顔であやしはじめる婦人。

咲羅が心地よさそうに目を細めるのを見て、レイカは乳母を雇うとを決めた。


*   *    *



子育てにおいて心強い仲間であり師を得たレイカは、こんな贅沢な母親はいないと感謝の毎日だった。


「ねえ。纏足(てんそく)って知ってる?」


咲羅が奥の部屋で乳母の乳を飲んでいる頃。

居間にいたレイカが話をふると、そばの執務机で黒翠が顔を上げる。何やら書物を読んでおり、忙しそうだ。


「……小耳に挟んだことはあります。女性の足を(しば)って小さくするとか」


「そう。正確には子どものうちに縛って、成長を止めるってやつね」


ただ縛ったくらいで成長は止まらない。足の指を折り、肉を腐らせて削っていくのだ。

この残酷な風習が、さいきん貴族の間で流行っているらしい。


「小さい足だと、何かあった時に逃げられないし健康にも悪いでしょう?それに、もし庶民に広まったりしたら働き手が減るから、何とかしてほしいって。陛下にも上奏(じょうそう)が届いてるみたい」


レイカがこの奇習に興味をもったのは、他でもない咲羅のためだ。

将来、可愛い娘の足を縛ることはしたくない。

このおかしな流行を何とか食い止める(すべ)はないかと、近ごろ頭を悩ませていた。


「男の薄汚い欲のために、かわいそうな女性たちですね。禁令を出すよう陛下に頼んでみてはいかがでしょう」


黒翠は女たちへの同情を口にしながらも、視線は終始手元の書物をなぞっている。

宦官の自分にとっては、女の足がどうなろうと知ったことではない、というのが本音なのだろう。

彼が熱心に読んでいるのは、また別の上奏である。

毎日大量に持ち込まれる上奏文は、あらかじめ臣下たちが吟味(ぎんみ)しふり分けをおこなう。

黒翠も最近、この役目をになう重役に加わった。


「そういう問題じゃないんだよ。『小さい足は可愛い』って流行らせてるのはむしろ女の人たちなの」


レイカは語気を強めながら、赤い絹布でできた小物を2つ、膝の上に置く。


「それは?」


黒翠はようやく上奏を置いてレイカの方を向いた。


「その小さい足で履く靴。たしかに可愛いよね」


赤地に桃の刺繍がほどこされた靴は、弓鞋(きゅうあい)と呼ばれる。

纏足によって指を内側に折り込んだ足は、甲が盛り上がり、爪先は細く尖るので、こういった奇妙な形の靴が生まれるのだ。

これを可愛らしく履くのが、高貴な女性たちのトレンドなのだという。


「あたしたちだって、オシャレのために肌を焼いたり入れ墨したり、耳に穴開けたりするでしょう?よく考えたら足を小さくするのも、それの延長なのかもね」


小さな靴を右手の指にひっかけて、裏側をのぞき込むレイカ。

靴底には蓮の花が刺繍されており、歩くたびに花の足跡が刻まれるようだ。

最初は理解できなかった事柄も、こうして視点を変えれば違う景色が見えてくる。


「……ふむ。その美意識はわかりかねますが、そのような背景があるのならば、禁令を出したところで抑えるのは難しいですね」


「そう、禁止するんじゃ意味ないの!だからさ……」


レイカは声を弾ませた。

そしておもむろに立ち上がって、スカートの(すそ)をたくし上げる。


「じゃーん!見て!」


レイカの思わぬ行動に黒翠は目をみはり、思わず席から立ち上がった。

ふたりの目線は今、ほぼ同じ高さになっている。


「そんなもので、歩けるのですか?」


「よゆーよゆー!纏足よりよっぽど楽だよ」


レイカ特注の厚底靴は、白地に青と金で花の刺繍がほどこされ、ビーズもあしらっている。

ちょっと誇らしげに裾をもちあげたまま、レイカは黒翠のもとへ走ってみせる。

木製の靴底が床でコトコトと音を立てた。


「うわっ……っ!」


執務机の横まで来たところで大きくバランスを崩し、前方へ身体が倒れる。

とっさに差し出された腕に抱き止められ、何とか転ばずにすんだ。


「ごめんごめん。久しぶりだし、やっぱり木でできてると重くて」


「まだお身体も回復していないのでしょう。気をつけてください」


黒翠の胸に置いた手のひらに、どくどくと鼓動を感じた。

さすがの彼も、目の前で転ぶ(あるじ)に肝を冷やしたのだろう。

レイカは黒翠から離れると、同じように早鐘を打つ自分の胸に触れた。


「でも分かったでしょう?厚底靴は、足が丈夫でないと履けないの。小さい足じゃ絶対無理。もしこっちの靴が流行れば、纏足はなくなると思わない?」


レイカは小椅子にかけて片足を上げてみせる。

厚底靴の側面には大きな牡丹が彫られていた。

底が高いほど凝った装飾が可能で、履きこなすにはより頑丈な足と体力を要する。


「なるほど。美を追求する女性の心理を逆手にとったのですね」


その大胆かつ斬新な発想に、黒翠は感嘆の声をもらした。

めずらしく褒められた気分になって、レイカは満足げにうなずく。


「これ、陛下に提案してもいいかな?」


黒翠は眉を寄せた。


「……陛下も女心には(うと)いでしょう。論じるよりも、まずは実践してみるのが良いかと」


その日から、レイカは厚底靴を履いて宮中を歩きまわった。

なにかと注目を集めがちな蘭才人のファッションは、多くの目をひく。

まずは流行に敏感な若い妃たちが真似しはじめ、その親族を通して城外にも伝わった。

その斬新すぎる靴は、とある場所で爆発的に流行した。

華やかさと個性を重んじる妓楼の女たちだ。

高い靴で堂々と舞う妓女たちの姿絵が出回ると、徐々に貴族や庶民にも親しまれるようになった。



*   *   *



「レイカさまは、政治に興味ありませんか?」


「……セイジ?」


「この国を豊かにすることです」


こう切り出されたのは、巷で厚底靴が広まりつつあった頃である。

唐突な問いに、レイカは困惑する。


「そりゃあ……皆が幸せになってほしいとは思うけど。でもあたしは聖人でもないし、ふつうにバカだし」


政治とは、まじめで頭が良い者たちが行うものであって、自分のような人間は関わるべきでない。

続くレイカの言葉を待たずに、黒翠は椅子から腰を上げた。

卓をはさんで向かい合うレイカに、端正な顔を近づける。


「では、海を見たことは?」


「う、海?……見たことあるけど。それが何?」


「私はありません。おそらく陛下も見たことがないでしょうし、この先一生目にすることはないでしょう」


河川が近く水の都ともいわれる王都だが、海は遠い。簡単に行けないのは当然である。

なおも話の筋が見えず、戸惑うレイカを置き去りにして黒翠は続けた。


「海水がどんな色なのか。魚はどう泳ぎ海藻はどう生えているのか。海底はどこまで深いのか。私たちは知りません」


改めて考えると不思議なことだ。

レイカにとって何でもない物事が、はるかに賢い彼らにとって未知の分野であるのが。


「こうして話すたびに思い知るのです。我が国の知識人が千人集まっても知りえない、途方もない量の知識と見聞を、あなたがお持ちだということを」


せまる黒い瞳には、好奇心が波立っている。


「でも……ただ知ってるだけで、あたしには何もできないよ」


レイカは自信なくこたえた。

黒翠が自分をかってくれるのは嬉しいが、それを生かすほどの立場も能力も無い。


「難しいことは必要ありません。ただ想像してみてほしいのです。大切な人が幸せになる方法を。咲羅王女には将来、どのような国で生きてほしいのか」


「咲羅に……?」


その言葉にレイカはハッとした。

いずれこの国にひとり残していく愛娘。

彼女を幸せにするためなら、どんな努力も惜しみたくない。


そして同時に頭をよぎったのは、かつて正憲と交わした約束であった。


『あたしはもうワガママ言わないし、もっと大人になる。だから陛下は、身分が高い人も低い人も、皆が幸せな国をつくって』


そう口にしたのは自分であったのに、結局そのあとも正憲に無理を言ってふり回した。

それでも変わらぬ愛情をくれる夫のために、何ができるだろうか。


「咲羅王女に纏足をさせたくないというレイカさまの想いは、結果的に多くの女性たちを救いました。これは立派な政治です」


黒翠は(さと)し、レイカを導いた。

政治とは、大切な人を想うこと────。


『できるわけない』

『やってみたい』


相反する感情が、よせては返しながら心を侵食していった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ