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うたかたの夢

この人の一部になりたい────。

正憲のやさしさに触れるたび、レイカはそう思っていた。


だから懐妊を知ったときに感じたのは、その穏やかであたたかな魂が、ようやく自分の中に宿ってくれたということだ。

妊娠を通じて自身がもっと優しい人間に、内側から日々作り変えられていくような、不思議な体験だった。



「────本当に、よろしいのですか?」


冬が去り清明節をむかえ、日中は庭で過ごすのも気持ちがよい季節となった。

柳の木の下で、銀の(はさみ)を手にした黒翠が(まど)いを含んだ声をかける。


「うん」


持ち出した椅子に腰かけるレイカは、厚手のショールを腹の上でにぎりしめた。


「では、はじめます」


背後からのびた黒翠の左手が、レイカの肩下で髪を一束(ひとたば)すくう。

腰まで伸びた髪の半分以上が黒くなっており、この国で過ごした日々の長さを物語っていた。

その黒と金の境目をはかりながら、黒翠は慎重に鋏を入れる。


ジャキ、と小気味よい音がレイカの鼓膜をゆらした。

土の上に落ちた髪は、傷みでずいぶんと黄ばんで見える。


早春の風を頬にうけレイカは目を閉じる。

────もうすぐ母になる。

今ここで麗華は死んで、蘭令華として新しく生まれ変わるのだ。

これは過去と決別し、覇葉国の後宮で生きるための、神聖な儀式である。


「……ねえ。あたしはいつか、元の世界に帰らなきゃいけないんだよね?」


「はい」


異世界から召喚された聖人は、自分を選んだ国王が譲位するさい、強制的に元の世界へ帰還する。

厳密にいえば聖人ではないレイカも、その慣例にならうはずだ。


位をゆずると言っても、国王が存命中に譲位する例は歴史的にも少ない。

つまりレイカが帰るのは、正憲が崩御した後と考えて良いだろう。


次にレイカが口を開く前に、黒翠はその問いに答えた。


「普通の男性であれば、あと2,30年はあるでしょうが……」


正憲は頑丈そうな外見に反して病弱であった。

それに国王という立場を考慮すれば、その身にいつ何が起こるかわからない。

現実的に残された時間は、一般男性の半分ほどだろうか。


「せめてこの子がハタチになるまで、ここにいたいなあ」


レイカはつぶやき、臨月の腹を撫でた。

かつて『いっそ正憲を殺せば帰れるのか』などと心によぎった自分は、もういない。


「でもさ、それがもし20年後だったとして、あたしはおばさんの姿で日本に帰るってこと?」


家族や知人は自分がレイカだと信じてくれるだろうか、という不安がよぎる。


「いえ。おそらく召喚された時の姿で、当時の世界へ戻ることになるかと」


黒翠が言うには、帰還のさいにレイカは再び17歳に戻り、平成の渋谷へ降り立つらしい。


「何でそれがわかるの?」


聖人の帰還を見てきた者でもいるのか、と不思議がるレイカ。

黒翠は『古来からの言い伝えなので、信憑(しんぴょう)性には欠けますが』と前置いたうえで、そのわけを明かした。


「何の手違いか、聖人として二度この国に召喚された人間がいたのです。ただ残念なことに、その聖人は過去に自分がこの国にいたことを一切覚えていなかった。つまり帰還するさいに、召喚に関する記憶はすべて消えてしまうようですね」


「そっかぁ……」


元の世界で何事もなく生きるには、その方が都合が良いのかもしれない。

異世界での出来事は、すべてが泡沫(うたかた)の夢のようなもの。

けれどこの世界で誰かを愛し、家族をつくった事実までが泡と消えるのは残酷だ。


「じゃあ黒翠は覚えててね。あたしのこと」


レイカはつとめて軽い調子で言う。

黒翠は手を止め答えた。


「私だけでなく、きっと色んな方が覚えていますよ」


「だけど、アンタしか知らないあたしがたくさんいるでしょう?」


「……」


何も答えずに、黒翠は木製の(くし)をレイカの頭ですべらせた。

その手つきはいっそうなめらかだ。


覇葉国では、ほとんどの人間が生涯髪を切らない。

髪は親からもらった肉体の一部であり、なかでも本人の特性で色や形が変わるので、特に神聖視される。


だからこそレイカは髪に鋏を入れるのを、他の誰でもなく黒翠に頼んだのだ。


「……あ、蹴ってる」


ボコボコとした感覚に、再び腹を撫でるレイカ。


「よかったですね。お元気そうで」


どうでもよさそうな声調で答えながら、黒翠は仕上げに集中する。

チョキチョキと、切っているのかいないのかわからない細かな音が続く。

彼の几帳面な性格はこういう時にも出現するようだ。


「触ってみる?」


「結構です」


「遠慮しなくていいよ」


「……なぜ私が遠慮していると?」


ようやく鋏の音が止まった。

その妙にいらついた声がおかしくて、レイカは肩と腹をゆらして笑う。

昼下がりの庭に、妊婦の明るい笑い声が響いた。



レイカが女の子を産んだのはそれから3週間後、春と夏の中間頃だった。


出産時には正憲も駆けつけ、15人目の我が子の誕生をたいそう喜んだ。

「よく頑張ったな」「よく無事でいてくれた」

そう何度も口にしてレイカの頭を撫でながら、涙を流した。


「……女の子だからさ、あたしが名前、つけてもいい?」


乱れた髪を気にする余裕もなく、そう息を切らしながらたずねるレイカ。

正憲はうなずき、赤子をレイカへ渡すようにと女官へ命じた。


生まれたばかりの娘を腕に抱いたレイカは「咲羅(さくら)」と愛おしげに呼んだ。


いつか帰る故郷と、二度と会えぬ友を想って。



【こぼれ話】

レイカが正憲を好きになったのは、単純に顔がタイプだったというのも理由の一つです。

年上すぎて最初はそういう目で見ることもできなかったのですが。

ジャニーズ系よりLDH系が好みなんです。ギャルなので←

黒翠のことを恋愛対象として意識してない理由もそこです。


ここまでお読みいただきありがとうございました。


もし気に入っていただけましたら、ブクマいいね感想評価★などいただけると大変ありがたいです。

今後もよろしくお願いいたします。

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