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最悪の結末

夜半、レイカが目を覚ましたのは、外からの聞きなれない音のせいだった。

それは禁軍を招集する鐘の音であった。

寝台で体を起こすと、壁の向こうから女官の慌ただしい声まで漏れてくる。


居間へ続く戸を開け、火事でもあったのかとたずねると、女官は歯切れの悪い口調で「いえあの、まだ、噂が流れてきただけなのですが……」とこぼした。


「離宮の方で暴漢が出たようです。沙羅才人が襲われ、亡くなったと……」


「────え?」


「レイカさま!」


強い声で名を呼ばれ玄関先に目を向けると、黒翠が息を切らせ立っていた。

まっすぐに歩み寄る黒翠に腕をひかれ、レイカは強制的に部屋へ戻る。


「ねえほんとなの?沙羅が死んだって」


扉がしまったとたん、黒翠へ迫るレイカ。


「はい」


「うそ……」


レイカの手から力が抜け、黒色の(すそ)を放した。


「落ち着いて聞いてください」


顔色を失うレイカの背を押しながら、黒翠は部屋の奥へと進んだ。


「確かに沙羅さまは亡くなりました。ですが本当は襲われたのではありません。自ら命を絶たれたのです」


────自殺……?


思いもしなかった答えに、レイカは黒翠の腕を押しのけ叫んだ。


「沙羅が……そんなことするはずない!赤ちゃんも生まれたばかりで────」


他人に聞かれてはならない発言であることを、気にする余裕はなかった。


黒翠はうろたえず、ただレイカをなだめるように言葉を放つ。


「その赤子を守るためです。赤子に変異……いえ、“異常”が見つかったので」


説明の中に、腑に落ちる言葉はひとつもなかった。

レイカは混乱の中で相手を睨みつける。


「異常って何が?それで何で沙羅が……」


深海のように黒い瞳が、まっすぐにレイカを見つめ返す。


「異常は産まれてすぐ判明していました。それは誰からも一目瞭然で……」


「うそ。赤ちゃんに変なところなんてなかった!」


信じられないと、言葉をさえぎるレイカ。

先日自分の目で見たばかりの赤子はどう見ても健やかで、五体満足であった。


「……レイカさまが気づかなかったのは当然です。あの時は眠っていたので」


黒翠は悲しげにまぶたを伏せる。


「赤子の目は、透明に近い青緑色だったのです」


「……目の、色……」


小さな寝台の中で眠る赤子の姿が、鮮明によみがえる。

レイカが沙羅の屋敷を出るまで、赤子はすやすやと眠り続けており、目は見られなかった。


「レイカさまもご存知でしょうが、あの色の瞳を持つのは、この後宮で1人しかおりません。ですから、あの子を陛下の子と偽るのは不可能だったのです」


翡翠色の瞳は我羅国内でも希少であった。希少ということは、遺伝する確率が低いということだ。

両親ともに瞳の色は青だったという羊自身も、まさか我が子にそれが受け継がれるとは思わなかっただろう。


沙羅の産んだ赤子は、金色の髪に白い肌、そして翡翠色の瞳────両親の美しいところだけを受け継いだ、まさに天使のような男児であったのだ。


「それでやむを得ず計画は中止し、赤子はこっそり外へ逃がすことにしたのです。逃がすために、赤子は今日死んだことにいたしました」


赤子の命を守るため新たに練られたのは、死亡を偽装し後宮を脱出させる計画。

それが密かに遂行されていたというわけだ。


しかし、ひとり何も知らされていなかったレイカの怒りと疑念は、これで晴れるはずもない。


「待ってよ。それで何で、沙羅が死ななきゃならない?」


(おおやけ)には、赤子はまだ沙羅の腹の中にいることになっていた。

しかし、腹の子と母親が必ずしも一緒に死ぬ必要はないはずだ。


黒翠は首を横にふる。


「たとえば流産したとします。流れたとて国王の子ですから、手厚く葬られるのがしきたり。精巧な偽物の遺体を用意する必要があります」


せめて普通の新生児であれば、遺体を手に入れるのは不可能でなかったという。

しかし予定日2ヶ月前の、まだ腹の中にいた“胎児”の遺体など、それこそ妊婦の腹を裂かぬ限り(すべ)はない。


「我々の考えた設定シナリオはこうです。今日離宮にて、沙羅妃が腹の中の赤子とともに惨殺された。下手人は、かねてから沙羅妃に横恋慕していた若い宦官で、いまは後宮を出て逃亡している」


「その……犯人って……」


翡翠色の目がレイカの頭をよぎる。

黒翠は静かにうなずいた。


「じっさいのところ、羊は赤子を抱えて宮城を脱出しました。子は私が懇意にしている寺へ預け、羊自身はすぐに王都から出るよう言ってあります」


「でもそんなの……すぐに捕まっちゃう」


レイカは反射的に窓を見る。

今も外で鳴り響く警鐘の音に心を乱された。


「羊と赤子が後宮を出たのは昨日です。宦官が1人消えたと気づかれるまで2、3日かかるはずですから、赤子を預ける時間は十分にあります。そして羊自身は捕まるのを承知で動いていますから」


沙羅が自害を決めた時点で、羊もすぐに後を追うつもりだったという。

しかし最後に赤子を抱えて逃げられるのは、城へ二度と戻らない覚悟の彼ひとりしかいない。


『何があっても赤子の命を守る』


それが沙羅の願いであり、彼女と羊、そして黒翠との間で交わされた約束であった。

今の羊少年は、最愛の女性のもとへ行くのを数日伸ばしているにすぎないのだ。


「そんな……」


幼い恋人たちがたどり着いた地獄のような結末に、レイカの体を悪寒が走る。


「わけ、わかんないよ……どうしてこんなことに」


こんな最悪の結末が待っていると知っていれば、レイカとて出産に賛成などしなかった。

まだ堕胎薬を飲む方がましだったのではないか。

命がけのロシアンルーレットのような計画を、いったいなぜ実行してしまったのか。


「黒翠は最初から、こうなるって予想してたの?」


「頭の隅にはその可能性を(とど)めておりましたし、すべて沙羅さまも承知の上でした。残念な形ではありますが、今回のことは我々の計画の範ちゅうでもあります」


『この計画とて穴はありますし』


かつてそう言っていた黒翠。

その“穴”がどれほど危険なものか。早いうちにそれを沙羅に明かし、考え直すよう何度も説得していたという。

それでもこの後宮で産むことを選んだのは、他でもない沙羅自身であった。


「成功する可能性の方が高かったのです。しかし運悪く、あの2人は“穴”に落ちてしまいました」


黒翠は淡々と答えると左腕を軽く上げ、(たもと)から半紙の束を取り出した。


「最期に託されたものです」


レイカはおそるおそる半紙を受け取り、慎重に開く。

そこには我羅語で文章が書かれていた。


『レイカへ


お別れを直接言えなくてごめんなさい

最後までわがままを通したわたしを、どうか許してちょうだい


あなたも不思議に思うでしょうね

どうしてこんな愚かな選択をしたのか

わたしはどうしても諦められなかったの

自分の手でわが子を抱き、愛する人とともに育てる

そんな普通の幸せを、生まれてから一度も手にしたことがなかったから

ほんのわずかでも望みがあるのなら、賭けてみたかった

それだけなの


大好きなレイカ

わたしと友になってくれてありがとう

おそろいの羽織りを、勇気をくれてありがとう

迷惑ばかりかけたのに、お詫びもできずにごめんなさい

いつかあなたが天界へ旅立つとき、道に迷わないよう迎えに行くわ

その時にたくさん謝らせて

だからきっと、待っていてね


サラエヴァ』


沙羅の、少し鼻にかかった甘い声が聞こえてくるようだった。


「じゃあ最後に会ったとき、沙羅はもう……」


視線を手紙に落としたままレイカは声を震わせる。


「覚悟を決めておられました」


切り裂かれるような痛みが胸にこみ上げた。

今生の別れとなってしまった、最後のつかの間の対面が思い起こされる。

時おり笑顔も見せていた沙羅は、自ら死のうとしているようには見えなかった。

けれどあの日、レイカの心には“何か”が引っ掛かっていたのも事実。


記憶をたどり、ようやくその違和感の正体に気づいてはっと息をのむ。


あのとき沙羅がまとっていたのは……


『これを着れば、沙羅もきっと強くなれるよ』


そう言ってレイカがプレゼントした“ヒョウ柄”だった。


『おそろいの羽織りを、勇気をくれてありがとう』


手紙の文字がにじんで、レイカは目頭をおさえる。


あの日、細い身体にヒョウ柄をまとって微笑んだ沙羅は、本当は────

恐れを隠し、自分を必死に奮い立たせていたに違いない。


「何で……気づかなかったの……」


あのとき気づいていたら

何か声をかけていたら

もう一度手紙を出していたら……


沙羅のたどる結末は変わっていただろうか。

無意味な思考が頭をめぐる。


「いま、沙羅はどうなってるの……」


惨殺を偽装したということは、遺体は辱めを受けたのだろう。

本人が了承したとて、レイカには到底受け入れられない。


「あくまでも赤子を狙った犯行……という設定ですので、お顔などは傷つけておりません」


その時はじめてレイカは、“暴漢”の正体が目の前の男であることに気づいた。


黒翠とて望んでやったわけではない。

そう言い聞かせて、わき上がる嫌悪感を飲み込む。

同時に、彼が言うのだから本当に、酷いことはされていないのだろうと安堵(あんど)した。


「あ……赤ちゃんの遺体はどうしたの……?さっき用意できないって……」


手紙を握りしめ、おそるおそるたずねるレイカ。


黒翠はまずレイカを寝台へ座らせ、その正面に立って口を開く。


「判別不能なほど切り刻んでしまうのならば、それほど難しくはありません。“人のかたち”をしている必要がないので……」


そして右手を胸元に入れ何かを取り出してみせる。

丁寧に洗ったであろう指先は、爪の周りだけが少し赤かった。

手のひらに乗った、見覚えのあるオレンジ色の細い革紐を目にしたとき、レイカの心はとうとう限界に達する。

目の前が真っ暗になり、そのまま意識を失った。


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