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翡翠の瞳

(よう)くんの目、キラキラで超きれいだね。宝石みたい」


レイカは椅子から身をのりだして、アゴの細い少年の顔を見つめる。

腰かけた沙羅の背後に立つその少年宦官は、青みがかった薄緑色の瞳を左右に揺らした。


「沙羅と同じ国の子なんだよね?」


「ええ。羊は我羅国からわたしと一緒に来たの」


沙羅は左手で口元を隠しながら、右手で茶杯をかたむけた。


レイカが沙羅の屋敷に招かれるのは、これで三度目だった。

ここで働く我羅人たちの瞳の色は、沙羅のような青、茶褐色やグレーなどさまざまある。

しかし羊少年のように、透明感のあるブルーグリーンは他にいない。美しい翡翠の瞳は、我羅国でも希少なようだ。


その珍しさゆえか、奴隷として我羅国から連れてこられた羊は、拱手したまま頬を赤らめレイカから視線をそらした。

くっきりとした目元が大人びて見えるが、まだ14歳の少年は、ところどころに幼さが出る。


「羊は覇葉語があまり話せないの。だけどレイカなら大丈夫よね」


レイカの言語能力を知る沙羅はくすくすと笑う。

その表情は、御花園で初めて見た時とは別人のようにリラックスしている。


「わたしもまだ発音が下手だけれど、以前より言葉がすらすらと出るようになったわ。レイカのアドバイスどおり、日記をつけているおかげかしら」


「ほんとに書いてくれてたんだ?見せて」


「いやよ」


部屋に少女たちの笑い声が響く。

あの宴以来、レイカと沙羅は後宮で唯一の友となったが、実は羊もあの宴の場にいたらしい。

大勢の前で虐げられる(あるじ)を前に、何もできない自分を歯がゆく思っていた。だから窮地を救ってくれたレイカたちに恩を感じているのだという。

特に、宦官でありながら貴妃と対峙した黒翠に、羊は憧れを抱いたらしい。

こうしてレイカと沙羅が交流を重ねる裏で、羊は黒翠を師兄(しけい)と慕い、教えを()いていた。


「庭仕事しかやりたがらなかったのに、近ごろは黒翠のように、わたしのそばについて歩くようになったの」


「へえ」


雑用係だった彼があの宴に呼ばれたのは、おそらく整った容貌のせいだろう。

あと2年もすれば、黒翠にもひけを取らないほどの美青年となるに違いない。

そんな彼に対し、沙羅は姉のように温かなまなざしをおくっている。


「じゃあさ、羊くんも沙羅の着替え手伝ったりするの?」


「ええ!?」


レイカの放った突拍子もない言葉に、沙羅は驚きの声を上げる。

手元では茶杯がガチャンと音を立てた。


「そそそ、そんなこと……は」


羊はますます顔を赤くしながら、あわてて反論する。

透けるような瞳が、右へ左へ泳ぐたびに光を受けて色を変えた。


珍しく沙羅が声をあらげる。


「そんなこと、させるわけないじゃない!」


「え。だって宦官なんでしょ?」


レイカの純粋な問いに、固まる沙羅と羊。

周囲の侍女たちも気まずそうに顔をふせてしまった。


「……レイカさま。彼は私と異なり、れっきとした男性です」


レイカの背後から、澄んだ声が響く。


「どういうこと?黒翠」


ふり返ったレイカへ一礼してから、黒翠は口を開いた。

こうして他者の目のある場では、黒翠は(あるじ)へありあまるほどの礼を示す。

そして、覇葉国の宦官には去勢を免除された者がいるということを、事務的に説明した。


「────というわけで、彼らは浄心する代わりに、宝具(パオジー)と呼ばれる器具を装着しています」


宝具とは、もともと聖人のために開発された器具である。

手術なしで男性機能を抑制させる便利さから、一部の宦官らにも適用を許されていた。


「男たちは宦官として後宮に入る際、去勢するか宝具を装着するか選ぶことができるのです」


「え……じゃあアンタは何で」


「私は罪人ですから。選択の余地はありません」


宦官となる男は自ら志願した者のほかに、異国からの奴隷や捕虜、そして宮刑を受けた者がいる。

罪人の子となってしまった黒翠への罰は宮中での労働ではなく、むしろその生殖機能を奪い血筋を絶つことにあるのだ。


そのような不遇を、黒翠は相変わらず他人事のように語った。


「とはいえ未だに後宮では、去勢した者が大半を占めていますから。古参の中には、羊らのことを『宝具』や『偽物』などと揶揄(やゆ)する者もいますし」


宝具に繋がる黒い佩玉を見つけると、ひっぱってからかう(やから)までいるのだそう。


去勢は、宮廷に心身を捧げる男の覚悟の現れである。

それに彼らを束ねる重役たちは、みな宝具の導入前に宦官となった。どうしても同胞の者を重用しがちだ。

それゆえ「宝具は男を守り出世を捨てる」というのが通説となった。


「ふうん。オトコゴコロもなかなか複雑だね」


いずれにせよ、幼い少年が去勢されるのを痛ましく思っていたレイカは、救済措置があることにほっとした。

羊のように美しく聡明な男子ならば、そのうち誰かと所帯をもつこともあるだろう。


「でもその宝具ってさ、自分で外そうと思えば外せるんでしょ?女からしたら何ていうか……あんまり信用できなくない?」


ガールズトークよろしく沙羅に同意を求めたが、さっきから口をぱくぱくさせるだけで答えは返ってこなかった。


「宝具の抑制作用は物理的なものではなく、むしろ精神的な面が大きいのかと」


「……?」


また小難しい言い方をする黒翠を見るレイカ。


「公衆の面前で”そんなもの”を装着している限り、どれほどの美女を目の前にしたとて、どうこうする気は起きないでしょう。……あくまでも想像ですが」


レイカは羊の腰元から垂れ下がる黒の佩玉へ視線を移した。

この黒い紐の先で、彼らのメンツは常にへし折られているのだ。

佩玉をつけている限り、それは誰からも一目瞭然で、それに対する羞恥心こそが黒翠の言う「精神的抑制」らしい。


「さすがにトイレのときは外すんだよね?てか、どんな仕組みなの?」


未知の存在に興味がわいたレイカは、佩玉を指さしながら質問をくり出す。

標的となった羊は「それは……ええと」としどろもどろになった。


「痛くないの?素材は何でできてるの?」


この質問攻めが、思春期の少年には拷問でしかないことに、レイカは気づかない。


「レイカさま」


肩をぽんと叩かれようやく言葉を切る。


「そろそろ席を外してもよろしいでしょうか。今日は羊へ手習いの指導をしたく存じます」


どうやら羊へ助け舟を出したらしい黒翠。

すこし不満げな主から許可を得ると、静かに扉へ向かう。

羊も女たちへ頭を下げながら、足早にその場を離れた。

黒くまっすぐな背中を追いかける、水色の細い背中を、レイカは不思議な気持ちで見送った。


他人と群れることを嫌う黒翠が、この少年のことは存外気に入っているらしい。

宮中でのふるまい方や日常生活まで、普段から何かと面倒を見ているようだ。


「ねえ、さっきの話だけれど……。レイカはひょっとして、黒翠に着替えをさせているの?」


ようやく女同士になったところで、沙羅は声をひそめながら言った。

レイカはあっけらかんとこたえる。


「いつもじゃないけど、手が足りない時はね。もちろん他の女官と一緒にだけど」


レイカの身の回りの世話は、黒翠の仕事ではない。

しかし几帳面な性格ゆえか、帯やリボンを左右均等に結ぶことに関しては、彼の右に出るものはいない。

レイカがそう説明すると、沙羅はまた顔を真っ赤にして両手で卓を叩いた。


「そんなのおかしいわ!夫以外の男に体を見せたり……触らせるなんて!」


「だって宦官だし……」


基本的に宦官は男とみなされておらず、目の前で湯浴みや着替えをする妃も少なくない。


「でも、心は男性なのでしょう?それに彼って若いし、とても格好いいじゃない。レイカは恥ずかしくならないの?」


「カッコいい……かぁ」


たしかに黒翠の、他人に媚びず己を貫くところをレイカはカッコいいと思う。

けれどそれが、恥ずかしいという感情には繋がらなかった。

出会った頃にはあったはずの羞恥心がなくなったのは、彼の肉体的欠如を知ったことよりもむしろ、精神的な距離が縮まったせいだろう。

もはやレイカにとって、黒翠は兄であり姉のような存在なのだ。


その証として渡したおそろいのしっぽを、彼は一度も着けてくれないが。


「あ、そうだ。沙羅に渡したいものがあったの」


そこでようやく今日の目的を思い出したレイカは、扶桑宮の女官に合図する。

差し出したのは、誕生祝いに街であつらえてもらった黄褐色の羽織物だった。


「これは……変わった模様ね」


「ヒョウ柄。これを着れば、沙羅もきっと強くなれるよ」


とまどいの表情を浮かべながらも、レイカにうながされた沙羅は袖を通す。

肩にかかる黄金色の髪を、レイカはふわりと持ち上げてやった。


「どうかしら……?」


「めっちゃ似合う!超かわいい!」


レイカは飛び上がり声をはずませた。

いつもは淡い色を身にまとう沙羅だが、ヒョウ柄を身にまとったとたん少女の面影が消え、立ち姿はまるでハリウッド女優のように輝いている。


「やっぱり金髪だと映えるよねぇ。いいなぁ」


頭にのった黒髪のウィッグをつまみながら、レイカは羨ましそうにこぼす。


「……そんなことを言うのは、レイカだけよ」


沙羅は鏡をのぞき込むと、ため息まじりに言った。


「わたしは髪も肌も、皆と違うから。すぐに目をつけられるし、どれだけこの国になじもうとしても、ずっとよそ者なの」


「あたしも同じだよ。よそ者同士、仲よくしよう」


レイカはおそろいのヒョウ柄を羽織り、鏡の中で沙羅にほほえみかけた。


沙羅はいっしゅん目を丸くし、そして細める。


「何だか姉妹みたいね、わたしたち」


その言葉を聞いたレイカは、思わず沙羅の肩を抱き寄せる。

ウェーブのかかった髪が、首をやさしくくすぐった。


「……そうだね」


家族とは、血の繋がりではないのだ。

自分がこの世界に来たのはきっと、それに気づくためだとレイカは思った。

暗闇にひとすじの光がさすように、これから自分が歩むべき道が頭の中で明確になった。

こんなふうに後宮の片隅で、寵愛や権力とは無縁に生きていく。

沙羅たち“仮初めの家族”とともに────。



のちに国の最高権力を手にし、蘭王と恐れられる蘭令華は、この時たしかにそう思っていたのだ。



【こぼれ話】

宦官は切断された男性器を「パオ」と呼び、専用の壺に入れて生涯大事に保管していました。

宝具という名はそこに由来しています。

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