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誰がための歌

「これは、いったい何でしょうか?」


「……街で買ったお土産」


2人は碁盤(ごばん)をはさんで向かい合っている。

レイカはひたすら盤面を凝視しているが、黒翠の視線はその横に置かれた茶褐色の細長い毛玉にあった。

ようやく手をのばしたレイカは、盤上に敷きつめられた四角形のうちの、一つの角に白石を置く。


「これを……私にどうしろと?」


レイカの指が碁盤から離れてすぐ、黒翠は黒石をすべらせた。


「しっぽだから。腰につけるの」


佩飾(はいしょく)(腰飾り)でしたか。これが」


黒翠は次の石をつまもうとした右手の向きを変え、毛の塊をつかんだ。


「まさかこっちの世界にも売ってるとは思わなかったな。2個買ったから、1個あげる」


そのキツネかタヌキのようなしっぽは、異国の狩猟民族の武器や民芸品を売っている店でたまたま見つけたものだった。


「それは、どうも……」


嬉しそうなレイカに対し、お世辞という概念を持たない黒翠は、まがまがしい視線をしっぽにおくる。

その表情は、うっかり爆弾でも手にしてしまったかのようだった。


「それであのね。今まで……わがまま言ってごめん」


レイカは碁笥(ごけ)に手を突っ込み、中の石をかき回しながら軽く頭を下げた。

教わったばかりの囲碁は、想像よりは易しかった。もちろんオセロとは異なるが仕組みはどこか似ている。


「あたし、あんまり人に甘えたことなくて。子どものころから、好きな食べ物作ってもらった記憶とかもないのね。だから初めてあれこれ世話やいてもらえて嬉しかったのと……何ていうかな。今はみんな優しいけど、そのうち離れていっちゃうのかなって不安もあって。だから試すために、あんなジコチューな態度してたの。迷惑かけてごめんね」


「……何か……あったのですか?」


黒翠は手にしていたしっぽを置き、レイカをまっすぐに見すえる。

声色には、すっかり人が変わってしまった(あるじ)への動揺がにじんでいた。


「聞いちゃった。黒翠の、家族のこと」


しばしの沈黙が流れたあと、ため息とともに「そんなことでしたか」と黒翠はこぼした。

 

「お父さんは今どこにいるの?」


「父と兄は流刑地にいます。当時太子だった陛下のはからいで、私と妹だけは流刑をまぬがれ、宮廷に仕えることになりました」


みずからの辛い境遇を、まるで業務報告のような口ぶりで話す黒翠。


「じゃあ妹も宮中に?」


「宮中と言えば宮中ですが……。教坊司(きょうぼうし)で踊り子に従事しております」


教坊司とはいわば宮廷直属の芸能事務所である。

レイカにとって歌手やダンサーは憧れの職業であったが、この世界では必ずしもそうではなく、教坊司へ送られるのは主に罪人の子女たちだ。


「でも……家族と離れてカンガンにされるなんて。まだ家族について行ったほうがマシだったんじゃない?」


素朴な疑問をぶつけると、黒翠の長いまつ毛が目元に影を落とした。


「流刑地の悪辣(あくらつ)な環境は、女や子どもに耐えられるものではありません。じっさい母は配流中に病にかかり、満足な治療も受けられずに死にました」


涼しい顔の裏に隠された、想像を超える過酷な状況に、レイカは言葉を失う。


「ですから今の私は陛下へ恩を返し、妹を守るために生きています。それ以外のことには関心がありません」


教坊司の女らを待ち受けているのは、なにも歌や踊りなど華やかな仕事だけではない。

黒翠は妹が不遇に遭わないよう、給金の一部を賄賂(わいろ)として毎月教坊司へ送っているのだと言う。


「そっか。だからアンタって、そんなふうなんだね」


性を失おうが、出家させられようが、ワガママな女の世話を押し付けられようが、泣き言ひとつ言わない。

それは彼の人生軸が、自分以外にあるからだ。


「……なぜ、そんな顔をするのですか?」


レイカの目前で、大きくまばたきする黒翠。


「え?」


「たしかに私の境遇は悲惨です。しかし、レイカさまもなかなかのものだと思いますが。突然見知らぬ国へ連れてこられたのですから」


「確かにそうだけど。べつに……悲しい気持ちに優劣なんかないよ」


レイカの沈痛な面持ちを、黒翠はただ不思議そうに観察する。

その様子は、人の心がわからない人形さながらだった。


「……それにね、あたしにもいたんだ。妹か弟」


そう言ってレイカは膝の上で(こぶし)をにぎった。

そして今しがた黒翠が打ち明けたように、自らの身の上を話しはじめた。


「────でね、高2の春休みに入る前、修了式の日の朝に、ナミちゃんが『カレシと結婚したい』って言い出して。……ナミちゃんのカレは別に嫌いじゃないし、お父さんができるのは嬉しかった。だけど」


奔放な母親とのいびつな親子関係は、つい先日正憲にも語ったばかりだ。


「……ナミちゃん、お腹に赤ちゃんがいるんだって」


しかしここからは、正憲には話せなかったこと。

それどころか、生涯誰にも明かすつもりのなかったことまでもが、口からこぼれてくる。


「だから気づいたの。あたしに家族ができるんじゃなくて、ナミちゃんに新しい家族ができただけなんだって。たとえこの先4人で暮らすことになっても、あたしだけ本物の家族じゃない。本当にひとりぼっちになっちゃったんだなって思って。それで────」


いつもの些細な言い争いだと、今思えばそれだけだったかもしれない。


『────勝手にすれば?あたし卒業したら家出るから』

『ちょっと待ちなさいよ、高校出たら専門行くって言ってたじゃない!お金はどうするの』

『……専門やめる。働くからいい』


しかし結果的に、それが母親との最後の会話になってしまった。


「だからその日は昼で学校が終わっても、家に帰りたくなくて。それで渋谷で時間つぶしてたの。渋谷って、王都の街みたいに人がたくさんいて、見た目もあたしみたいなのばっかりなのね」


目をとじると、レイカの心は覇葉国を飛び出し、あの雑踏の中へ帰っていく。

当時そこは日本で一番エネルギッシュな街だった。

流行のほとんどがそこで生み出され、またたく間に消費される。

けれど集まる人々の顔はどこか寂しげだった。

レイカの目には彼女らが、ひとつの巨大な流れ(ムーブメント)に身をゆだねることで、必死に自分を守っているように見えた。


「そこで歌を聴きながらぼーっと座ってると、あたしっていう人間が消えて街の一部になっていくみたいで、それがなぜか心地よくて。その時に、こっちの世界に来ちゃったの」


レイカの中から渋谷の喧噪(けんそう)は消え、静かな部屋でまぶたを上げる。


「今思えば妹か弟の顔、見てみたかったなあ……なんてね」


視線を碁盤に落とせば、いつの間にかレイカの白石は三つの黒石を囲んでいた。

きれいに囲われた黒石をレイカは一つずつつまみ上げ、手中におさめていく。

初心者のレイカが退屈しないよう、黒翠は時々こうやって手を抜いているのだ。


「どんな歌を……聴いていたのですか。そのときは」


黒翠が口にしたのは、意外な質問だった。


レイカの心臓がわずかに跳ねる。

はるか遠くにいたはずの人間が、実は目の前にいて、とつぜん心の中を覗かれた気分だった。


「えっとね……」


レイカは迷った。

たとえば「好きな曲は?」と聞かれたときや、カラオケに行ったときなんかには、その歌を絶対に選ばない。

その歌がレイカにとって、本当に大事なものだからだ。


「こんな感じの────……」


けれどこの時は自然と、その歌を口ずさんでいた。

そこに歌われているのは「孤独」や「絶望」ばかりで、おおよそ流行るとは思えなかったが、当時多くの少女の心を掴んだ。

かつてのレイカも膝を抱えながら、その言葉のひとつひとつにすがりつくように聴いていた。


しばらくして、カン、と小さな音が響いて、レイカは歌うのをやめる。


「どうしたの?」


「いえ……」


黒翠は椅子に座ったまま背を丸め、床に落とした黒石を拾い上げる。


「なんだか自分のことを……言われている気がして」


曲げた指を唇に添え、戸惑いの表情を見せる黒翠。

レイカの頭の中で、この歌をはじめて耳にした時の自分が重なった。


“この中に、あたしがいる”


そう気づいた瞬間から、その歌はレイカの人生に欠かせないものになったのだ。


あえてそのことは口にせず、レイカは静かに白石を置く。

盤上から視線を上げると、視線が交わった。

深い色で揺れる瞳の奥に、自分と同じ波が立っているのが見えた。



*   *   *



「ところでこの佩飾は、何かのまじないでしょうか?」


囲碁を終え席を立つ黒翠。

あいかわらず怪訝(けげん)な顔で、手にした茶色のしっぽをまた見つめている。


「んーと、仲間の証かな。あの歌に共感してくれたし」


「仲間……」


「仲間っていうかチーム?みたいな」


レイカは照れ隠しで笑った。


「誰かと徒党を組んだ覚えはありませんが……」


無表情でこたえる黒翠は、そう言ってしっぽをまっすぐにレイカへつき返した。


「そもそも僧侶は殺生を禁じられておりますから、毛皮を身につけることはできないのです」


「ええ!?それ早く言ってよ。……じゃあ沙羅に────」


お揃いでつけるつもりだったレイカは、残念そうに手を伸ばす。

しかししっぽはひょいと飛び上がり、黒翠の背後へ隠れてしまった。


「しかし失われた命を無駄にするのもまた殺生ですから、これはひとまず持ち帰ることにします」


「……はあ?」


ひとりで文句を言ってひとりで完結させた黒翠は、ぽかんとするレイカを残し、さっさと扉から出ていく。

数歩廊下を歩いたところで立ち止まり、ふり返った。

そしてしっぽを持ったまま、こちらへ深々と揖礼(ゆうれい)をささげる。


────何がしたいの?やっぱり変なヤツ……。


一瞬でも心が通じあった気がしたのは、思い過ごしだったのかとがっかりするレイカ。


そんなふうに、蘭令華17歳最後の夜は更けていった。


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