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薔薇のクッキー事件④

「貴妃さまは碗を開けた形跡がありませんし、茶匙も汚れていません。つまり、薔薇のジャムを口にしていないばかりか、その存在すら知らなかったようですね」


黒翠はクッキーをつまみ上げ、もう一度沙羅妃の方を向く。


「この菓子自体に、薔薇は入っていますか?」


「……いいえ。薔薇を使ったのはジャムだけ」


沙羅妃が首を左右にふると、場内にどよめきが走る。

レイカにもようやくこの事件の全貌が見えてきた。


「では改めて、貴妃さまにおたずねします。どうして薔薇のジャムの乗っていない“ただの菓子”を、薔薇の菓子だとお思いになったのですか?」


「……」


皆の視線を一身に集める蕭貴妃(しょうきひ)は、下を向いたまま唇を噛んだ。

隣で糸月(しげつ)は青い顔をして、瞳を左右に動かしている。  


さっきまで大声でわめき散らしていたというのに、窮地に立たされた途端そろって口をつぐむ。

そんな2人にレイカはイライラが頂点に達した。


「そんなの決まってんじゃん!貴妃はこの子が薔薇のクッキーを持ってくるって、あらかじめ知ってたからだよ。自分がそう仕向けたから。貴妃も侍女も嘘ついてたんだ!」


とうとう大声を張り上げてしまったレイカに、場はしんと静まる。

レイカの目前で、賢妃が目を丸くして言った。


「あらあなた、声が出ないのでは?」


「あ……」


レイカは慌てて手を口に当てる。


向こう側では黒翠がため息をついた。

しかし彼はレイカに応戦するように、貴妃に追い打ちをかける。


「あの場で貴女(あなた)が黙ってさえいれば計画通り、沙羅才人は“とんでもない失態”を犯していました。しかし貴女(あなた)はこの菓子を目にしたとたん、喜び勇んで彼女を断罪しようとした。それが運の尽きでしたね」


自分を嘲笑した相手を負かそうとする表情は、晴れやかでさえある。


貴妃と顔を見合わせた侍女の糸月が、その場へ(ひざまず)いて頭を垂れた。


「私が……私が勝手に、沙羅才人へ嘘を教えました!娘娘は何も知らないのです」


そう必死に弁明するが、信じる者はいない。


はじめに薔薇に気づき声を上げたのが貴妃である以上、侍女の単独犯であるはずがないのだ。

まさに万事休す。


「わ、わたしは……確かに薔薇の香りを感じたわ!きっとこの碗の中の香りが菓子に移ったのよ!それで勘違いしただけ────」


侍女が1人で罪を被ったというのに、まだ見苦しい言い訳を続ける(あるじ)


「────もう、いいわ」


主賓席から低い声が響く。

長く口を閉ざしていた王妃に、皆の視線がそそがれる。


「沙羅才人が私のために、心を尽くしてくれたことがよくわかった。たとえ何か行き違いがあったとしても、そのような子を責めることはできない」


王妃の声は優しかったが、表情には疲れが見てとれた。

この状況にうんざりしている様子の王妃は、沙羅妃に立つよう命じる。


「沙羅才人。心のこもった品をありがとう。菓子を食すことはできないけれど、気持ちは頂戴したわ」


沙羅妃は胸の前で手を組み、すこしぎこちない揖礼(ゆうれい)をささげた。


次に王妃は糸月へ冷たい視線を向けた。

糸月に支えられるようにして貴妃は席に戻ったが、その表情はとても反省しているとは思えない。

まるで邪魔者に宴をぶち壊されたとでも言わんばかりだ。

そして、貴妃の視線は最後まで王妃と交わることがなかった。


「仕切り直して、皆でお茶をいただきましょう。せっかくだから蘭才人も一緒に」


王妃のひと声で、立ちつくしていた給仕係の女官たちが一斉に動きはじめる。


「……」


レイカが黒翠の顔色をうかがおうとすると、視線が交わる。

「この際もう好きにしてください」と言われているようだった。


「あ、あたしは……いやです」


少し迷ったのち、震える声でレイカは言った。


「だっていま、仲直りするよりも先に、謝らなきゃいけない人がいるのに……謝らないから。それに、誰もこの子をかばわなかった。そんな人たちと一緒にいるくらいなら、ひとりの方がマシだから」


再び静まりかえる東屋。

凍りついた空気のきしむ音が聞こえそうであった。

女官たちの給仕の手が止まり、沙羅妃は驚いた顔でレイカを見る。


後宮(ここ)ってすごい窮屈だし、誰だって気に食わない相手くらいいると思う。そんな相手と無理に一緒にいる必要ないよ。だって、ここはおめでたい席なのに、誰も楽しそうじゃない」


言い終えるとレイカはひとり丘を駆け下りる。

それは誰かに向けた言葉ではなく、ただレイカ自身に────過去を含めた自分自身に言い聞かせていた。


またもや置いて行かれた黒翠は、その場で優雅に拱手した。

主と己の度重なる無礼に形ばかりの謝罪をしてから、颯爽と東屋を出る。


その場にいた大勢の妃嬪や宮人らにとって、これが初めて目の当たりにした「蘭令華」だった。

誰にも媚びず、群れることもしない────型破りな女の姿は、良くも悪くも強烈な印象を与えた。



「すごいねえ黒翠。ひとりで推理して、あんなふうに言い負かして」


「いえ、それはむしろ……」


御花園の門をくぐる際、レイカはようやく背後をふり返った。

赤や白の牡丹、そして鮮やかな新緑────広がる景色は来た時よりも美しくみえる。


「いつもより生き生きしてたじゃん」


やけに口達者だったことをからかうと、黒翠は頬を引きしめ鉄仮面に戻った。


「……そのような教育を受けてきたせいです。生き生きとしていたのはむしろあなたでは」


レイカは前を向き再び足を踏み出す。


「あたしはさ、元の世界では結構、周りの目気にするタイプだったんだよ?でもここでは別にいいかなと思って。助けてくれる人もいるし」


「……」


黒翠は何も返さず、レイカは彼の過去に思いを馳せる。目の前のこの男も同じことをしているような気がしたからだ。

周囲となじめず(つま)はじきにされるような人間であることを、この時ばかりは誇りに思うレイカだった。


「ていうかさ、何あの貴妃って人!?いい年してあたしより子供じゃん。みんな何であんな人のことかばってるの?」


レイカはさっきの騒動を思い出しては怒りがこみ上げる。


「大半は家の力です。後宮での権力構造は、朝廷のそれと相関関係にありますから。それともう一つは……」


言いかけて黒翠は立ち止まり、レイカの顔ををじっと見つめた。

レイカは首をかしげる。


「陛下が、ああいう幼稚でわがままで頭の悪い女を好むせいです」


「はあ?」


おだやかで優柔不断なところのある正憲は、女にはむしろ我の強さを求めた。

感情がすぐ表に出る女は扱いやすくもある。

事あるごとに泣きつく女と、それを大きな器で包み込む男は、不思議なほど馬が合った。

その反面、慎み深く思いつめやすい王妃のような女は、憂き目をみてきたのだ。


「その陛下に若い頃から甘やかされ続けた結果がアレなんです。レイカさまもくれぐれもお気をつけください」


「どういう意味?」


「あなたの10年後を見ているようだという意味です」


そう言い残し、すたすたと前を行く黒い背中を、レイカは大股で追いかけた。

お読みいただきありがとうございました。


もし気に入っていただけましたら、ブクマいいね感想評価★などいただけると大変ありがたいです。

今後もよろしくお願いいたします。

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