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薔薇のクッキー事件③

「(ねえ。他の人にも話聞いてよ)」


そうレイカからささやかれた黒翠は、何事もなかったように話を戻す。


「ご臨席の皆様は、この件をどう思われますか?すべて沙羅妃の失態だと?」


「……」


一部始終を見ていたはずの妃嬪たちは、互いに目配せするだけで、誰も言葉を発しない。

場内全体を包む「関わりたくない」という無言の意志を感じとったレイカは、どこの世界の人間も同じなのだと呆れる。


やむをえず口を開いたのは、ちょうどレイカの目の前に座していた30代くらいのふくよかな妃。四夫人のひとりである柳賢妃(りゅうけんひ)だった。


「さすがにわたくしたちも、沙羅才人がわざと王妃さまを害したとは思わないわ。けれど、才人たちはまだ覇葉語が不得手のようだし、糸月(しげつ)の話を聞き違えたと考えるのが自然ではないかしら」


被せるように貴妃の侍女、糸月も発言する。


「当然です。私は覇葉人で、この者たちは胡人なのですから」


「その場で理解できなかったら、通訳を連れてくるなり、後からもう一度聞きにくるなり方法があったはず。そろいもそろって話を適当に聞いていたのよ。怠慢にもほどがあるわ」


侍女に触発されたのか貴妃が沙羅妃らを断罪しようとする。


────いくら何でも、3人が同じ聞き間違いをするかな?


そう思うレイカだったが、他に会話を耳にした者はいない。

それでも誰か1人くらい沙羅妃の味方をしても良いものだが、他の妃嬪たちは相変わらず顔を背けるばかりだ。

彼女たちが後宮で健やかに生きるための手段は、国王の寵愛を受け男児を産むことだが、大半の女たちは国王との対面すら叶わない。

そんな女たちはこぞって、“寵愛を受ける妃”の寵愛を受けることに心血を注ぐ。

つまりここにいるのは、貴妃が白を黒と言っても味方するような者たちばかりなのだ。


不可解な点は多いが、沙羅妃が圧倒的に不利であることは明らかだった。


「ところで、差配役である貴妃さまは、事前に祝い品の目録リストをご覧になっていたはずですが。その時に薔薇の菓子があると気づかなかったのでしょうか?」


黒翠が指摘すると、貴妃の目がわずかに泳いだ。


「目録には……花酥(かす)(花のクッキー)とだけ」


「菓子に用いる花は限られていますから、何の花か確認すべきでしたね。それこそ怠慢なのでは?」


あまりの口ぶりに貴妃はただ口をぱくぱくとさせる。

慌てて糸月がわめきたてた。


「お前!陛下のお気に入りだからって、つけ上がるんじゃないわよ!」


普通、顔の美しい宦官は妃から可愛がられ、多少の不作法は許されてしまうものだ。

しかし黒翠がこの限りでないのは、その傲然(ごうぜん)としたふるまいと賢さゆえだろう。


黒翠は糸月の罵りを歯牙にもかけない様子で、顔を主賓席へと向けた。


「王妃さまは、菓子を口にされたのですか?」


「いいえ。まだ手にとっただけよ」


口元を押さえているので、てっきり食べてしまったのだと思っていたレイカは驚く。

よほど薔薇にトラウマがあるのだろう。


話すこともままならない王妃に代わって、また貴妃が口を開いた。


「私が先に気づいてお止めしたの。菓子をひと口食べた瞬間に『もしや』と思って」


贈り物のクッキーは、王妃だけでなくその場の全員にふるまわれたらしい。


貴妃は続ける。


「それですぐ沙羅妃を問いただしたわ。『この菓子にはもしかして、薔薇が使われているのでは?』と。そうしたら────」


『はい。香りのよい食用薔薇を使った、王妃さまのための特別なクッキーです』


と沙羅妃は答えた。


それで王妃はショックを受け、貴妃は激怒。

この騒動へ発展したという。


「なるほど」


黒翠は抑揚のない声を上げると、貴妃の卓の前へ移動する。


そこにはクッキーが乗った白い皿と、陶器の蓋付茶碗があった。

皿の上のクッキーは全部で5枚。淡いピンク色の丸形で、中心部がへこんでいる。

貴妃の言うとおり、そのうち1枚は食べかけのようだった。


まず黒翠は手つかずのクッキーを手にし、割って匂いを嗅いでから、一口かじった。


「……」


首をかしげ、今度は食べかけの方に手を伸ばして同じことをする。


「貴妃さま……これを薔薇の菓子だとお思いになったのですか?」


「そうよ?」


「他にも、菓子を口にした方はいらっしゃるようですが、皆様もこれに薔薇が入っているとお気づきに?」


黒翠が周囲を見まわしながら問うと、妃嬪たちは首をかしげる。

改めてクッキーを手に取ったり、口にする者もいた。


「わたくしは気づかなかったけれど、貴妃に言われてみれば……そんな気がしたわね」


賢妃はふっくらとした頬に手をそえて、その時を回想する。


『わたくしも』 

『私はよく分からない』

『でも薔薇の色よ』

『薔薇ってどんな味?』


賢妃に触発され、他の女たちも意見を口にしはじめた。


「けれど黒翠、どうしてそのようなことを聞くの?」


賢妃がたずねる。


「いえ。私には菓子から薔薇の風味は感じられなかったもので」


すかさず貴妃が口を挟む。


「お前と一緒にしないでちょうだい!薔薇の香りがするし、色も赤いわ」


「い、色は……ベリーで……」


沙羅妃が恐る恐る声を上げると、貴妃はクッキーと同じくらいに顔を赤くした。


「とにかく、沙羅才人は薔薇の菓子だと言ったわ。これに薔薇が入っているのは紛れもない事実よ!」


蛇に睨まれた蛙のように沙羅妃は委縮する。

貴妃の言うとおり、これに薔薇の味があろうがなかろうが、沙羅妃が薔薇入りの菓子を用意してしまったという過ちは(くつがえ)らない。


そんな沙羅妃に向かって、黒翠は問いかけた。


「これは『王妃さまのための特別な』菓子だそうですが。一体何が特別なのですか?」


「それは……」


顔を上げるも、貴妃の視線を気にして声が出せない沙羅妃。


「これ、中心部が(くぼ)んでいますね。そこに何か秘密があるのでは?」


「……」


すでに黒翠は、沙羅妃の言わんとしていることがわかっているようだ。


「(がんばって!)」


レイカには全く読めていないが、沙羅妃の背に手をそえて励ます。

沙羅妃は大きく息を吸ったあとで両手に(こぶし)を握り、ついに声を上げた。


「ほ!ほんとうの……祖国のクッキーは、真ん中にジャムをのせて焼くの。でも、それだと、香りが消えてしまう……から」


レイカは思い出した。

幼い頃、家にあった青いクッキー缶。

ふたを開けてまず手を伸ばすのはいつも、真ん中に鮮やかな赤いジャムの乗ったクッキーだったことを。


沙羅妃は続ける。


「王妃さまは、薔薇がお好きだと聞いた。だから、ジャムの香りをたくさん楽しめるよう、に……」


声がだんだんと細くなり、ついに途切れる。

続く説明は、言葉が難しくて話せないといった様子だ。


「あらかじめ蜜煮ジャムを菓子に乗せて焼くのではなく、あとからご自分でのせるようにした……ということでは?」


黒翠が助け舟を出すと、沙羅妃は大きくうなずいた。


「そう。その方が、好きなだけジャムをのせられるし、もっと喜ばれると……思ったの」


黒翠は聞き終えると、貴妃の卓にふたたび視線を落とす。

クッキー皿の隣にある陶器の茶碗に手をのばし、蓋を開けた。


「あ……」


そこに入っていたのは、ぴかぴかと輝く赤いジャム。 


レイカ達のそばにいる賢妃も蓋を開けると、同じものが入っていた。

賢妃は茶匙(ちゃさじ)(スプーン)でジャムをすくう。


「中身はジャムだったのね。てっきりお茶が入っているものだと思っていたわ」


他の女たちも同じ考えだったようで、鮮やかな絵付きの陶器を開けては驚きの表情を浮かべた。


香りが飛ばないよう蓋をかぶせ、なおかつ華やかな宴の場にふさわしい容器を探した結果たどり着いたのが、この美しい陶器茶碗だったのだろう。


賢妃が茶匙についたジャムをクッキーにのせ、口に運んだ。


「薔薇の香りと果実(ベリー)の酸味がよく合って、美味しいわ」

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