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薔薇のクッキー事件②

「つきましては娘娘(ニャンニャン)。今は一体どういう状況なのでしょうか」


黒翠がたずねると蕭貴妃(しょうきひ)は、石の床で崩れるように座る沙羅妃を指さした。


「この子がお姉さまにとんでもない無礼を働いたから、(ひざまず)いて謝るように言ったところよ」


妃嬪たちは目上の妃を「お姉さま」と呼ぶことが多い。

貴妃がこの呼称を使うのは、韋王妃(いおうひ)に対してだけである。


「とんでもない失態、とは?」


「この子が用意した祝いの品よ」


貴妃のそばに控えていた侍女が一歩進み出て、これまでのいきさつを話しはじめた。


誕辰の宴では参列した妃嬪が1人ずつ、皆の前で主役へ祝いの品を贈るのがならわしだ。

唄や楽器などの特技を披露する妃もいれば、貴重な骨董品や宝石、自ら刺繍した織物を献上する者もいる。

そんな中、沙羅妃が持参したのは彼女の祖国で親しまれる菓子。「薔薇の()(クッキー)」だったという。


話を聞いていた黒翠が、(あご)に手をやって眉をひそめた。


「薔薇の……?たしか王妃さまは薔薇の花がお嫌いでは」


「そうよ!」


貴妃がこれみよがしにうなずくと、頭の左右に挿した歩揺(ほよう)(髪飾り)がシャラシャラと音を立てた。


レイカは、災いの中心にいながら(いま)だ口を閉ざしている王妃へ視線を移す。

椅子の上で青い顔をした王妃は、口元を手巾(ハンカチ)で押さえていた。


王妃が薔薇を嫌うのは、過去のトラウマによるものだった。

王妃は若い頃に王子を1人産んでいるが、赤子は生まれて間もなく死去してしまったという。

赤子が死ぬことはめずらしくないので、直接の原因はわかっていない。

ただその話を聞いた侍医が、『王妃が愛飲していた薔薇のお茶も良くなかったのでは』とつい口走ってしまった。

それは単に『薔薇には瀉下(しゃげ)(余分なものを出す)の効能があるので、妊娠前後の女には適さない』という意味であったが、王妃はそれこそが我が子を死に追いやったと思い込んでしまった。

追い詰められた王妃はすぐに、自分が愛していた薔薇の花を鳳凰宮から全て抜くように命じた。そのうち御花園や他の妃の宮からも薔薇は消え、今の後宮には薔薇が1本も植わっていないのだという。


「お姉さまの事情を異国の妃たちは知らないだろうから、私はわざわざそのことを侍女に伝えに行かせたの。それなのに、当てつけのように薔薇の菓子を献上するなんて……。姉さまのご気分を害して宴を台無しにした上に、差配(さはい)役(幹事)の私の面目も丸つぶれだわ」


侍女に任せていたはずの貴妃が、いつの間にか話の主導権を奪い返していた。

蔑むような目を向けられた沙羅妃は、青い目に涙をため、震える唇から声をもらす。


「薔薇が……お好きだと……言われたのに……」


レイカは黒翠に強い視線を送る。


「沙羅才人は『王妃さまは薔薇がお好き』だと聞いたようですが……?」


糸月(しげつ)が嘘を教えたって言うの?」


どうやら連絡係をつとめたのは、今しがた状況説明をした糸月という侍女らしい。貴妃を引き立てるような薄い紫色の衣で、年齢は貴妃と変わらない頃に見える。


「私は確かに申し上げました。『王妃さまは薔薇がお嫌いなので、お祝いの品はもちろん、当日の服装や(こう)にもお気をつけください』と」


貴妃側の主張を聞き終えた黒翠は、沙羅妃に向かって拱手し、そのまま質問を投げる。


「連絡を受けた時、その場にいたのは沙羅才人だけですか?」


「いえ……うちの侍女もいたわ。この2人が」


沙羅妃のそばで共に床へひれ伏していた少女たちが顔を上げる。

彼女たちは2人とも我羅国の出身だった。そのどちらもが、糸月は「王妃さまは薔薇がお好きなの」と言っていたと主張する。


「多数決では、沙羅妃に軍配が上がるようですね……?」


黒翠が糸月に鋭い視線をおくる。

糸月は憤慨した様子で貴妃を見た。

侍女を侮辱され、言い返そうと黒翠を睨みつける貴妃だったが、すぐにその形相を変えた。


「あら?お前、誰かと思えば……」


まるで「面白いものを見つけた」とでもいうように目を光らせた貴妃。


「黒翠じゃないの。出家したと聞いていたけれど、いつの間に侍女になったの?」


侍女の糸月も彼の正体に気づき目を丸くした。

驚きは伝染するように、周囲の妃嬪たちがどよめき立つ。

『男だったの?』

『あの黒翠よ』

『背が伸びたわね』

どうやら黒翠という宦官は、妃嬪たちの間でも有名らしい。


「ますます綺麗になっていたから、気づかなかったわ。だけどいくら女顔だからって、陛下も(こく)なことを」


「……」


黒翠は顔をふせる。

何も言い返さなかったが、するどい殺気のようなものをレイカは察知した。

彼にとっては美しい顔が、よほどコンプレックスなのだろう。

レイカとて黒翠の周囲に埋まっている地雷を、これまで幾度となく踏んできた。

だがこの貴妃のたちが悪いのは、全て承知の上で踏んでいることだ。

貴妃は喜んで相手の自尊心を踏みにじり、嘲笑しようとしている。そういう人間なのだ。


「あなた、もっと綺麗な衣装を着なさいよ。せっかくの可愛い顔が台無しよ?私のお古で良ければ────」


「貴妃さまは、陛下が外見だけで臣下を差配される方だとお思いなのでしょうか」


黒翠が顔を上げるのと同時に、いつもよりワントーン低い声が東屋に響く。


「なっ!」


ぼう然と2人のやりとりを眺めていたレイカの肩に、黒翠は両手を置いて引き寄せた。


「皆様すでにご存知の通り、こちらの蘭令華さまは庶民の生まれでありながら、陛下たってのご希望で官家の身分と才人の位を(たまわ)りました。格別のご寵愛を受けるお方の側近に、私が命じられた意味をどうぞご一考ください」


周囲は水を打ったように静まり返る。


この後宮の主であり、国で最も偉大な存在を出されてしまえば、貴妃の威厳など些末(さまつ)なものだった。


────ご寵愛?何言ってんの?


いつも以上に饒舌(じょうぜつ)な側近に、レイカは小声で忠告する。


「(あんたが喧嘩してどうすんの!早く話を進めてよ)」


「……」


黒翠は羽のようなまつ毛をパシパシとゆらしたあと、「しまった」とでも言うように瞳を左右に泳がせた。


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