ギャルと宦官②─ミニスカート─
「まだ終わらないのですか?」
扶桑宮の側仕えである黒翠は、主の寝室の前でいらついた声を上げる。
扉の前に立つ女官は、刺すような視線から目をそらして答えた。
「も、もう少しです。あの……まだお召し換えの途中で……あとは裙を履くだけなのですが」
その日、レイカは養父である蘭氏との顔合わせを控えていた。
身支度の時間は朝からたっぷりととっていたはずなのに、もう昼を過ぎた。なぜこんなにモタモタしているのか。
「あなた、先刻も同じことを言っていましたよね」
黒翠の指摘に、女官はぎくりと肩をこわばらせる。
「その、レイカさまが……これでいいとおっしゃるものですから……」
「?」
全く状況がつかめない。
とうとうしびれを切らした黒翠は女官を押しのけて、背後の扉を左右に押し開く。
甘い化粧の香りただよう寝室では、衣装係の女官たちが、薄い帳の下りた小さな寝台を遠まきに眺めている。
帳の中には暇をもてあました様子のレイカが床で足を組んでいた。
女官の言うとおり、身支度はほとんど済んでいるようだ。
レイカの頭はうさぎの耳のように結い上げた義髻(ウィッグ)に金色の花の簪をいくつも挿している。
選ばれた衣装は桃色の上衣に、胸の下には花鳥が刺繍された帯状の裙腰(切り返し)、そこからふわりと広がる紅色の裙(スカート)。
肩には透ける黄色のショールをまとっている。
全体的に落ち着いた色味を選ぶことで、子供っぽさを抑えつつ、レイカの華やかな顔立ちを引き立てていた。
しかし───
「その裙はいったい……?」
本来、つま先まで隠れるほどの丈の裙は、レイカの膝上でざっくりと切り落とされていた。
裙の下から見えるはずの白い袴さえレイカは履いておらず、完全に素足をさらしている。
「ミニ丈にしてみたの。こっちの方が可愛いし、動きやすいから」
レイカはそう無邪気に答え、帳の奥から黒翠の前へ歩み出た。
くるりと一回転してみせると、ミニスカートがふわりと傘のように広がる。
危うく太ももの付け根まで見えそうになり、女官があわてて裾を押さえる。
黒翠は言葉を失い、手で額を押さえた。
背後に妙な気配を感じてふり返ると、彼の臣下である幼い宦官らが、頬を赤らめてレイカに釘付けになっている。
彼らは黒翠の視線に気づいたとたん、一斉に背を向けた。
「……レイカさま。この国の女人は脚を出してはいけません。それは人前で裸になるのと同じくらいはしたないことなのです」
“はしたない”という言葉に反応したのか、レイカの眉間に描かれた花鈿が歪んだ。
「あたしは恥ずかしくないもん!それに、この姿が本当のあたしなんだから」
元の世界では制服のスカートを切り、夏はミニ浴衣で祭りに出かけていたレイカにとって、衣装を自分らしくアレンジすることは、何も特別な事ではなかった。
レイカとしては、髪も化粧もこの国に合わせているのだから、スカート丈くらいは好きにさせろという思いなのだろう。
「私が言っているのはあなたの気持ちではありません。こちらが迷惑なのです」
「迷惑ってどういう」
「あなたの脚など誰も見たくないということです」
ぴしゃりと言い放つ黒翠に、レイカは目と口を大きく開いて固まる。
────また始まった……。
女官たちは無言で目配せを交わすと、嵐が起こる前にそろそろと退出した。
部屋にはまたしても、犬猿の2人が残されてしまう。
「それでも恥を認めず我を通すとおっしゃるのなら、いっそ裸でお養父上とお会いしたらどうですか?」
黒翠はレイカの胸元を指さす。
あくまでも冷静に、合理的に論じたつもりではあったが、言葉の節々には日頃ため込んでいた鬱憤がちらついていた。
「───ウザっ!」
レイカは自分の二の腕を抱き、相手には伝わらない母国語を吐き捨てる。
「もういい。着替えるから早く出てって」
それが本心ではなく、顔も見たくないから出ていけという意味であることはお見通しだった。
だからレイカがつかもうと手を伸ばした、替えの長い裙を黒翠は奪い取る。
「またおかしな細工をされては困りますので、私が手伝います」
「はあ?男の前で着替えられるわけないじゃん!」
自分が恥ずかしくないと言ったくせに、という言葉は火に油を注ぐだけだと飲み込む黒翠。
「宦官は男ではありませんので」
平然として事実を述べると、怒りに満ちていたレイカの表情が一瞬にして落ち着き、小首をかしげた。
「え。どういうこと……?」
「ご存じありませんでしたか……」
黒翠は“宦官”というものが、国王の女たちに仕えるため男性器を失っていることを簡潔に伝える。
自身も11歳の時に処置を行ったと話すと、レイカは両手で口を覆った。
「そんな酷いことを……子どもに?」
そして黒翠の腕をつかむと、ゆっくりと寝台まで引き寄せ、自分の隣に座らせる。
「痛くないの?動いて平気?」
さっきまでの剣幕が嘘のように、本気で心配するレイカに黒翠は内心苦笑する。
「問題ありません。もう昔のことですから」
子孫を増やし家を興すことが男の責務とされる世界で、その役目を絶たれた宦官は蔑視の対象だ。
彼らはこの後宮の中でも不浄の存在であり、男どころか人間扱いされないことも多かった。
「レイカさまは慈悲深い方でいらっしゃいま……」
そう言って口の端をわずかに上げたとき、きらきらした大きな目が黒翠を見上げる。
「トイレは座ってするの?」
黒翠はそのまま顔面を硬直させ、少女の曇りない瞳を見つめ返した。
「玉もないってことは、性欲ないの?ていうか男が好きになったりする?」
「……」
男にしては長すぎるまつ毛に囲われた黒い瞳から光が消え、唇は一文字に結ばれる。
好奇心は本人の意図せぬところで鋭い矢に姿を変え、無遠慮に放たれた。
「エッチする時どうするの?」
三連ヒット直後のとどめの一発には、さすがの黒翠もめまいがした。
2人の間に沈黙が流れ、帳が風にゆれる。
寝台の上で見つめ合ったまま、黒翠は重い口を開く。
あくまでも冷静に────。
「それらについては……“人による”としか申し上げられません」
まっすぐ立ち上がると帳の外へ出て、手にした裙を床に投げ捨てた。
「それでも知りたければ、どうぞ他の者におたずねください」
背中越しに言うと、くるりとふり返って丁寧な揖礼をささげる。
あ然とするレイカを残し、黒翠はずかずかと大きな歩幅で部屋をあとにした。
お読みいただきありがとうございました。
ここまでメインキャラの自己紹介的なエピソードでした。
次回からは沙羅妃が登場します。
ちなみに黒翠は本当に去勢されていますので、後から実は…的なオチはないです。
「去勢した男性を恋愛対象にできるか」というのは、後宮モノを書く際に直面する大きなテーマなのですが、皆さんはどう思われますか?
もし気に入っていただけましたら、ブクマいいね感想評価★などいただけると大変ありがたいです。
今後もよろしくお願いいたします。